憲法のイリュージョンについて

 憲法の問題を考えるとき、かならず頭のどこかに浮かぶのがこの、「憲法のイリュージョンについて」という言葉だ。それは敗戦直後のいわゆる「新憲法」論議のなかでのかすかな記憶でしかないのだが、当時、いくつかあった共産党の準機関誌のような雑誌の一つである『社会評論』の巻頭にのった論文で、わたしはそれをこの四十五年あまりのあいだ、ずうっとレーニンの論文の題名だとばかり思っていたのだが、こんど『レーニン全集』を調べてみてそういう題名の論文が見当たらないのに驚いた。しかし戦前の『レーニン選集』の第2巻には「憲法幻想との闘争」という章立てがあるので、あるいは一九〇五年革命におけるレーニンの憲法問題についての論文の抜粋にそういう表題をつけたのだったかも知れない。その『社会評論』がいまは手許にないので確かめることができないが、それはどうでもいい。しかしこの言葉がすぐに浮かび、それはいつか「イリュージョンとしての憲法」というふうに転倒してしまったのだった。
 敗戦後の「新憲法」論議の時の共産党の主張は、現に進行中の「民主革命」を現状でおしとどめてしまうという理由で性急な憲法制定に反対するというものであった。あくまでも憲法は「現状」の反映であるべきで、現実に則さない美辞麗句はたんなる幻想でしかない、というわけである。この論理は説得的であったと思う。わたしじしん、明治憲法体制を「エセ立憲主義」(Scheinkonstitutionalisumus)と見る立場を支持していただけでなく、それが二十年足らずの人生のまぎれもない実感であったから、タテマエと現実は大違いというのが当たり前の憲法観だったのである。
 どうもその頃から、憲法論議というとシラケルというのがわたしの習性となったらしい。どうしてもイリュージョンという言葉が浮かんできて、問題は「現実」だろう、「現実」をどう変えるかだろう、などと公式主義まるだしのタダモノ論をふりまわして顰蹙を買うのを常とするようになったのである。
 しかしながら、「新憲法」のなかでただ一つ、厳密に「現実」を反映した条項があった。それが第九条である。あれはイリュージョンでも理念でも目的でもない。現実そのものの単純な追認なのである。あのとき、日本にはいかなる軍備も存在しなかった。あのとき、もう一度戦争をやろうなどという気力をもっている日本人は、ただの一人もいなかっただろうと思う。これは「現実」なのである。だから「現実」に批判的な共産党の野坂参三だけがラジオ討論会で、「軍備のない独立国なんか存在しない」と「正論」をかかげて第九条に一人反対していたのが、昨日のことのように記憶に残っている。
 その後、朝鮮戦争の前後から戦後復興期を経て高度成長期に至る過程で、世界有数の軍事大国になるその一歩一歩に、この第九条はヴェールをかける役割を演じ続けたのである。第九条があるから日本は平和国家だ。第九条があるから、日本には軍隊は存在しない。第九条を守れ、再軍備反対! これが世界で二、三位を争う軍備と「防衛」予算をもつ国の、「革新陣営」の姿だ。イリュージョンどころか逆立ちした観念論の自縄自縛にあっている姿だ。
 なぜこんな情けないことになったのか? それはさきにも言ったように、第九条が理念でも目標でもなく、たんなる「現実」追認でしかないという事実を見失って、日本の再軍備の進行の過程でとつぜんそれに過剰な期待をもってしまった結果なのである。再軍備反対はとりもなおさず第九条を守ることになり、いつしかあの「反革命的」な憲法は「平和」憲法と呼ばれるようになった。たんなる「現実」の追認であったものが、とつぜん人類の崇高な「理念」になってしまったのである。これをイリュージョンとよばずしてなんと言おうか。
 じつは九条論議のほとんどすべてが、「軍備のない独立国なんか存在しない」という野坂参三のブルジョワ政治学のレベルと一度も対決しなかったのである。「軍備のない国家」とはブルジョワ政治学の対象である国民国家の範疇をこえるものなのである。もちろんそれは、プロレタリア独裁というレーニン主義的国家体制とも異なる。「九条を守れ」というスローガンは、正確に言えば、それを「夢」として語るのではなく、いま、ここでの課題として、それにふさわしい具体的な内容にするということである。それは理念であると同時に、現実的な経済構造の再編成であり、社会・政治制度の改編であり、文化の革命(つまり生活の革命)を不可欠とする全体的な構想の問題なのである。もっとはっきりと言おう。それは国家の死滅の決定的なプロセスなのである。
 その理解ももたずに九条を守れなどということはもう言うな、などと言ったら、また年寄りの妄言と顔をそむける人が多いだろうな。