埴谷雄高ほど、自分の文学と自分自身について語りつづけた作家はいない。彼自身の筆になる『影絵の世界』(1966年)、『影絵の時代』(1977年)という二冊の自伝に、吉本隆明との『意識 革命 宇宙』(1975年)、吉本・秋山駿との『思索的渇望の世界』(1976年)、大岡昇平との『二つの同時代史』(1984年)という自己史を中心とした対談、それに長短の座談やエッセイを加えると、そこには一方で五十一年間にわたって『死霊』というおよそ私小説とは無縁の想像力に依拠した作品を書き続けながら、同時に他方で、私小説作家も遠く及ばないほどの情熱をこめて自分を語りつづけたこの作家の特異な姿が浮き出してくる。彼はなぜ、このように自分と自分の作品を語ることに情熱をかたむけたのだろうか。
この本のもとになったのは、1995年1月9日から13日まで五夜連続で、NHK教育テレビが放映した埴谷雄高「独演」の記録である。「独演」とあえて言うのは、すでに書かれ、あるいは語られた言葉として活字になっているおおくの事柄が、たんに繰り返して語られたのではなく、語りとして演じられたからである。そのことのもつ意味は意外におおきい。私たち埴谷雄高に親近していた者が、しばしばたいした用件もないのに埴谷さんを訪れたのは、この彼の演じる語りをともに楽しみたいといういささかよこしまな期待からであったことは、だれも否定できないだろう。このビデオによって、この楽しみが万人に可能になったことを、私は無条件でよろこんだ。
しかしそれだけではない。そこでの埴谷雄高の語りをそっくりそのまま活字にして記録した本書を読むと、これがいままでに発表された第一章から当時はまだ未発表の第九章にいたる『死霊』の、もっとも明快でかつ体系的な解説であることをあらためて確認する。それは言うまでもなく、埴谷雄高に傾倒するディレクター・片島紀男氏の緻密な構成と作品からのふんだんな引用・ナレーション、そしてディレクター自身による的確な質問のおかげである。私は放映当時もいまも、質問者に研究者や批評家を当てなくてよかったとおもった。
作品の解説は、埴谷雄高の人生の曲折と並行して、既発表、未発表の部分をとわず、『死霊』全体のテーマを鮮明にし、思想的な問題をとりあげる。一例を第五章にとれば、まずこの章の解説は「夢魔は思索に乗ってやってくる」というまことに的確かつ象徴的な見出しではじまるのだが、そこでは、この第五章の主要なテーマである、存在の革命への序曲である未完の「社会の革命」が「自在の国」「亡霊宇宙」「スパイ」「死者」というようなイメージをとおして根底的に批判されるのである。 たしかにこれは『死霊』についてのもっともゆきとどいた「解説」だ。そしてその解説は埴谷雄高自身が言っているように、批評家・埴谷雄高によるきびしい批評でもある。ひとはそこから、作家におけるひとつのモチーフがどのようにイメージとして実現していくか、その創造の過程とその困難を具体的に教えられる。それはひとつの「小説作法」とさえ言えるかも知れない。
しかし私がこの本を読み、あらためてビデオを見直して感じたことは、そういうことにとどまらない。それはさいしょに言った、埴谷雄高はなぜ自分と『死霊』について、あれほどうまずに語りつづけたのかという問いにかかわる。
なぜまだ書かれてもいない作品の結末まで喋ってしまうのかと、親友の本多秋五にきびしく忠告されたと埴谷雄高は苦笑したが、私の結論は、これらの「語り」のすべてをふくんで『死霊』という作品は存在しているのだということだ。埴谷雄高は『死霊』のキーワードである虚体とは、白紙であり「のっぺらぼう」であり、未出現だと繰り返した。そしてそれは一冊の本のなかにしかないとも語った。であるとするならば、彼の語りはまさにその未出現の白紙として『死霊』という一冊の本のなかに位置づけられるべきものであろう。その語りをふまえて埴谷雄高は、書かれた作品としては未完であることは自明であるのに、遺稿の末尾にあえて「《死霊》了」と書いたのかもしれない。(『週刊読書人』1997.9.19)