江藤淳への追悼文(「江藤淳氏を悼む」、7月22日『朝日新聞・夕刊』)のなかで福田和也がつぎのように言っている。――「ガイドライン問題なども含めて、世情は『保守派』江藤淳が主張してきたように事物が動いているように見える。しかし現在進められつつある『保守』政策のほとんどすべてが偽物である事、〔中略〕――氏はガイドラインを米国による占領の拡大として批判していた――を江藤氏は明確に認識されていた。氏が亡くなった日、衆院内閣委員会で国旗・国歌法案が可決されたのは極めて皮肉だったと思う。このようにイカサマな手続きで、でっちあげられていく『国家』など、江藤氏はけっして認めはしなかっただろう。それは氏の喪失をさらに深くする事態だったのではないか。」
現在の情勢を、ここで福田が言っているように「保守派」が従来主張してきたとおりに動いていると見る人は、われわれの仲間にも多い。この人たちは現在の政権与党が未来に対するはっきりした青写真をもち、それにいたる戦略・戦術にしたがってこれら一連の法案を強行していると見る。
しかし本当にそうであろうか。自自公という、目先の政権欲にかりたてられた数合わせに奔走する政治屋たちがでっちあげた、恫喝と相互依存の連合の力学によって、はからずも現実の政治課題に浮上させてしまった国旗・国歌法案、盗聴法案、住民基本台帳法案だったのではないか。保守政治にとって長年の懸案であったこれら一連の「改革」あるいは実質的な改憲を意味する法案が、議論らしい議論もなしに実現していく現状に、われわれだけでなく、真正保守あるいはチョー右派である福田や江藤が、なぜこのように強い不快感を表し危機感をもつのか。そこには現在進行中の事態を考えるうえで興味ある示唆が含まれているように思われる。
問題の真の所在を「日の丸」を例にとって考えてみよう。
周知のように「日の丸」が日本国のマークとして公認されるのは1854年、徳川幕府によって「日本総船印」として布告されたのがはじまりである。明治維新以後もなおしばらくは、「日の丸」は日本船が海外で国籍を明示するためのマークとして使われてきた。他から自分を区別するためのマークとしてのこの「国旗」が、「大日本帝国」のシンボルとしての「国旗」になるためには、一つの条件が不可欠であった。その条件とは、「国民」的経験としての戦争である。富国強兵を追求して出発した日本の近代化があいつぐ戦争と不可分であったことは、過去の社会科学や歴史学が明らかにしてきたところだが、これはまた、「国民」の大多数がみずから積極的にこれらの戦争に参加したということでもあった。この戦争という「国民」的経験の蓄積のなかでマークはシンボルとしての「国旗」となった。だから先日のシンポジウムで北村小夜さんが、「日の丸・君が代」と一括して言うけど、「日の丸」の方がはるかに大きな問題だと言っていたが、まったく同感だ。
このような認識に立てば、「日の丸」をどうするかという問題は、「国民」のなかに継承された戦争の経験、戦争の記憶をどうするかという問題なのである。それはもちろん歴史認識に深くかかわりながら、しかしそれよりもはるかに深い、ある意味では「闇」の部分をもつ領域だ。戦後の進歩主義は、占領軍の意図に沿って「国民」を軍国主義の被害者に仕立てあげることによって、この「国民」的経験から「闇」の部分を排除し封じ込めたうえで、科学的と称される歴史観によって戦争を弾劾するだけに終わった。しかし経験や記憶は抹殺されることはない。被害の記憶には場所があたえられても戦争への参加の記憶は抑圧され情念として闇に蟠る。その闇のなかには大岡昇平が『俘虜記』で描いたような汚れ潮垂れたものか、あるいは青空に翩翻と翻っているか、さまざまな形をとるにせよ日の丸が生きている。それを表にひきだし、「日の丸」をシンボル=国旗たらしめた「国民」的経験を肯定的に位置づけることなしに、政治ゲームのなかで拙速に法制化することは、問題の正統的な実現の邪魔になるだけだ、というのがチョー右派の彼らなりのまったくまっとうな現政権にたいする批判なのである。しかしこの地点でわれわれはチョー右派のセンセイたちと180度の分かれ方をする。彼らがめざすのは戦争の記憶の肯定的な再評価とその国家への集約でしかないからである。
われわれにとっての「日の丸」問題の真の解決=「日の丸」の無化とは、このような「国民」的経験と記憶をどのように解き放ち、どのように国家に収斂されないあたらしい共同性へと昇華させるかという問題なのである。シンボルを消滅させるためにはそれをシンボルたらしめている現実を解決しなければならない。シンボル(たとえば国旗)を焼き捨てることはできても記憶は焼き捨てることができない。
戦争についての閉じこめられた経験と記憶は、戦後の平和主義、とくに平和憲法とのあいだである種の"ねじれ"をうんだ。その"ねじれ"を正当に問題化したものとして、多くの異論をもちながらも私は加藤典洋の『敗戦後論』を評価した。多くの友人たちの顰蹙を買いながら……。その加藤は「日の丸」法制化に賛成してつぎのように言う。
「日の丸が悪いイメージを引きずっているのは、戦後の日本がいまだに戦争の負債を返済しきれていないからで、日の丸はそのことの象徴なのである。もしこれが悪いイメージの汚れた国旗だというなら、それを引き受け、それを少しでもよいイメージのものに作り変えてゆくことが戦後の日本に求められていることだろう。もしこれを簡単に捨て去るなら、そのことこそ、被侵略国の心ある住民の不信の種になるはずである。」(5月11日、『毎日新聞』・夕刊)
『敗戦後論』でせっかく戦後の"ねじれ"を引き受けようといったのに、なんだ引き受けたのは「日の丸」か。このボケ!
(『派兵チェック』1999年8月15日号)