alternative autonomous lane No.10 1998.11.22 |
目 次
【チョー右派言論を読む】
目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて (太田昌国)
【議論と論考】
新ガイドライン・米国の戦略へのスタンスを明確にした周辺事態法批判を(武藤一羊)
遅ればせながら「プライド」を論議する―「東京裁判憎し」に凝り固まった薄っぺらな映画(木元茂夫)
新しい「ミッチー」賛歌―「子供時代の読書の思い出」騒ぎ(天野恵一)
【書評】
『戦後論存疑』(『レヴィジオン』第1輯)―戦後日本国家の乗り越えはいかになされるべきかをめぐる論争的提起 (白川真澄)
運動の全国交流、次は何か―『全国から新ガイドライン安保・有事立法に反対の声を! 9・20行動報告集』(天野恵一)
【コラム・表現のBattlefield】
《チョー右派言論を読む》
パンク右翼のクーデタ計画書
栗原幸夫●編集者
文壇事情にくわしい私の友人に言わせると、福田和也を右派のイデオローグなどと言うのは買いかぶりであって、彼が右翼とかファシストとか自称するのは、文壇政治のための衣装にすぎないのだそうである。そうでもあろうかとも思うが、小林秀雄の「さまざまな衣装」という知識人への皮肉なヤジを思い浮かべるまでもなく、左と言わず右と言わず、知識人が高々とかかげた思想が、流行のファッションにすぎなかったという事例は戦前も戦後もさんざん見せつけられてきた風景だから、福田だけをとりたててどうこういうこともないようにも思われる。それに時代の流行は圧倒的にファシスト福田の方に傾いていて、本屋の棚を覗いてみれば一目瞭然というところだ。
ところでこの福田和也だが、藤岡某とか西尾某のようなマスコミに踊る連中とはちょっと違って、パンク右翼などと呼ばれながら『近代の拘束、日本の宿命』(文春文庫)のようなけっこうまともな著作もあり、私にとっては佐伯啓思とともに無視したくない右派系言論人の一人だ。もちろんなかには『保田輿重郎と昭和の御代』というようなほとんどH・P・ラブクラフトの怪奇幻想小説の世界を髣髴とさせる愚作もあるけれど
ところでその福田和也が「『新国家』の建設をシミュレートしたタブーなき思考実験」をうたい文句に「一九九九年日本クーデタ計画試案」(『文芸春秋』11
月号)なる怪文書を書いている。いわゆる「自由主義史観」のバカ騒ぎを冷然と侮蔑し、「新しい歴史教科書を作る会」にも同調せず、実行の世界から一歩離れたところで批評家としての立場を築いてきた福田が、最近の乱世の毒気にあてられてトチ狂ったのかとおおいに期待してさっそく読んだ。ナンジャコレハ、というのが単純な読後感なのだが、ここには乱世のなかに生きる庶民の危機意識など爪のアカほども反映していない(だから彼はファシストなんかじゃない)。頭でっかちのパンク坊やがでっちあげた観念遊びである。しかしこの国のパワーエリートのなかには、庶民とは何の関係もない頭でっかちのパンク坊やがけっこう多いから、やはり一応は検討しておく必要があるかもしれない
「冷戦後の歴代政権は、東西の壁が破れた後の、ダイナミックかつ無秩序な、国際政治、経済にまったく適応できなかった。過剰投機のために不良債権を大量に抱えこんだ金融機関を処理することもせず、あらゆる問題を先送りしてきた。結果として、あれほどの隆盛を誇った日本経済は、崩壊の淵に立たされ、社会が溶解の兆候を見せるに至った。周辺海域では領海侵犯が頻発し、国土の上空をミサイルが通過する始末である。
これが福田の現状認識である。なんと一国主義的な単純な認識であろう。そのうえで彼は言う。
「このまま日本が非決断のままにとどまった場合、どのような事態が出来するか、その結果、国家機能が完全に停止した場合、いかにしてその機能を回復するか、さらに危機をどのように克服すべきかについて、識者の援けをうけつつタブーなき思考実験を試みた。/その結果として、憲法の停止と、超法規的処置による国政の掌握、新政府による懸案の果断、迅速な処理という、クーデタの実施及び政権の樹立という一案を得たものである。」
