エルンスト・プロッホの『この時代の遺産』(1982年5月、三一書房刊)については、訳者の池田浩士が「空洞を埋めるもの」(『無尽』1976年11月号)、「ブロッホ『この時代の遺産』の視座」(『文学』1979年9月号)などで、すでに彼の周到な読みを提示している。特に前者は、1935年に刊行されたこのブロッホの著書を「当時すでにきわめて困難になっていたマルクス主義の根底的な自己批判の試みであり、ファシズムにたいする敗北を被支配者の側から総括する試みであった」と評価する立場から、<空洞><非同時代性>という本書におけるプロッホの基礎的なカテゴリーを解明しつつ、それを1935年ではなく、あるいはそれと重ね合せての<いま>、機動隊が乱射したガス弾の残骸が理解不能のモノとなってしまった<いま>――を考えるアクチュアルな書として読み解いたすぐれた試みである。また池田浩士が現在すすめている大衆文学論や探偵小説論なども、プロッホが本書で展開している通俗読物、メールヒェソ、キッチュなどについての論に深く触発されたものであって、それら自体もまた彼の『この時代の遺産』論の延長上にあるとも言えるのである。一冊の訳書の背後に、『表現主義論争』(1968年6月、盛田書店刊、絶版)の編訳以来のなが年にわたる訳者自身の主体的な探究の膨大な作業が横たわっているのを知ることは、ドイツ語についてもプロッホについても、まったくの門外漢にすぎない一読者としての私にとって、この訳書への信頼感を持ちうるもっとも大きな条件である。
さて、しかしながら、この本は読みやすい本ではない。その読みにくさには、なにか異常なものさえある。訳者自身も「解説」のなかで、「プロッホの文体は、われわれが読みすすむことをしばしば拒絶するかのようである」と書いているほどだ。私は二度読んだが、二度ともある部分については目が文字の上をすべって行ったにすぎない。私は本当にこの本を「読んだ」とは、とうてい言うことができない。しかしこの本の場合、それでいいのだ、といまは思つている。いまはむしろ積極的にそう思っている。なぜならこの本は、完結をみずから拒否する立場に立ち、一義的な理解をつきくずし多様な対立の混沌をこそ生みだそうとする努力に貫かれているからである。ブロッホは「舞台のレーニン主義者」というエッセイでブレヒトの作品のことを、「それらは、物象化された語義にてらせばそもそも作品などではなく、むしろ――作者が以前に用いた表現によれば『試行』なのである。したがって、ブレヒトの作品集につ
いては、その集ということも作品ということも、特殊な理解を必要とする。集というのは安んじて納屋へおさめられる収穫を指すのではない。種をまき、刈りとり、たばね、打穀する、この蜿蜒とつづく仕事がむしろまだすべて認められるのだ。(中略)それゆえ、集ということ以外の作品ということにしてもまた、努力の終了を宣して終止符を打つことなどしない。これらの事象はむしろ、社会的な解放闘争のなかでの正しい態度を形づくっているのであり、たえず新たに形づくりつづけるのである。それらは、舞台という実験室における姿勢の実験なのであって、労働のあとの隠遁生活などではな
い」(380頁)と指摘しているが、それは1920年代の諸事象のモンタージュを通して「社会的な解放闘争のなかでの正しい態度」を探究しているこのプロッホの再構成されたエッセイ(作品)集である
『この時代の遺産』についても、そのままあてはまる。このように、半世紀をへだててなお、この本は未完のもの、形成途上のものとして、私たちの前に開かれて存在している。そのモンタージュを読み解き、それを書きつがなければならないのは読者である私自身なのだ。そしてこの未完性、開放性が逆に、私のなかの読者=受け手という物象化した受動性を不安にする。それがこの本を読みにくいと感じる最大の原因なのだ。だからこの「読みにくさ」には積極的なものがある。
しかし、やがてどのような迷路が待ちうけているにせよ、出発点は、このうえなく、明快そのものなのだ。
