「戦後決議」と大東亜戦争肯定論
              

 最近はすっかり見かけなくなった言葉に「自己批判」というのがあるが、昔はなにかというと自己批判しろと強要され、わたしなどおおいに閉口したものだが、これがまた「はい、自己批判します」というとそれでチャラになるという便利なところもあって、その後の「総括」なんていうおどろおどろしいものにくらべると、どこかのんびりしたところもあった。
 つぎの選挙をにらんだ党利党略の「戦後決議」論議をみていると、もういちど「自己批判」という言葉を復権したくなる。もちろん「自己批判します」と言ってチャラになるような国会議員並のものではなく、わが同志ヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチが明確に規定したような意味においてである。かれはこんなふうに言っている。
 まず誤りを誤りであると認めること、つぎにその誤りがなぜ生まれたのかを究明すること、そして最後に、ふたたびおなじ誤りをおかさないための具体的な行動をとること。
 これを「戦後決議」論議に当てはめてみれば、与党決議案がこのとばくちのところで落第だということは言うまでもない。国会決議になんの期待ももっていなかったから、これ自体はなんということもないが、さて、われわれ自身の方ははたしてこの自己批判のルールにてらして、どこまでいっているかと振り返ってみると、やはりそこには問題が山積しているとおもわれる。
 敗戦五〇年を契機にした当面の課題は、謝罪・保障・不戦という現実的かつ緊急のものであることはたしかだ。これを日本国の公式の意志として表明させる/表明する(なんと言おうと、われわれは税金を払って政府を支えてしまっている「国民」なのだから)ことは、最重要な課題に違いない。最重要ではあるが、これは比較的黒白のはっきりした単純な問題だ。植民地支配が正義に反すること、それを償うべきこと、中国を始めアジアへの戦争が侵略戦争であったこと、それを謝罪し償うべきこと、これらは歴史的事実としても倫理という観点からも、ともに自明なことだ。しかし歴史は事実だけでも倫理だけでもない。責任は個人の決意だけでささえられるものでもない。
 もうすこし長期的なスパンでみると、このような過去の戦争に対する歴史学的な研究のいわば常識の裏側に、ある種の空白地帯があることに気がつく。そしてこの空白地帯こそ、さまざまな形の「大東亜戦争肯定論」が生きつづけ、くりかえし再生産される場所なのである。
 小倉利丸が「『大東亜戦争肯定論』批判」(季刊『aala』98号)のなかで、林房雄の「肯定論」の内容を要約しているのでそれを借りることにする。
・アジア・太平洋戦争は、江戸末期からの日本の近代化の過程全体と不可分である。
・日本の近代化は、欧米列強によるアジアの植民地化の圧力に対する防衛でもあった。
・日本の朝鮮併合や中国大陸、東南アジア侵略は、欧米諸国への対抗であり、アジア民族解放の契機を含んでいた。
・ナショナリズムは本来的に「牙」をもつものであり、国民国家の分立状態の中では、諸民族の対立とナショナリズムの高揚は避けられない。こうした基本的な観点は、日本近代史についての次のようなマルクス主義的ないしは近代主義的な理解に対する批判を含んでいる。
・日本はアジアを侵略したのではなく、したがってレーニンの言う意味での帝国主義でもなかった。
・日本の近代化の過程で、帝国主義的な侵略的性質に「変質」したのではなく、日本の近代化の百年は首尾一貫している。
・日本の天皇制はファシズムではなく、民俗的な基盤を持つものである。
 この林の「肯定論」は、「開国にふみきることは、封建制の廃棄→産業革命→後進国の侵略→先進国との衝突というコースを、ほとんど論理的な必然性をもって含意していた」という上山春平の主張(「大東亜戦争の思想史的意味」)と呼応している。国会決議はもちろん民衆の側の倫理的な謝罪・保証論も、この日本の近代史の底を流れる「論理的な必然性」つまり人間の意識から独立に存在する物質的な力を、あまりに軽視してはいないか。この物質的な力の解体を追求せずに個人の倫理や決意に期待を託すことはできない。
 これを反対の面から言えば、この日本の近代化のコースそのものの論理的な必然性として生み出された物質的な力を、つまり明治以後の近代化のコースとその到達点としての現在を問題化する視点を欠いた謝罪決議や不戦の誓いなどは、内容空疎な言葉遊びにすぎないのである。
  これを打ち破るには、日本国と日本人はアジアに対してこんなにヒドイことをやってきたんだと、事実を山のように積み上げても、それだけではダメなのである。それだけでは、「大東亜戦争肯定論」が陰湿に生き延びるあの「空白」の領域を埋めることはできない。この「空白」をつぶすためには、上山春平の言う「開国」が「大東亜戦争」に行き着くことになる「論理的な必然性」とは異なった道が提示されなければならない。そしてそれはたんに過去の問題ではなく、これからの問題でもある。われわれはまだ、「脱亜入欧・富国強兵」の近代化の道をあゆんだ日本とは異なった日本の構想を具体化できずにいるのだから。
(月刊『フォーラム』1995年8月号)