ではその中身は如何。いまそれをくわしく紹介する余裕はないが、要点だけを二,三摘記しておくと、非議会勢力も含む党派横断的少壮政治家、若手官僚、自衛官、メディア関係者が主体となり、陸上自衛隊の一部を実行部隊として、まず金融機関、電力配電中枢、通信・情報中枢、交通機関の要所、ならびに皇居、首相官邸を中心とした、永田町、赤坂周辺を占拠したうえで、新政府の樹立を宣言する。この政府の首班として、リベラル系野党の党首を据え、非常事態宣言を布告、憲法の一年間の停止と、一年後に国民投票を実施し新政権承認の是非を問うこと、国体護持を告知し、両院の解散を行う。憲法停止にともない、国民の諸権利の制限を含む、非常事態法が発令される。そのうえで「衆参両院の全国会議員、局長以上の官僚経験者、東証一部上場企業の役員経験者は、公職及び経営から追放(パージ)され、審問を受け、刑事罰、民事罰、資格停止などの処分を受ける。」
福田はさらに「クーデタの成否は、アメリカによる承認にかかっている」と言う。そしてつぎのように主張する。ここがこのクーデタ計画のハイライトとも言うべき部分だ。その場合に決め手となるのは、経済的利得であろう。〔中略〕日本がアメリカの財政再建を助けるために、向こう五年にわたって国債発行額の八割を引き受け、さらに向こう二十五年にわたって国債を売却しない、という提案を行う。さらに航空機や兵器など、高価なアメリカ製品の大量購入をも約束する。」
何のことはない、自民党政権よりも手前どものクーデタ政権の方がお得ですよと、アメリカを説得しようというわけだ。この構図は新政権の防衛政策なるもので全面開花する。「自衛隊は国軍として改組される」「同時に核武装の準備を開始する」「日米安保の精神を最大限に尊重する」−−−これが防衛政策の中心だ。そして日米新安保条約を締結し、極東、太平洋西部、インド洋にまたがる地域での、直接的な軍事行使を含む緊密なアメリカとの協力関係を形成し、緊急時の基地、役務提供を約束すれば、アメリカも日本国内の基地を返してくれるだろうと、ノー天気な予測を述べている。要するにこのクーデタ政権は、日本を完全にアメリカの軍事体制に繰り入れることで、世界の警察官を気取るアメリカの「下っ引き」にするだけの話だ。それがアジアの民衆からどれほどのNO!をつきつけられることになるか、この従属ファシストの想像力はまったくみじめとしかいいようがない。
先日、天野恵一とお酒を飲んでいたら、とつぜん彼が石原慎太郎の『宣戦布告「NO」と言える日本経済』を絶賛(!?)しはじめて、同席したものを驚かし、座はおおいに盛り上がったのだったが、石原が多分に昔の大アジア主義に似たところがあるとはいえ、アジアを主体にアメリカの覇権に対する抵抗を考えるのに対し、福田のクーデタ計画はお粗末の限りだった。本来なら石原の主張をならべて論じるべきだったが、スペースも大幅にオーバーした。いずれまた。(『派兵チェック
No.74、1998.11.15号)
《チョー右派言論を読む》
目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて
太田昌国●ラテンアメリカ研究家
忙しさもあり、本誌前号には出番がなかったこともあって、実に久しぶりに「チョー右派言論」を、いつもほど意欲的には見聞しないひと月をおくった。日常的な新聞・テレビ報道には触れているから、「うす甘い」右派言論に包囲されていることに変わりはなく、まったき自由を謳歌できたわけではない。でも、ふだんよりはるかに心穏やかな、豊かな日々をおくることができた(ような気がする、少なくとも、そう思いたい)。
美術批評を専門とする友人がかつて語ってくれたことがある。「選択せずにどんな作品でも観ていると、目が腐って、ほんとうにいい作品を鑑賞できなくなるから、展覧会は選ぶんです」。これは、「目が腐るような」作品にも数多く触れた日々を経てこその言葉なのだろうとは思うが、音楽や絵画や小説に関してならば、素人なりに、確かにこの思いは理解できるような気がする。果たして、社会・思想時評の領域において、同じような言い方で、この異常なまでの<現状>をやり過ごすことはできるだろうかと思いつつも、このかん何度も思い出しては胸をよぎる言葉だった。「皆さんほんとに『右派』言論を読むのが好きなようで……」(本誌72号編集後記)という「冷やかし」は、このひと月に限って言えば、私の思いでもあった。(少しは目が澄んできたかな?)