ここを広く見わたしてみる。時代は腐敗し、しかも同時に陣痛に苦しんでいる。事態は悲惨であるか、さもなければ卑劣であって、そこから脱け出る道はまがりくねっている。だが、この道の果てがブルジョワ的なものでないだろうことは、疑うべくもない。 (序言)
そしてさらに、つぎの確認がつづく。
新しいものは、とりわけ厄介なかたちでやって来る。(同)
プロッホの出発点は、この「まがりくねった道」を自分の足で歩き、自分の目で見ようという決意である。なぜこの道はかくもまがりくねっているのか。なぜ新しいものはとりわけ厄介なかたちでしかやって来ないのか。それは、後期資本主義においてさえも、社会は無数の空洞をかかえた重層的構造をなしており、プロレタリアートはたんにブルジョワジーとだけでなく、諸階層に囲まれて存在しているという事実にもとづく。そしてファシズムは、危機意識にとらわれた農民や小市民を空洞のなかにひき込み、瞞着された陶酔へと組織する。その空洞のなかでは、とうの昔に消え去ったと思われていたさまざまな遺物が、とつぜん息をふきかえし、人びとをロマン主義的な熱狂にかりたてる。
そこで一つの問いが浮んでくる。彼らの危機意識と彼らの反資本主義的な衝動は、なぜファシズムの側にとりこまれてしまったのか。それは彼らの階級的な本質による必然でしかなかったのか。それともプロレタリアートの側のなんらかの「欠如」が、そういう結果を生み出したのか。プロッホははっきりと後の立場に立つ。それが本書において、敗北の総括が同時にマルクス主義の自己批判でもある理由である。彼はプロレタリアートとブルジョワジーという「同時代性の矛盾」と同時に、農民や小市民のさまざまな形態をとって表現される「非同時代性の矛盾」の存在を指摘し、「こんにちでは、こうした非同時代性の諸矛盾は、もっぱら反動に奉仕している。だが、このほとんど無際限の利用可能性のなかには同時にまた、もっとも現在的なマルクス主義的諸問題のひとつがある」という立場から、時に「非合理性」や「ロマン主義的心情」という形で表現される非人間的な資本主義的合理性にたいする違和感や反抗を、マルクス主義は、それが「非合理性」という形をとっているという理由だけで単純に排斥し、その場所を敵に明け渡してきたと批判する。重要なことは、この場所を戦わずに敵の手に渡すことではなく、一つの戦場と化すこと、しかもそのたたかいに勝利して断固としてその場所を「占拠」することなのである。そして、小市民にはせいぜい小市民的反抗しか期待できない、すべてはプロレタリアートにかかっているというような俗論にたいしてプロッホは、あらかじめいくらかの皮肉をこめてつぎのように釘をさして言う。――「だが、この興味深い、ただいくぶんステロタイプな確認よりも、こんにちもっと重要なことは、識別と偵察であり、敵を過小評価することなく、なによりもまず戦利品をねらうような、ひとつの出軍である。その戦利品とは、不安におちいった人間たちであり、しばしば両義的な、いやそれどころか、両義的であるがゆえにのみ『反資本主義的』瞞着に奉仕しうる革命的な材料である。」「まさしく革命に対抗するために窮乏化しつつある市民にさしだされているもろもろの方策を理解し、それにうちかとうとするなら、ひとは――市民の国へ乗り込んで行かねばならぬ。」(序言)
さて、われわれもまたプロッホとともにわれわれの戦場である市民の国へと出陣しなければならぬ。そして、そこでまず私たちが見いだすのは、さまざまな形をした、さまざまな種類の、たくさんの「空洞」である。「この空洞こそはまさに、ブルジョワ文化の陥没によって生じたものなのだ。」(165頁)
この空洞は「サラリーマンと気散じ」の時代、つまり1924年から29年までの相対的な安定の時代には、すでに存在するがまだそれほど目立たない。その時代に支配的なのは消費文化だ。カフェー、映画、ルナパークが、サラリーマンに歩むべき道をさし示す。「『業務』としての人生。昼間は砂漠、夜は逃避。新しい中間層は、節約をしない。あすのことを考えず、気散じをして、やがて何もかも散らしてしまう。」(29頁)彼らは、自分の金を、彼らをだます仕掛のために、きまえ良く使っている。
