正月は退屈だと言いながら、古来からのゆかしい風習には異を唱えずに朝酒を飲んですごす。見るともなしに普段はほとんど見ないテレビを眺めていると、皇后美智子の例の国際児童図書評議会世界大会に向けたスピーチの再(再々々?)放送をどこかのBS局がやっていた。暮れに反天連の集会で北原恵さんのレポートを聞いたばかりだったので、おもわず起きあがり一時間あまり画面に目を凝らすことになった。北原さんの精密な分析は『反天皇制運動じゃ〜なる』17号に掲載されている「『スーパー越境者』皇后美智子」(インターネットでは、http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_11.htmlに掲載)をぜひご参照いただくとして、わたしとしてはやはり北原さんの言う「スーパー越境者」つまりトリックスターとして皇后美智子が突然に登場したことの意味をあらためて考えさせられた。
彼女は「お言葉」ではなく「肉声」でスピーチをした最初の皇后であるだけでなく、戦後五十三年の歴史を通じて、米占領軍禁断の記紀神話に公式の場で触れたおそらく最初の皇室関係者である。もちろん記紀神話を軍国主義のイデオロギーとして禁止することは間違っている。それはたとえば古田武彦の記紀研究を思い起こすだけで十分だ。しかし同時に、その記紀神話が天皇の神格化と結びついたとき、あきらかに侵略の精神的なバックボーンになったことも無視できることではない。だからわれわれは、彼女が引用したのが日本列島原住民の殺戮者ヤマトタケルの物語であったことの以前の問題として、天皇家の人間が記紀神話に肯定的に言及することにつよく反対しなければならないのである。
わたしはこの皇后美智子のスピーチを聞きながら、いま天皇制に何がおこっているのかとしきりに考えさせられた。その思いは、元日の『毎日新聞』に載った天皇と皇后の歌についてのベタ記事を読むにいたってさらに深まった。天皇の歌は「激しかりし集中豪雨を受けし地の人らはいかに冬過ごすらむ」という、あいかわらずの「お言葉」風であるのに、皇后美智子の歌は「語らざる悲しみもてる人あらむ母国は青き梅実る頃」、注には「英国で元捕虜の激しい抗議を受けた折、『虜囚』の身となったわが国の人々のことをも思って詠んだ」とある。このような政治的な題材を歌うことが異例なだけではない。英国の元捕虜の抗議はたちまち「わが国の戦争捕虜」へとずらされてしまう。たんにずらされるだけではない。抗議する英国の元捕虜にたいして悲しみを秘めてなお沈黙する旧日本兵(国民)というイメージが対置されるのである。そこに透けて見えるのは、空疎でワンパターンな「平和」と「謝罪」発言をくりかえす天皇とは異なる、相当にしたたかな言葉の使い手・戦略家である。
いまや「女帝」は戦後象徴天皇制にとって「やむを得ざる選択」なのではなく、「期待されその命運をかけての選択」なのではないか。トリックスター=女性によって活性化された象徴天皇制とはどのような意味を持つのか。それは戦後象徴天皇制の終焉か、あるいはその変態を意味するのだろうか。それを、前号のこの欄でも伊藤公雄さんがふれている「天皇なきナショナリズム」という右派の一部に台頭しはじめた言説と交差させてみると、現在の日本のどのような貌が浮かび出てくるだろうか。そこにわたしの関心がかきたてられる。
象徴天皇制は言うまでもなく戦後日本国家の「国体」的表現であり、「平和天皇」というフィクションによって許容された、対米従属という条件の下での日米安保体制の「象徴」である。そして現在の状況とは、まさにこの戦後国家の限界が露呈し、右からも左からもその乗り越えが課題としてせまってきたところにある。それは当然、象徴天皇制をめぐる状況に反映している。これを図式化してみるとつぎのようになる。
最右派には独自の核武装をふくむ米国からの軍事的・政治的自立と対等な軍事同盟、そして円を基軸通貨とするアジア経済圏構想がある。中間には戦後国家の継続を基本としながらの保守的あるいは進歩的修正の構想がある。左翼は残念なことにまだ具体的なプログラムを提起するにはいたらないが、国民国家の解体ないし相対化とさまざまな共同体的社会の再構成の理念が芽生えている。象徴天皇制との関係で言えば、中間派には自民党主流派から共産党までの「支持」ないし「容認」の立場が対応する。左派は言うまでもなく「反対」、そしてもっとも注目されるのが右派の動向なのである。
前号でも話題になった大塚英志と福田和也の対談「『天皇抜き』のナショナリズムを論ず」(『諸君!』一九九九年一月号)にも引用されている福田の発言はつぎのようなものだ。――「天皇制に関して僕がいってきたのは、天皇なしのナショナリズム、だから右翼に怒られて困っているんだけど。でも、ナショナルなものを皇室を中心にして機能させるのは、ナショナリストとしてはもう不可能だと思う。逆にいうと、天皇があるためにそれは顕在化しないし、天皇があるせいで左右両翼がナショナリティに対して無自覚であり得るという隠蔽の装置になっているからね。」そしてさらにこう言う。「現在のような形でマスメディアの注視の的になり、国体だなんだと云うたびにお出ましになる、というのもまた困った状況です。御歌など雅びやかな遊戯と神事に日を過ごされる暮らしに戻っていただきたい」。
まあ身も蓋もなく言ってしまえば、国体だ植樹祭だと出歩いて平和イメージをふりまいたり、外国に出掛けてかつての戦争を「不幸な時期」などと言ってもらっては困るというわけだ。つまり右派にとっても戦後国家の乗り越えは象徴天皇制をどうするかという問題と不可分なのである。
さて、世紀末のどん詰まりにきて、状況はぎしぎしと音を立てるように煮詰まってきたという感が強い。それに対応できるように、われわれの天皇制論議をさらに深めよう。
(『派兵チェック』1999年1月15日号)