与野党協議などと言えばなんとなく聞こえがいいが、何のことはない議会での公開討論を回避した談合じゃないか。野党は勝った勝ったと言い、新聞は野党案丸呑みなどと囃したてるが、蓋を開けてみればバブルに踊った銀行を税金で救済するという枠組みはすこしも変わっちゃいない。
こういう結末にいたったのには、解散・選挙をおそれる野党への脅しと、大蔵官僚と自民党族議員のタッグマッチが功を奏した。たとえばこんな具合だ。「それまで表立った動きを見せなかった大蔵省だが、財政・金融分離問題については、ここ数日、『自民党を通じ、重箱のスミをつつくように、野党側の方針に難癖をつけてきた』(平和・改革幹部)という。/野党側によれば28日には大蔵省の榊原英資財務官が、平和・改革の冬柴鉄三幹事長らに『ブラジルの経済が危機的状況にある。日本がもたもたしていると、日本発の世界恐慌に発展しかねない』などと伝える一幕があった、とされる。/脅しとも受け取れる発言が、日本リース破たんというニュースもあり、平和・改革は『野党が戦犯にされては……』と懸念、民主党説得に回るなど、合意に向けて動き始めた」(『毎日新聞』9月29日、朝刊2面)。
ここまではいわば前置きで、これからが本論になるのだが、ここに登場する榊原英資なる人物は、西部遇の『発言者』の常連で「経済政策の現場から」などという雑文を連載しているが、『諸君』一〇月号では、西部に福田和也、佐伯啓思とともに「アメリカニズムを超えて」という座談会をやっている。そこで彼は、「べつにカタストロフィを言うわけではありませんが、今の標準からいえば世界経済が全世界的に壊滅することもあり得ると思うんです」という西部の発言に、「クレバーな人たちは、おそらくそういう世界経済の破綻がくるだろうなと思ってますよ」と答え、さらにこんなことを言っているのだ。「ただこの〔金融市場という〕シニカルゲームというのは、どんどん大きくなっていっています。だからそう遠くない時期にシステムとして破綻するというのはすでに見えてるわけです。私は、それは五十年とか百年のオーダーじゃなくて、五年とか十年のオーダーでくると思います。だから人為的に無理に止めなくてもいい。/いまIMFとかわれわれは、システムを何らかのかたちで維持するということをかなりシニカルになりながらやってるわけです。いろんなシステムを使って、延命させてるわけです。しかしそれを批判してるグループ、たとえばハーバードのジェフリー・サックス教授などは、むしろ国をデフォルトさせろと主張していて、いまはそういう意見がかなり強くなってきてますね。/しかし国をデフォルトさせると、その国は国際金融システムの外に追い出されます。そういう国が次々と出てくれば、いまのゲームは継続できなくなり、このシステムは終わる。また国が破綻すれば、そこにおカネを貸してる金融機関がおかしくなる。国際的に金融機関がおかしくなるというプロセスがあちこちで起きてくれば、国際投資はだんだんなくなってくるわけです。」
これが日本の財務当局を代表する官僚で「ミスター円」とよばれる男の発言である。私はべつに官僚のくせに、あと五年か十年でこのシステムは崩壊するだろうというまことに正確な認識を吐露するのがケシカランなどと言うのではない。彼の発言は、与野党談合の作文作りを政治と思っているアホな政治家に比べれば、いかにもチョー右派言論人にふさわしいラジカルさをもっている。
しかしそのうえで、私は彼の発言を一貫しているニヒリスティックな(彼の用語ではシニカルな)トーンに注目する。通貨政策の担当者である官僚がそんな評論家(!)みたいなことを言っていいのか、などとバカなことを言いたいわけではない。彼の言う「クレバーな人たち」がひとしく持ち始めた世界経済破綻の予想、そしてそれを待ち望む終末論的なニヒリズム、その先に何が待っているのかということをこそ、いま私たちは真剣に見極める必要があるということを言いたいのだ。ナチスをニヒリズム革命と呼ぶものもいる。
案の定、この榊原の発言を受けて西部が言う。「一九二〇〜三〇年代のドイツは、すさまじいハイパーインフレーションに呑み込まれる中、フィクションかもしれないけれども、ドイツ民族の『血と地』の声を聞いた人たちが、それを根拠にしてある種の過激な運動、いわゆるナチズムを起ち上げていった。そしてマネーゲームに狂奔しているグループに対して、血と地でもって起ち上がるということをやったわけです。そういうことを起こす力は人類からはなくなったんでしょうか。」
ナチズムが何であったかもろくに知らないこういう薄汚い野郎の言葉を書き写さなければならないのは、いかに『派兵チェック』のためとはいえこういう欄を担当した私の不運である。しかしそのうえでやはり、われわれは罰を受けているのだという思いを禁じ得ない。それでは罰を受けるに値する罪とは何か。二〇世紀の経験をあまりに簡単に手放してしまったことである。二〇世紀の最大の課題は言うまでもなく資本主義批判でありそれにかわる社会制度を模索することであった。このかつては常識に属したことが高度成長のなかで見失われ、資本主義は永遠に続くという幻想に人びとはとらわれた。ソ連と社会主義体制の崩壊がそれに拍車をかけた。それは違うというわれわれの声はあまりに小さすぎた。そのあげくに出てきたのがこういう「〔血と地でもって起ちあがる〕そういうことを起こす力は人類からはなくなったんでしょうか」というたぐいの発言だ。そんなアホな力を実現させないような力を、われわれは早急につくり出さなければならない。
(『派兵チェック』1998年10月15日号)