「始まり」に向かって

季刊『aala』創刊の辞

 その陳腐さを百も承知のうえで、やはり敢えて、あの時代は終わったのだと言おう。もちろんそれは、いままでにジャーナリズムが著名な人物の死に際して繰り返したような、「一つの時代の終り」などではない。それは、ある一人の人物の死がもたらしたのでもなく、また「か細い大砲の音が咳をするように鳴って」終わったのでもなかった。銅鑼と歓声と祝祭の花火の喧噪のなかで、その時代はじつにあっけなく終わったのだった。
 終りは言うまでもなくベルリンの壁の崩壊とソ連の解体に象徴される。そしてもし、何かが始まる気配があるとすれば、それはこの二つの崩壊の間に突然顔を出した戦争、言うまでもなくあの「湾岸戦争」にほかならない。それはこの崩壊の後の時代が資本主義の勝利でもなく、戦争の終りでもないことをはっきりと予告したのであった。
 終わったのは言うまでもなく「現代」という時代である。第一次世界大戦とロシア十月革命によって幕をあけた一つの時代があわただしく幕を閉じたのである。われわれはその幕間の少しばかり白けた、そして凍り付いたように動きを止めた時間のなかに佇んでいる。われわれが立っているのは現代ではなく、「現在=いま」なのだ。
 しかし、暴走したコンピューターの画面が、凍結したように静止するのとおなじに、この静止した「現在=いま」の内部で、世界は制御不能な暴走を始めたのではないかという危慎を抑えることができない。極東の島国で私的な利益の追求に明け暮れる政治家や官僚の、愚かなオプティミズムをあざ笑うかのように、危機は確実に潜行しているのだ。アメリカ合衆国を中心とする先進資本主義国(G7)の雇兵である「国連平和維持軍」にたいし、第三世界の民衆と先進資本主義国の下層民との不可視の連合軍が、地球規模の死闘を繰り広げるという構図こそ、つぎの「世界大戦」のおそらくもっとも現実的な想像図なのである。ニューヨークの貿易センタービルの爆破事件は、その先触れと言えるかもしれない。そこには宣戦の布告もなければ理念の明示もなく、したがって勝者もなければ敗者もない。あるのは解放のイメージを決定的に欠落させた暴力にすぎない。それはかつて「第三世界」が共有した倫理的な暴力とは異質のものである。そしてこれこそ現在の凍結した時間(歴史の終焉!)にたいする苛立ちと、しかしなお時間を解凍してふたたび歴史の流れを回復する方途を、いまだにわれわれが獲得していないことの表現なのである。
 言うまでもなく、歴史の解凍のためにはわれわれの「現在=いま」が、何処からきて何処へ行くのかという問いのなかに位置づけられねばならない。ロシア十月革命にはじまる「現代」の七十年間を虚妄の歴史と見ることは、たんに誤りであるだけでなく、われわれの「現在=いま」を見えなくさせるという意味で、まさに歴史の凍結(=「終焉」)を直接的に擁護するイデオロギーにほかならないのである。
 われわれはさしあたり、このような「すでに無い」と「まだ無い」の狭間で凍土と化した歴史を解凍し、ふたたび流動化するために、このすでに無い「現代」の始まり(始源)への探究と、まだ無い「未来」(テロス)への模索というふたつの作業を始めなければならないのである。この季刊『aala』はこの共同作業の場として、創り出された。
 われわれのアジア・アフリカ作家運動が一九五八年に発足してから、すでに三十五年がすぎている。アジア・アフリカの時代と言われた時代を背景に生まれた運動理念としての「バンドン精神」も、六〇年代の試練のなかでとうに色あせ形骸化していた。国家や党の主導する関係ではなく、民衆の自立的な通路を開拓することを通じての新しい「連帯」の可能性の追求が、七〇年代以降のわれわれの課題であった。そしてそれはまた、「バンドン精神」の乗り越えであると同時に、ある種の「第三世界主義」からの脱却の過程でもあった。それは「第三世界」をたんなる地理的概念としてとらえ、そこに夢を託すようなロマン主義を脱して、もういちど「世界」に立ち帰ること、その「世界」のなかに遍在する第三世界と出会うことであった。
「オリエンタリズム」に媒介されたアジア・アフリカ・ラテンアメリカのイメージは、いまやこの国に氾濫している。それはけっして小さくはない市場を形成するまでにいたっている。そういう状況のなかでは、われわれの仕事はより「批評的」であることが望まれるだろう。われわれは季刊『aala』の発刊趣意書(一九九二年十一月四日)のなかにつぎのように書いた。
「さる十一月三日に開かれた九二年度会員総会で、この一年間継続して討議されてきた懸案の機関誌問題が検討され、『aala』を現行の月刊から季刊とするとともにぺージ数も大幅に増やし、文学・芸術・思想の現状に対して鋭く切り込めるようなメディアにしていくことが決まりました。言うまでもないことですが、現在の日本にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの芸術作品は大量に輸入されております。それは一種の流行現象とさえ言えるほどです。しかしその大量流通の陰に、真に紹介されるべき多くの作品が覆い隠されているのではないかとわたしたちは憂います。しかしそれにもまして問題なのは、批評の決定的な欠如です。自分のいる場所、つまりこの《日本》を対象化し反省する経路と契機をもたないたんなる紹介は、ただの流行あるいは文化の消費でしかないと言えるでしょう。わたしたちは季刊『aala』を通じて、以上のような欠落を埋めるとともに、激変している世界の中で<第三世界>と通底できるあたらしい思想を模索していきたいと思います。」
 いまわれわれは奇妙な、しかし喜ぶべき状況に置かれている。勝利し世界に君臨したものが、必ずしも現実的であったわけではなく、挫折し消え去ったものが必ずしも非現実的だったわけではないという状況である。ここでは、現実と幻想が、勝者と敗者が、権威と異端が、すべて同等の資格で同じ平面に並ぶことができるし、また並んでいるのである。「現代」――はっきりと言おう、この戦争と革命の時代――のあらゆる試みを錯誤と失敗として闇に葬るのでなく、まさにその反対に、「現代」という時代がわれわれに突きつけた課題=プロプレマティックの全体の再確認に立って、その解決のために捧げられたすべての試み――なかんずく、押しつぶされ絞め殺された試みの発掘と再評価を通じて、もっと違った「現代」が可能であったであろうような「もう一つの可能性」を発見しなければならない。そのような過去(始まり)に向かう眼差しは、かならず目標と理念の再構築という未来への眼差しを生み、未来への「始まり」となるに違いない。

(季刊『aala』1993年5月号)