しかしこの「気散じ」の時期は短かい。1930年は世界大恐慌の年である。急速に窮乏化する農民と都市中間層をプロレタリアートの方に向わせず逆の方向に組織するため、大資本によってファシズムが呼び出される。そしてその時、プロレタリアートと中間層のあいだに立っていたのは、こんな「マルクス主義」なのである。――「ほかならぬ資本主義的業務によって『魂』がせきとめられて、流れ出たがっており、それどころか荒廃と非人間化に抗して爆発したがっている。ところが、サラリーマンが最初に出会う俗流マルクス主義、そして事実めずらしいものではないそれは、かれらの『魂』をもう一度、理論的にも排斥し、その結果、反動的な『観念論』のもとへ追い返してしまうのだ。」(53頁)
資本主義の非人間的な合理主義、農村の土地さえもいらだたしい刺激に満ちた場所に変えてしまった開発技術主義、生活の窮乏と不安――そこからの「魂」の解放を求める中間層の願いは、こうして左への道を閉ざされ易々とあの「空洞」のなかへととりこまれる。ブルジョワ文化の陥没したあとに生じたこの空洞は、また、息をふきかえした「古いもの」がひしめいている非同時代性の場所である。中間層の反資本主義的な衝動は、この「古いもの」と、それが前資本主義の遺物であるが故に、いとも簡単に結びつく。彼らの資本の合理主義にたいする反逆は、自由の王国へ向っての人間の解放にではなく、非合理主義に安易な解決を求める。彼らの反資本主義的な衝動はここで、「生」「魂」「無意識のもの」「国民」「全体」「帝国」およびこれらと同類の反・機械主義に上って形をあたえられ、ヴァルブルギスの夜へと連れ去られる。そこでプロッホはつぎのように言う。――「もしも革命がここで、正当にも暴露をおこなうだけでなく、まったく同じように正当にも具体的に相手をしのぎ、ほかならぬこれらのカテゴリーが古くはどう所有されていたかを想起しようとしていたならば」「これほど百パーセント反動的な利用のしかたをされるものではなかったであろう」(序言)と。「国民社会主義的イデオロギーの成功は、ユートピアから科学へと社会主義があまりにも大きな進歩をとげてしまったことにたいするそれなりの受領証なのだ。」「俗流マルクス主義者たちは、原始とユートピアのなかを監視していない。国民社会主義者たちは、ここを誘惑の場としているわけだが、それが最期の誘惑ではないだろう。地獄も天国も、ベルゼルケルも神学も、戦わずして反動に引き渡されてしまったのだ。」(62頁)
プロッホは、世のなかには遅れた部分がまだ残っている、それが反動の溜りになるのだからそれを粉砕せよ、などと呼びかけているのではない。ましてドイツの後進性などを云々しているのでもない。彼は「空洞」のなかに舞いあがる塵挨のなかに、古いものという形を通して、「もはや意識されなくなっているもの」としての人間の原初の夢や希望がかくされていること、それを過去に向ってではなく、未来の光によって照らし出し、「まだ意識されていないもの」を呼び覚ませと訴えているのである。「陶酔は、ただ嘘のためにのみ生じる。けれども、その陶酔のなかにある歳の市、幸福を描く通俗読物、『人生の始め』にむかっての歩み、いわんや宇宙神(パン)の森のざわめき、海のざわめき、これらは、意図に反して、叛逆的なしるしをおびているのだ。メールヒェンは、自分がそこへ追放されている民族的説話から脱したがっており、最初の『始め』のユートピアは、たんなる『太古』の先史的なものから脱したがっている。この『太古』とは、救いがたく過ぎ去り失跡してしまっているものか、さもなければ中断させられた未成の内実を内包したものかの、どちらかである。そして、これらのロマン主義的な名称を付された内実の、依然として残されている意義は、みずからロマン主義的にではなく、未成のもの、まだ成っていないものの志向からのみ、要するに、とどめられている過去からではなく、おしとどめられている未来の道からこそ、明らかにされるのだ。」(114頁)