そこで、たまには、「チョー右派言論」の対極にあって、その種の言論の本質を浮かび上がらせる表現に触れることから、今回の時評を始めようと思う。
先日、ある大学で講演会を行なった。課題は、「ペルー日本大使公邸占拠・人質事件をふりかえる」だった。いまの若い人びとが、どんなメディア状況の中で育ってきているかは、よくわかっている。できることなら、工夫をしたい。ビデオとCDの器具を用意してもらった。大型スクリーンに投影したのは、NHKテレビ「クローズアップ現代」の或る日の録画である。1997年4月23日(日本時間)、ペルーのフジモリ大統領は占拠・人質事件を武力突入によって「解決」したが、それから2カ月半を経たころ、日本政府の招待で来日した。NHKのこの番組はフジモリをスタジオに呼んで、あのけたたましい話し方をするキャスターと対談させたが、その録画を上映したのである。音声はオフにした。CDは、中島みゆきの新アルバム「わたしの子供になりなさい」(ポニーキャニオンPCCA−01191)に収められている最終曲「4.2.3」をかけた。
シンガー・ソングライター中島みゆきは、武力行使の日付に象徴させて、あの事件を歌っている。彼女はあの日、眠れぬ夜を過ごしてたまたまテレビをつけた。画面に「中継」という文字が出てまもなく、爆風と、見慣れた建物から吹き出る朱色の炎と噴煙が目をうつ。突入した兵士たちが身を潜め、這い進み、撃ち放つ。やがて「日本人の人質が手を振っています元気そうです笑顔です」とのリポートが始まる。途中、胸元を赤く染めた(政府軍)の「黒い蟻のような」兵士が担架に乗せられて運び出されるが、リポートは「日本人の無事」を嬉々として伝えるばかりで、兵士の死には何も触れない。彼女は歌う。「♪見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故/救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう/この国は危ない/何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも/日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう/慌てた時に 人は正体を顕わすね/あの国の中で事件は終わり/私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた/4.2.3.……4.2.3……/日本人の人質は全員が無事/4.2.3……♪」
中島みゆきの声が響く背後のスクリーンには、にこやかなフジモリとキャスターの笑みが広がる。炎と噴煙の回想場面が出た後にも、彼(女)たちの笑みは消えない。音声はオフにしてあっても、ふたりがどんな心境で事態を回顧しているかは、十分に伝わる。フジモリの言い分も聞きたかったと感想を述べた学生もひとりいた。だが、フジモリやNHKキャスター的な言論は「制度的に」保障されて大量にあふれ出たが、中島みゆき的な言論は少数のミニメディア以外では「制度的に」排除されたというのが、ことがらの本質だった。学生の多くは、そのからくりに気づき、いままでとは別な視点で事態を捉えるための、差し当たっての契機を掴んだようだった。
中島みゆきは、上に引用した歌詞の直前には次のように歌っている。「♪あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない/あの国の戦いの正しさを
ここにいる私は測り知れない♪」。その後で上のように歌うのだから、中島の自己の位置の定め方が的確だと思う。
さて、ふと我に返ると、ひと月ぶりに手にした『正論』12月号には、長谷川三千子なる大学教師が某マンガ家の『戦争論』に触れて、この本の帯に書かれている「戦争に行きますか。それとも日本人やめますか」は、本当は正確には「戦争にいきますか。それとも人間やめますか」が真意ではないか、と語っている。ああ、またしても! 私たちは、これらの愚劣極まりない右派言論とのたたかいを回避するわけにはいかぬ。〈敵〉の腐臭が我が身に及ぶことのないように警戒しながら。
(『派兵チェック No.74、1998.11.15号)
新ガイドライン・米国の戦略へのスタンスを明確にした周辺事態法批判を
武藤一羊●ピープルズ・プラン研究所
