池田浩士はいままで一度もドイツに行ったことがない。彼は来年(二〇〇四年)の三月で京都大学を定年退職することになるが、三十六年ものあいだ大学に籍を置きながら、その間にいくらでもあったであろう研究留学の権利を一度も行使しなかった。両大戦間のドイツの文学と思想を研究対象の一つとする研究者にとって、これは異常なことのように見える。しかしここには歴史に向き合うときのひとつの「態度」が示されているのである。
その場所に行っても見えない者には見えない、その場所に行かなくても見える者には見える――必要なのは、その時代の社会と人びとをそのもっとも具体的な姿で再構成する「想像力」なのだ、と彼は考えている。
戦争中の日本を語るとき、若い世代から「その頃、わたしはまだ生まれていなかったからよくわからない」という反応に出会うことがある。このような判断の停止を、池田浩士はイマジネーションの欠如としてきびしく批判する。そしてその批判は、その時代を体験できなかった世代にたいしてだけでなく、その時代を体験しながらそこから何も学ばず、何も見ようとしない者にも向けられる。その時代を体験したかどうか、その場にいたかどうかは、それほど重要な問題ではない。重要なのはそこで何が起こったのか、なぜそれは起こりえたのかを知ろうという意志であり、それをあたかもそこに自分がいるように思い描くことのできる想像力なのである。歴史を知る、あるいは歴史と向き合うとは、そういうことなのだ。文献や資料を積みあげることが歴史の研究ではない。その向こう側にその時代とそこに生きた人びとを、いきいきと思い描くことが歴史を知るということなのである。
われわれは学ぶことができる。たとえばナチスのユダヤ人大量殺戮について、日本軍の南京大虐殺について、本を読み学ぶことができる。それはとても大事なことだ。まず事実を知る、それがなければ何事も始まらない。しかしそれは出発点にしかすぎない。なぜそんなことが起こったのか、なぜそんなことが起こりえたのか、その「なぜ」をつきつめていくことこそが大切なのだ。歴史を学ぶということは、この「なぜ」をくりかえしくりかえし、突き詰めていくことだと私は思う。
この「なぜ」を突き詰めていくにあたってまず採用できるのは、そういう出来事を産んでしまった原因を、その国家と社会の構造を科学的に分析することによって解明するという方法である。たとえば、明治維新以後の日本が近代化の道を歩むにあたって、なぜ中国や朝鮮にたいする侵略をしたのか、なぜ、戦争を繰り返さなければならなかったのかというその「なぜ」を、日本の経済構造や国家形態の分析から明らかにするという研究だ。このような研究は、戦前の一九三〇年前後にすでに主としてマルクス主義の立場に立つ社会科学者たちによって成し遂げられていた。だから、それらを無視してあの戦争を「誤り」とか「不幸」といってすますのは、不勉強であるかあるいは真相に目をふさぐことでしかない。なぜなら、この構造を変えないかぎり戦争は避けられないと、これらの社会科学者たちは警告していたのだから。社会を変えるのか、あるいは戦争を容認するのかという二者択一に、このとき日本人は直面していたのである。そしてほとんどの日本人は戦争をえらんでしまった。また社会を変えることを目標として掲げた政党や運動も挫折した。ここにもまた「なぜ」という問いが生まれてくる。
つまり、社会科学的にある出来事の原因が解明できたとしても、それで「なぜ」という問いは解消しないということだ。社会科学的な研究は大切である。しかしそれは出来事が演じられる舞台の構造を明らかにするだけだ。出来事を演じるのは人間なのである。戦後の進歩的な歴史学は舞台の構造を解明するにとどまった。演じた人間はついに登場しなかった。彼らにとって人間は、舞台のカラクリにダマされた善良な、あるいは無知な者でしかなかったのである。
ある出来事を生みだすのは歴史の必然性というようなものではなく、人間の行為だ。その行為が歴史の必然性によって制約されているということは、ごく大局的に見ればたしかに言えるだろうが、「なぜ」が問われるのはそこではない。感情から理念にまでいたる個人の心情とそれに支えられた行為が、問題なのである。池田浩士は、ナチズムがその当初において「抑圧からの解放と豊かさの実現を、新しい秩序と新しい倫理との建設を、目標として掲げるものだった」と指摘した後に、つぎのように言っている。少し長いが引用しよう。
「当然のことながら、運動の担い手たちの動機、少なくとも当初の動機の誠実さや真摯さを根拠にして、ナチズム支配下における暴虐を正当化しあるいは免罪することなどできるものではない。だがそれと同時にまた、その暴虐のゆえに、民衆がナチズムにたいして抱いた期待や運動の担い手たち自身の意図を、あたかもそれらが存在しなかったかのように度外視し、あるいはそうした期待や意図を最初から断罪してかかるとすれば、ナチズムの現実に迫ることはついにできないだろう。なすべきことは、民衆のこの期待が、具体的にはナチズムの何にたいして向けられていたのか、そして運動の担い手たちの主観的な真摯さと誠実さが、具体的にどのようなものとして発揮され、それが民衆の期待とどのように共鳴しあったのかを、明らかにすることであり、この共鳴関係がどのようにしてあの凄惨な抑圧と殺戮と侵略の機構を構築していくことになったのかを、具体的に解明することにほかならない。/この解明の作業が、可能なかぎりのあらゆる資料を手がかりにして、あらゆる分野にまたがる多様な方法によってなされねばならないことは、言うまでもない。ただ、そのさい重要なことは、事後の視線で過去の現場を見るという態度をできるかぎり避ける、という基本姿勢である。」(「ドイツ・ナチズム文学集成・1」解説)
