「自由主義史観研究会」が発足したとき、彼らがかかげた立場は「コミンテルン史観」でもなく「大東亜戦争肯定論」でもなく、もっと自由な立場から日本の近現代史を見直そうというものだった。しかしその会の代表者もふくめ、彼らの中心部分がわずか半年あまりの後には、「新しい歴史教科書をつくる会」の活動を通じて「大東亜戦争肯定論」の今日的なヴァリエーションに移行していったことは知られるとおりである。
そもそも彼らがかかげた「自由主義史観」なるものが、せいぜい司馬遼太郎を引き合いにだす以外にほとんどなんの実質も示しえなかったことに象徴されるように、彼らの学問的なモチーフの強度がどの程度のものであったのかは、はなはだ疑わしいと言わねばならない。しかしそれにもかかわらず、この自由主義史観の「挫折」には日本近代史のある種のアポリアが表現されていると言えるだろう。そのアポリアが「大東亜戦争肯定論」をくりかえし浮上させ、保守政治家の「妄言」をさそっただけでなく、それに対抗する革新政治家や進歩派歴史学者の歴史認識を「紋切り型」の域におしとどめているのである。
この日本近代史のアポリアを、ある意味では的確に指摘しながら、それを歴史への居直りによって無化してみせたのが林房雄の『大東亜戦争肯定論』にほかならない。ここには今日までつづく「肯定論」の論点のほとんどすべてがふくまれているだけでなく、その分析と展開において、本書をこえる「肯定論」はその後もあらわれていないと言っていい。時流に乗った「肯定論」が横行する今日、ひさしく絶版となっていた本書が再刊されたことはよろこばしい。なぜなら本書によって展開されている「肯定論」を、説得的に克服できない限り、「大東亜戦争肯定論」の亡霊はけっして消滅しないからである。
こんどひさしぶりにこの本を再読して、最近の「肯定論」者には絶えてみられない語りの真摯さに、私のようなあの時代を体験した人間はちょっと心をうごかされるところがあった。この本をめぐっては雑誌連載当時から歴史学者からおおくの批判がよせられたが、それから四十年近い年月がたち、その間に内外から多様な資料が発掘された今日では、本書を歴史学の立場から批判することははるかにたやすくなった。しかしにもかかわらず、本書はいぜんとして「生きている」と言える。なぜならここには歴史学の対象としての「あの時代」ではなく、「あの時代」を生きた人間が自分の実感をなんとか論理化しようとする苦闘があるからである。「私の『大東亜戦争肯定論』はイデオロギーではありません。私個人の思想です」と林房雄は書いているが、自己正当化の誘惑が絶無だったとは言えないとしても、この言葉は額面通りに受け取れるとおもう。
林房雄の「肯定論」の中心をなす主張は、日本は一九四五年八月一五日にいたる百年間、欧米列強に抗して急速に近代国家を形成するために、避けることのできないただ一つの連続する戦争(「東亜百年戦争」)をたたかってきたのであり、四一年一二月八日に始まる「大東亜戦争」はその全過程の帰結だった、というものである。この過程における朝鮮併合や中国大陸、東南アジアへの進出は、欧米諸国への対抗であり、そこにはアジア民族解放の契機を含んでいた。そしてこの過程を押し進めた原動力は経済的要因ではなくナショナリズムであり、それの集中点は「武装した天皇制」だった、と主張する。
戦争が常態であり平和はその間隙の例外的な状態にすぎないというのは、敗戦までに生きた日本人に共通した実感である。林房雄はこの圧倒的な戦争の存在を「東亜百年戦争」と呼んだが、コミンテルンもまた戦争は日本資本主義の生みの親であり、育ての親であると主張した。彼のマルクス主義者としての出自を考えれば、林房雄の「東亜百年戦争」史観が、日本の近代化にとって戦争は不可避だというコミンテルンのテーゼの影響とまったく無縁だとは考えられないが、またそこには決定的な違いがある。戦前のマルクス主義が日本経済の特殊な構造から戦争の不可避性を論証し、そこからの脱出の道としてプロレタリア革命に急速に転化するブルジョワ民主主義革命という戦略を導いたのに対し、林の「肯定論」には日本の経済構造についての視点もその変革についての考察も一切ない。「東亜百年戦争」の原因はもっぱら外部、すなわち日本の征服を意図する欧米帝国主義にもとめられる。こうして「東亜百年戦争」はひとつのゆるぎない必然性になってしまう。
この「ゆるぎない必然性」のまえでは、あの戦争を「あやまち」とよび「あやまちはくり返しません」と誓うだけの戦後平和主義は無力である。戦争を必然化する構造を変革するたたかいに敗北したとき、文字通り戦争は必然化したのである。
林房雄にとって「東亜百年戦争」は「あやまち」などではなかった。その善悪にかかわらず避けることのできない道だった。「大東亜戦争」の敗北は予見されていた。にもかかわらず日本はその戦争を戦わなければならなかった。そしてその戦いの中心にはつねに「武装した天皇制」があった、と彼は主張している。彼のナショナリズムは戦中・戦後をとおして一貫している。彼は昭和天皇が自分の戦争責任について『独白録』のような弁解と保身の文書をGHQに提出していたのを知らず、それを読むことなく一九七五年に死んだ。もし彼が『独白録』を読んだら彼は憤死しただろう。「大東亜戦争肯定論」と「平和天皇」という虚像は共存し得ないのである。「新しいナショナリズム」の主張者たちもまた、この本によって鋭く挑戦されていると思う。
(『図書新聞』2001.11.10号)