国会に提出されている「周辺事態法案」には不思議なことがいっぱいつまっている。法案はこう書き出される。「この法律は、我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「周辺事態」という)に対応して我が国が実施する措置、その実施の手続きその他の必要な事項を定め、もって我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする」(第一条、目的)。不思議の一つは、この法案が唐突に「周辺事態」から始まることにある。「我が国の平和と安全に重要な(「重大な」でもない)影響を与える」事態とはべらぼうに広い概念である。隣国の原発事故でも、「我が国の平和と安全」には「重要な」影響があるに違いない。
こんな何でもありみたいな「周辺事態」の規定をしておいて、それにどう対応するのか、という段になるといきなり、第二条で、説明もなく「適切かつ迅速に、後方地域支援、後方地域捜索救援活動、船舶検査活動その他の周辺事態に対応するため必要な措置を実施」するという話になる。この条項だけ読んで何のことかわかる人がいればお目にかかりたい。これが軍事的措置であることは推理できても、いきなり出てくる「後方地域」とは何のことか、すこしの説明も定義もないのである。「後方」があれば「前方」があるはずである。その「前方」とは何かも書かれていないし、「前方」では誰が何をしているのかも説明はない。説明はやっと第三条(定義等)に出てくる。「前方」では米軍が「国際的な武力紛争の一環として」「人を殺傷しまたは物を破壊する行為」すなわち戦闘行為を行なっているのである。このような戦闘行為を行なっている「アメリカ合衆国の軍隊に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の支援措置」を定めるのがこの法案の中身である。
だがここでちょっと待ってくれと言いたくなる。米軍の軍事作戦への協力と、周辺事態に「対応して我が国が実施する措置、その実施の手続きその他の必要な事項を定め」る法律の目的とはどのように関連するのか。「周辺事態」が起こったとして、それに「対応する我が国が実施する措置」とは、自動的に米軍の軍事作戦への「後方地域支援」などというものになるのであろうか。なぜそうならなければならないのか。そのような「事態」においては、「事態」の性格や日本国家の従うべき原則その他に照らして広い選択の幅があるのではなかろうか。それを選択するのは日本政府固有の判断と責任ではなかろうか。かりに「朝鮮半島事態」が起こったとすれば、日本国家がまず考えるべきことは、日本国家と朝鮮民衆の歴史的関係を念頭に置いて、それが非軍事的な解決にいたるようあらゆるイニシャチブを発揮することではないだろうか。この立場と行動は、米国のそれとは異なったものであろうし、そうあるべきである。ところがこの法律は、周辺事態、日本の対応、米軍への後方支援という三項をいきなり等号で結び、その行動体系(従って判断体系)を当然のもののように法的に据え付けてしまうのである。すなわち「事態」への非軍事的な対応を予め排除するのである。第一条から第二条への説明不能な(問答無用の)飛躍のなかにこの法案の秘密が隠されていると言ってよい。
この法案は言うまでもなく条約ならざる条約である新ガイドラインの部分的実施法である。新ガイドラインを下敷きにして読まなければ何のことやら分からないものである。上記のように、この法律が、独立して理解できるための内的整合性を欠いていることは、そのことの反映である。新ガイドラインを参照することで初めて何のことか分かるのである。
ところで新ガイドライン自身も複合的な文脈(コンテキスト)から成っている。圧倒的に優位な文脈は米国の軍事戦略のそれであるが、そこにもう一つの文脈――戦後日本国家のそれ――がかぶされている。戦後日本国家の文脈もまた複合的である。憲法平和主義の文脈と「普通の国」=「戦争のできる国家」への願望のそれが複合している。新ガイドラインを貫くものはすでに指摘されてきたように米国の世界・アジア太平洋戦略、すなわち米国の国益であるが、それを貫徹するためには、その中に日本国家の文脈を編入しなければならない。きわめつけは「日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」という「基本的な前提及び考え方」の一句だろう。新ガイドラインの核心がまさに「憲法上の制約」や「専守防衛」の水準を中央突破することにあるとき、そして続きを読めばそのことが明白であるとき、このような文章を冒頭に掲げる厚かましさには驚くほかない。このイチジクの葉はあまりにも小さすぎて何かを隠す役には立たず、ただ隠したいという意図だけを表示するものだ。
