「速度」を無効にするために

 戦争の社会化・日常化ということをわたしが言ったのは、ソ連の崩壊と湾岸戦争を経験した後で、いままでの戦争についてのわたし自身のイメージや概念を再検討しないといけないな、と思ったからだ。この連載はわたしとは関係なく、編集部が独自に企画したもので、わたしは一発言者として「動員」されたにすぎないが、ことがらの成りゆき上、最初のわたしの問題意識を再確認しておきたい。
 昨年は戦後50年ということで、多彩な言論が飛び交ったが、どのような立場のものにせよ、それらに共通していたのは戦後の50年は平和だったという認識であった。そしてそれを少しも疑わず、どちらの立場にせよ、この有り難い平和を大切にしようということで話は終わるようであった。
 しかし第二次世界大戦が終わった後の50年間が平和だったと思っているのは、世界中でおそらく日本人だけである。実際、アメリカ合衆国は朝鮮戦争からベトナム戦争、さらに湾岸戦争と、ほとんどたえまのない戦争をつづけてきたし、フランスのインドシナ戦争、アルジェリア戦争、イギリスのフォークランド戦争、ソ連のアフガン戦争、中国のヴェトナム国境戦争等々、この50年間は世界戦争こそなかったものの世界は戦争に満ちていたはずだ。それが、日本人にとってはありがたい平和の時代と「実感」されるのには、なにか根本的なところで大きなまやかしがあるとおもわれる。戦争にかこまれ、国内に米軍基地をかかえたままで、この50年を平和だったと感じることのできる感性には歪みがある。
 しばらく前に、PKO海外派兵の是非が国会で問題になったときに、右派系の評論家が「一国平和主義の克服」という言葉をつかって海外派兵を正当化しようとしたことがあったが、それとは正反対の立場で、わたしたちも平和についての一国主義的な感性を克服することが必要になっているとおもう。
 米ソ冷戦の時代には、その対立のはざまで一国の中にとじこもるという主張は、かならずしも一方的に批判されるべきものではなかっただろう。第三世界の中立主義でさえ、大枠では中国とソ連の世界戦略に組み込まれてしまうという構造の中では、一国平和主義もまたひとつの選択としてありえたとおもう。
 しかし米ソ冷戦のおわりは、そういう中立主義の基盤自体の消滅をも意味した。と同時に、この一国主義によって積み重ねられてきた「まやかし」が全面的に顕在化することでもあった。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、そして湾岸戦争と、これほど積極的に米国の戦争に加担しながら、どうしてその時代を「平和」と呼び、またそう呼んだだけでなく平和と実感できたのか。
 おそらく、日本人の戦争と平和についてのイメージあるいは理解には、なにか大きな狂いがあるのである。その狂いの淵源をたどっていくと、どうも二代にわたる天皇が、口を開けばくりかえす、戦争を「過去にあった不幸な一時期」とよぶ、あの感性にたどりつく。その不幸をつくりだした人間についてはひとこともふれず、そういう時代を生み出した原因の探究には顔をそむけ、あたかも遠いむかしに人類が遭遇した天災ででもあるかのように語るあの語り。そして日本人の大半が無自覚にその口まねをしているあの語りだ。
 つまり、戦後50年を平和だったと感じるその実感を支えているのは、じつは「平和天皇」のディスクールにほかならないのではないか。
 わたしは湾岸戦争を契機に、自分自身の戦争と平和についての理解を再検討する必要を感じたとのべたが、それはSF風な未来戦争を予想することではない。百歩ゆずって、たとえそれが未来を見ることであったとしても、未来は過去を通してしか見ることができないのである。
 ところで、わたしは湾岸戦争の直後から、戦争とは「速度」であるという、いささかポール・ヴィリリオ張りの主張をあまり深く考えもしないで言ってきたが、しかしそれがあの戦争を経験したわたしの、いつわりのない実感にねざす「発見」だったのである。もう一歩すすめて言えば、戦争は社会の中に「速度」というかたちをとって遍在している。つまり日常化している。おそらくこれからの戦争は、事前の動員、宣戦布告、そして会戦というような古典的なかたちをとることはあるまい。
 しかし連載の最初でも言ったように、これは半分の正しさしか言い得ていなかった。湾岸戦争はこれからの戦争=未来戦争の予告編だったのではなく、過去の戦争の極限のかたちだったのではないか。そしてこれからの戦争は、むしろだらだらとつづく、敵味方が混在する、ひとつの地域全体が前線も後方もないまるごとひとつの戦場になってしまうような、そういう「紛争」ではないだろうか。まだ国民国家間の戦争の時代が終わったわけではないが、しかしそれと共存して、戦争の二極分解――上方への、つまり「多国籍軍」による超戦争と、下方への、つまり社会化された戦争への分裂がおこっているといえるだろう。だとすれば、「速度」にたいして「減速」を対置するだけでは、ほとんど意味がない。
 これは日本一国を問題にする場合でも類比的である。日本を覆っているめまぐるしい「速度」の裏側には、戦後平和主義をささえた天皇的ディスクールがあることはさきに述べたとおりだ。ところでみなさんは、天皇が走っている姿を想像できますか。天皇は「減速」の象徴でもあるのだ。
 「速度」に「減速」を対置するのではなく、「速度」そのものを無効にすること。「距離」があるからこそ「速度」が問題になる。「距離」を無限に縮めること、そのための「運動」が必要なのだ。

(『派兵チェック』1996年12月15日号)