こうしてプロッホは、「占拠」のためのたたかいに出陣する。まずはじめに必要なのは「識別と偵察」だ。彼は「空洞」のなかのあらゆる事象を、あたかも昆虫学者がルーペで観察するように微細に観察する。メールヒェンから通俗読物にいたるまで、いやそれどころか、多種多様な「オカルティズム」から生命神話にいたるまでが観察の対象になる。『この時代の遺産』一巻はその観察ノートであり、しかもこのノートは、個々の観察メモの断片のモンタージュによって成り立つ一つの試行としての「作品」なのである。これらの観察メモ群から、たとえばカール・マイの大衆小説、ルドルフ・シュタイナーのオカルティズム、ストラヴィンスキーの音楽、フッサールの現象学、シュペングラーの「西欧の没落」、ベルグソンのエラン・ヴィタール、ニーチェ……、またブレヒト、ルカーチ、ペンヤミン、クラカウアー……、とかぞえあげ、そこから何行かを引用してもあまり意味のあることではない。なぜなら、なん度もくりかえすように、これらの断片のモンタージュこそが、この本の内容なのだから。
さて、半世紀をへだてて、私たちがこのノートに書き加えるとすれば、それはどのような観察記録だろうか。いやその前に、プロッホの観察のなかで、なにがいまに生きており、なにがほろぴたかを検討しよう。疑いもなく生きつづけているのは、科学主義、技術主義、合理主義の一種としての「俗流マルクス主義」への批判である。ほろぴたのは、歴史をすすめるのは「同時代性」の矛盾だけであって、プロレタリアートはいかなる時にも「古いものによってたぶらかされることはない」(92頁)という神話である。そして<いま>の問題として言えば、かつては「同時代性」と「非同時代性」を截然と区別することができるように見えたとすれば、今日では、たとえ現象的にでさえも、この区別はそれほど自明ではないという点である。ブルジョワ文化の陥没によって生じた非同時代性の「空洞」は、今日ではそのまま同時代性のなかにとりこまれ、その活性化の仕掛けに機能転化されている。たとえばシュタイナーの神秘主義が朝日カルチャー・センターのカリキュラムに組み入れられるように。これはプロッホの時代区分で言えば、私たちがまだ「サラリーマンと気散じ」の時期にいるからなのだろうか。たしかに人びとの大半は中流意識にとらわれ、しかし前途になんの希望もなく、毎日の業務のうさを夜の気散じにまぎらせている。そして「俗流マルクス主義」はますます俗流化し、人びとの魂の渇きにふれる何者ももたず、むしろ大資本のカルチャー産業が喜劇的にその代りをつとめている。
この道のさきに、また「陶酔」の時代がくるときめることはもちろんできない。もちろんそれは防がねばならない。しかし、それを防ぐことは、<いま>をこのままつづけることではない。この「空洞」にもう一度、弁証法的な塵挨をまきおこし、そこを占拠して真に非同時代的な場に変えることが必要である。真の非同時代性をつくり出すことによって、同時代性そのものを再構成することが必要である。「変革への意志は、ただ単にカンヴァスや紙のうえだけに限られているのではない。言うならば、芸術的にショックを与えることで満足してしまうような芸術的なものに限られているのではない。そこを支配するのは、先史的なものの、孵化しつつあるものの優位などではさらさらない。しばしばベンにみられるようなわざとらしい晴間や偽造された洪積世などではさらさらない。そうではなく、もはや意識されていないものを、まだ意識されていないもののなかへ組み入れること、とうの昔に過ぎ去っているものを、まだ少しも現われていないもののなかへ、先史的な被覆をかぶったものを、ついにそれにふさわしいものとなるユートピア的な外皮除去のなかへ組み入れること、これなのである。」(389頁)
「それは、瓦解のための瓦解などではなく、より本当の世界の形象に席を与えんがためにこの世界を吹きぬける嵐なのだ。」(同)
(『新日本文学』1983年9月号)
ヲ本書は1994年11月に同じ訳者によって〈ちくま学芸文庫〉から再刊された。