周辺事態法案は国内法であるので、イチジクの葉はもうすこし大きいものに取り替えられる。自衛隊が後方支援と称する戦争参加を行なう後方地域とは「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」(第三条四)であるとか、そのような地域で輸送の実施を命ぜられた自衛隊の部隊の長などは「近傍において、戦闘行為が行われるに至った場合または付近の状況等に照らして戦闘行為が行なわれることが予測される場合には、当該輸送の実施を一時休止するなどして」防衛庁長官の活動中断の命令を待つという。こんなことが不可能であることは軍事的に見れば常識である。補給活動は戦闘の不可分の一環なので、「敵」は容赦なく攻撃を掛けてくるだろう。「一時中止」などしても何の役にも立たないだろう。補給活動は、その補給の場所を「戦闘行為が行われる場所」に変えるのである。この法律は不可能な事態を想定することで成り立っているのである。
このような突飛な想定を含む不協和な文章は、そこに働いている力関係を反映している。例えばジョゼフ・ナイは述懐している。
「(クリントン・橋本)サミットにいたる道は平坦ではなかった。実際それはかなり困難だった。というのはこの道は沖縄を通っていたからである。三人の米国軍人による一二歳の沖縄の少女への残酷な強姦が触媒となり、多くの日本人が米日同盟の重要性を疑いはじめたからだ。ある者はそれを冷戦の遺物と呼んだのである」。
沖縄との間だけではなく、力関係はいたるところに働いている。戦時動員される地方自治体と中央政府の間にも、交戦権なしで戦場に立たされる自衛隊兵士と「周辺事態法」的政治の間にも。それを映し出して、周辺事態法に盛られたいくつかのテキストは互いに矛盾関係のなかでせめぎあっている。
仕組みがこのように働いているとき、周辺事態法を自己完結した対象と捉えて反対することでは足りない。その支配的な文脈は新ガイドラインのそれだからである。同じく新ガイドラインを孤立してとりあげて反対することでは足りない。その支配的な文脈は米国の世界戦略だからである。目の前にあるのはこのべらぼうな法案であるから、法案を葬ることが当面の焦点であるけれど、そのためのスタンスは、その背後にある新ガイドライン、またその背後にある米国の戦略に対して、つまり支配的な文脈に対して、明確にされなければならないと私は思う。つまり、日米安保=米国戦略を新ガイドラインに切り縮め、新ガイドラインを周辺事態法に切り縮めたうえで、その焦点としての周辺事態法に立ち向かうという発想の逆をとるということである。
逆に、そのことで、周辺事態法を構成する異質の文脈の間の葛藤を顕在化し、激化し、利用することができるだろう。多くの人の共同署名を得た「提言・新ガイドラインを問う」が、「周辺事態」において「後方支援」のために「国以外の者に対し、必要な協力を求めることができる」とする法案の条文について「自治体が管理権をもつ港湾、空港、公立病院などの施設の利用……に関して、国から協力要請があった場合には、自治体の長はこれを拒むことは実際上困難になってくると思われる」としているのにたいして、横須賀の新倉佑史さんが強く異議をとなえた。新倉さんは、基地をかかえる自治体の全国協議会の質問にたいし、政府が「強制ではなくあくまで協力を求めるもので、制裁措置をとることはない」と回答せざるをえなかった力関係を重視すべきだと主張しているのである。「拒むことは事実上困難になる」とこちらから決め込むことは、新ガイドラインを下から崩していく手だてを放棄することになるという主張である。これは法案に条件付きで賛成したり、多少の歯止め的修正を求める立場とははっきり区別される立場、新ガイドラインをつぶすために、あらゆる手がかりを利用する運動的な立場であると私は思う。
