中野重治の死が、残された私たちの間にどれほど大きな空洞を生みだすことになったかは、これから日をおってあきらかになり、実感されるだろう。その空洞を埋めることのできる人はいないのである。
たんなる詩人でも小説家でもない、彼はまず何よりも文学者であった。彼自身の存在によって文学者であった。中野重治という文学者がいるということだけで、私たちは少なからず自分の精神に緊張をとりもどした。
「微小なるものへの関心が必要である」と、中野重治は彼の詩人としての出発の時に書いている。小さいものほど、小さいが故に彼はそれを重視した。小さな組織、小さな会合、小さな運動、それを支えている無名の人たちを、彼は大切にした。自分をその中に同化した。彼がもっとも嫌ったのは、「名声」というようなものによって世の中を特権的に渡り歩くことであり、中味のない虚飾、すべてのチャラチャラした、〈当世風〉であった。そしてこれらは倫理であるよりも、彼自身の美意識に根ざしていた。三合の安酒より一合の上等な酒を選ぶ。しかし量は多いほうがいい。酔うほどに上機嫌となり百姓のお爺のように手のひらでつるりと自分の顔をなで、笑いながら「きみ、あれァ一体何だね」と――。お酒なしの中野重治は寂しい。中野さんと飲めないのはもっと寂しい。(『週刊ポストカード』1979年9月2日号)