ここには池田浩士が歴史に向き合うときの基本的な姿勢が端的に述べられている。ある出来事――たとえばナチズムとか「大東亜戦争」という出来事が完結し、その結果が誰の目にも明らかになった後に、それを批判し否定することはむずかしいことではない。もちろんそれはそれで必要なことだが、しかしわれわれにとって重要なのは、そのような「事後の視線」から過去の出来事を断罪することではない。わたしたちは検事や裁判官のように「裁く者」ではないのだ。むしろ歴史の共犯者としての被告あるいは被告になりうる者なのである。だからといって、自分を卑下しているわけではない。被告だけが生活者であり行動する者なのだ。法廷のなかでは裁判官も検事も弁護人でさえも生活者ではない。だから彼らは責任を問われることがない。被告だけが自分の行為の責任を問われる資格を持っている。だから被告は裁判官や検事などより人間的なのである。
なぜ人びとは、あのようなとてつもない出来事を容認し、積極的に加担してしまったのかと問うことが必要なのだ。その問いを手放すことなく、それをいま現在の自分の生き方のなかに生かすことが必要なのだ。なぜなら、とてつもない出来事は同じ姿では繰り返されないからだ。それはまったく違った姿でわれわれの前で繰り返されているのかもしれない。いや、繰り返されていると言うべきだろう。しかし「事後の視線」で過去を過去のこととして見ているかぎり、それは見えないのだ。昔の人たちが、目前の事件の「とてつもなさ」を見ることができなかったのと同じように、いまのわれわれにもそれは見えない。それを見ることのできる目を鍛えること、それ以外にわれわれが被告席から解放される道はない。そしてその際、二〇世紀の文学や芸術が残した作品や芸術運動の経験が、大きな意味をもってくると池田浩士は力説しているのである。
彼も講演のなかでふれている二〇世紀初頭の前衛的な芸術運動の理論家だったシクロフスキーは、「手法としての芸術」という論文のなかで「生活が無意識的に過ごされていくのなら、そのような生活は存在しないも同然なのだ」というトルストイの言葉を引用しながら、つぎのように言っている。
「そこで、生の感覚を取りもどし、事物を感じとるためにこそ、石を石たらしめるためにこそ、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は、再認=それと認めることのレベルではなく直視=見ることのレベルで事物を感じとらせることである。そして芸術の手法とは、日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する〈異化〉の手法であり、形式を難解にして知覚をより困難にし、より長びかせる手法なのである。というのも、芸術にあっては知覚のプロセスそのものが目的であり、そこで、このプロセスを長びかせねばならないからである。芸術は事物の成りたちを体験する方法であり、すでに出来上がってしまったものは芸術においては重要ではないのである。」
芸術とは驚きの発見である。わたしたちの感覚は、日常の生活のなかで鈍磨し惰性化してしまう。それは避けられないことだ。路傍の石を見ても、自分の頭のなかにある「石」という既成の概念をそれに投影し、ああ石があるなと言って通り過ぎてしまう。そこにある石そのものを見ることはない。それが繰り返されると石があること自体、知覚されなくなる。石の場合ならせいぜい蹴つまづく程度ですむが、これが社会的な事象の場合はそうはいかない。それはその事象を容認し、共犯者になるということだ。自分の生活を取りもどすことは、このような惰性化した感覚を揺さぶり目覚めさせ、人と物にたいする自分の関係を活性化させることなのである。そのときわたしたちは自分の外にいままで見えなかった「他者」を発見するだろう。他者とは仲のいい隣人というわけではない。かつてサルトルはある戯曲の主人公に「地獄とは他者のことだ」と言わせたが、そのような他者との出会いこそ、わたしたちの惰性化した生活を根本から震駭させ、「生の感覚」をとりもどさせる衝撃となるのである。
ところがいまわれわれが生きている情報化社会のなかでは、このような「奇異なもの」もたちまち商品化され惰性化してしまう。われわれに驚きをあたえた前衛的な表現も、数年の後にはコマーシャリズムに取り込まれ、ポスターやデザインとして街にあふれる。驚きの発見もパターン化した怪奇小説の流行となる。しかしわたしたちはそれをただ否定すればいいというわけではない。本来それらは何を表現していたのか、それらを好んで受け入れる人たちは、本来はそこに何をもとめていたのか、そして何を求めつづけているのか、という視点からそれらを「読みかえ」ていく必要があるのだ。
ここからわかることは、惰性化のプロセスは繰り返されるということだ。そこから脱出したとしても、その脱出した地点もまた遠からず惰性化してしまう。世のなかには、惰性化した前衛芸術家、惰性化した思想家、惰性化した革命家が掃いて捨てるほどいる。惰性化からの脱出は、永久に繰り返される終りのない試みなのだ。それが人がまっとうに生きるということなのである。
(池田浩士著『歴史のなかの文学・芸術』解説、2003年12月、河合文化教育研究所刊所収)