新ガイドラインは、憲法の明文改訂(九条の削除)なしには実行し得ない対米誓約であるという根本的矛盾を抱えている。周辺事態法は、戦後日本国家の伝統的手口で、事態を先送りすることでこの矛盾を当面糊塗しようとする仕掛けである。そのためいくつかの大きい裂け目が生まれている。その裂け目のすべてに手を掛け、拡大することが必要なのである。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.16,
1998.11.10号)
ゴラン高原の自衛隊
森田ケイ
1992年10月4日午後6時36分、イスラエル・エルアル航空のボーイング747貨物機が、オランダ・スキポール空港を離陸直後にアムステルダム郊外の住宅密集地に墜落。9階建てのアパートに激突して爆発・炎上、75人が死亡した。翌5日付の共同通信は「住宅がまるで生き地獄のように炎上している。死傷者の多いことに驚いている」という地元の警察署幹部の話を伝えた。日本では、事故そのものよりも、その原因とされたエンジンの脱落に関わる「留め金」の金属疲労問題に力点を置いた報道だったように記憶している。
エルアル航空のスポークスマンによると、事故機の「積み荷には香水、電気器具、繊維製品、機械類も含まれていた」(同年10月5日付・共同通信)とされる。ところが、この事故から4年以上も経過して、共同通信(エルサレム発、1997
年1月28日付)が、同日付のイスラエル紙(イディオト・アハロノト)の記事として、次のような驚くべき報道をおこなった。
「〔事故機は〕使用済みウラニウムやミサイルを積んだまま墜落。過去二年間、事故現場付近で障害を持った新生児やがん患者の発生が増えている……現地の環境保護団体はがん患者増加などの原因について、貨物機が積載していた空対空サイドワインダー・ミサイルが墜落時に爆発、ウラニウムが燃え、有毒なちりが空中に放出された可能性があると主張。近くオランダ議会がこの問題を審議する……エルアル航空報道官は共同通信に対し『ウラニウムはすべてのボーイング社製航空機の尾翼に取り付けられている。墜落機はイスラエル軍用の部品を積んでいたが、ミサイルは含まれていない』と語った。」
そして、ちょうど5年後の1997年10月4日、読売新聞ニュース速報が、事故のあった地域の住民約3000人による犠牲者追悼ミサと現場周辺でのデモ(政府に真相究明を求める)を伝えた記事のなかで、「高血圧が出る様になったのは事故後から。目も悪くなり、いつも体がだるい」、「近所では事故後、障害を持って生まれる子供も少なくない」といった住民の言葉、「事故後、説明不能な病気が増えた」との地元医師の証言などを報じた。
さらに今年4月4日付の読売新聞ニュース速報は、オランダ政府が同事故で「積載されていた劣化ウランによる現場周辺の汚染の可能性と、事故後相次いでいる住民の健康異常との因果関係の調査を専門家に要請した」と報じた。以下、この記事からの引用。 「……事故の後、周辺の住民や、現場にかけつけた消防士や警官、また事故機の残骸が運ばれたKLM航空倉庫の職員からも、腎不全や皮膚病、筋肉痛、視力低下などの訴えが相次いだ。……発着国である米国、イスラエル両国とも、税関当局は事故機の貨物送り状を一切公開せず、ブラックボックスも回収されなかった。『事故直後に宇宙服の様なものを着た、英語を話す人々が、何かを回収していた』とのカメラマンの目撃談もある。……軍関係者の間では、『米国からイスラエルへの武器運搬の中継点であるスキポール〔空港〕は、イスラエルの軍事的生命線』とも呼ばれていた……。」
結局、フライトレコーダーは発見・回収された(共同通信・1992年10月8日付)ものの、ボイスレコーダーの方は今も見つかっていないようだ。
オランダでは、その後も様々な調査が続けられていたのだろう。つい先月、10
月1、2日付の時事通信、毎日、読売、朝日、そしてNHKの各ニュース速報は、この時の事故機が神経ガス「サリン」の原料となる化学物質「メチルホスホン酸ジメチル(DMPP)」190リットルを積み込んでいたことをエルアル航空が認めたと報じた。さらに3日付の毎日新聞ニュース速報は、「イスラエル大統領府は2日、兵器製造のためではなく、防毒マスクのフィルターの試用実験に使う予定だったと発表した。テルアビブ郊外の、軍関係の生物研究施設に運び込む計画だったという。……オランダ紙は、墜落したイスラエル機が積んでいた物質は、生物化学兵器を製造するためのものだった、と報じていた」と伝えた。10月27日付の
