大杉栄をはじめて読んだのは中学の四年生の頃だった。私のように、ものごころのついた時にはもう戦争があって、本らしい本を読み始めた頃には岩波文庫の白帯はあらかた絶版になっているという時代に育った世代にとって、その時代に大杉栄と出会うのは相当に希有なことに属する。
書店からも古本屋からも思想とか社会とか名のついたまともな本が一掃された時代に、私の渇をいやしてくれたのは、改造社版の「現代日本文学全集」だった。この「昭和」のはじめに円本ブームの先駆けとなった全集は、震災後の小市民住宅に流行した「応接間」と呼ばれた洋風の空間に、家具調度品の一種として読まれることもなく飾られているのを常とした。このなかの「社会文学集」や「プロレタリア文学集」あるいは「新興文学集」こそ、遅れてきた左翼少年にとって秘められた愛読書にほかならなかったのである。私はこの「社会文学集」のなかの、大杉栄の「自叙伝」と「日本脱出記」をことに愛読し、再読、三読した。
なにがそれほど私を引きつけたかといえば、おそらくそれは「文」にまで結晶した自由な精神の動きとでもいうものであったろう。文は人なりというような格言は、近来すっかりかげを薄くしてしまったが、私にとって大杉栄の文はまさに大杉栄の人であり、それは自由を論じているがゆえにではなく、その存在自体が自由であるという強烈な印象ゆえに、少年の私に決定的な影響をあたえたのだった。
自由を論じる人は多い。自由を主張し行動する人も少なくない。しかしその存在自体が自由であるような人はまことに少ない。大杉栄は間違いなくその数少ない人のひとりだった。
戦争中というのは一種の閉じられた時間と空間で、外国の文物はほとんど入っては来ず、また過去の日本の思想流行もさっぱりと無関係に現在があるように思われた。だから私のようにその中でものごころついた少年にとっては、「大正」の教養主義とアナーキズムが「昭和」のマルクス主義と共存雑居しても、なんの不都合もなかったのである。思想が進歩発展するという考えにいまも私がどこかで同調しえないのは、この思想雑居の体験が抜きがたく残っているからであろう。
大杉栄も一つの過渡期に、思想雑居がもつ可能性を一身にそなえてそれを最大限に発揮した人間だった。それは新しい衣装のように思想に流行を追い求め、あるいは異端追放に純粋を誇示するような、その後のマルクス主義をふくむ「現代思想」とはまったく異質のものであった。そしてこのことは大杉栄の自由と深く関係していると思われる。思想が世界を変えるのではない、世界を変えるのは人間なのである。
(大杉栄らの墓前祭実行委員会編『自由の前触れ』1993年9月、所収)