Jap an Times 紙(AP電)は、この「イスラエル生物学研究所」で実際に毒ガスが生産されていたとの新聞報道を引用している。
こうした報道から少しずつ事実が明らかになってゆくとしても、しかし事故後の周辺住民たちの奇妙な症状の原因究明にはほど遠いと言わざるを得ない。民間空港を使った飛行機便に積まれていた荷物であり、そしてそれが多数の死傷者を出した大事故に関連があった可能性すらあるにもかかわらず、「軍関係」ということで様々な情報が隠されつづけてきたのだろう。もしもイスラエルとアメリカ合州国が真相を把握している/あるいは何らかの事実が今もなお、さらに隠されているならば、それらは明らかにされなければならないし、一方でこの事故の経過から仄見えてくるのは−−私たちが新ガイドライン安保と一連の有事立法から結果し得る状況として批判しているような−−「戦争国家/軍事化された社会」のグロテスクな姿なのだ。(11月6日 記)(『派兵チェック
No.74、1998.11.15号)
金大中来日と日韓経済関係
金子文夫●横浜市立大学教員
一〇月七日に金大中韓国大統領が来日し、日韓首脳会談が行われ、「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」をうたった「日韓共同宣言」と「行動計画」が発表された。そこでは過去の植民地支配問題についての「区切り」(清算)が強調され、未来志向が提唱された。日韓軍事交流、天皇訪韓、韓国での日本文化の開放など、これまでより一歩踏み込んだ関係をつくる決意が表明されている。こうした過去の切捨て、未来志向の提唱の背景に、韓国の未曾有の経済危機、日本への経済協力の要請という切迫した事情があることを見落としてはならない。
昨年来のアジア経済危機の中で、韓国は朝鮮戦争以来ともいわれる重大な危機に直面している。対外債務の不履行に直面した韓国は、IMFから緊急支援を受ける見返りに経済主権を半ば譲渡する屈辱に甘んじなければならなかった。当面の外貨危機は乗り切ったものの、IMFの強制した厳しい引締め政策のもとで、出口の見えない混迷状況が続いている。経済成長のサイクルは完全に破綻し、消費も投資も落込み、今年は成長率がマイナス五〜六パーセントに達すると予測されている。マイナス成長は「光州事態」の起こった一九八〇年以来のことで、しかも当時より状況は一層深刻である。企業倒産、人員整理がとめどなく拡大し、失業者は二〇〇万人を突破、失業率は実質一〇パーセントを超えるものとみられる。中産層が没落し、ソウルではホームレスの姿が増え続けているという。このままでは社会的不安が高まり、政治危機へと発展しかねない。
IMFの政策の骨子は、一方では不良金融機関、肥大した財閥を徹底的に整理し、「余剰人員」を切り捨てるとともに、他方では資本市場の対外開放・自由化を一挙に進め、外国資本・多国籍企業の韓国進出を促進するというものだ。グローバル化の途上でつまづいた韓国経済を、さらなるグローバル化によって再建しようというのがIMFの戦略である。
金大中政権は、このIMFの方針を受け入れざるをえず、政策選択の幅はきわめて限られている。財閥の改革については、過剰投資部門の企業を整理統合する措置が検討されているが、進展のテンポは遅い。人員整理については、首切りを容易にする「整理解雇制」の導入が焦点となった。労働者側は経営者の責任を転嫁するものだとしてこれに反発し、ストライキで徹底抗戦の態勢をとったが、争議の頂点に位置した現代自動車では、解雇人員の削減と引き替えに整理解雇制が受け入れられた。他の争議に与える影響はきわめて大きいと思われる。
金大中大統領来日の重要目的は、日本への経済協力要請であった。そのために過去の清算を急いだのであって、一九六〇年代初頭、朴正煕政権が植民地問題をあいまいにしたまま日韓条約締結を急いだことと状況は似ている。日本側はこうした韓国の苦境につけこみ、歴史認識問題の決着を韓国側に認めさせたうえ、国連安全保障理事会の常任理事国入りに支持をとりつけるなどの工作を試みた。
すでに日本は、昨年末のIMFの総額五八〇億ドルに達する緊急支援プログラム(IMF史上最高)では一〇〇億ドルを分担し、各国別では突出した役割を果たしている。今回発表された「行動計画」では、日本輸出入銀行による三〇億ドルの融資が約束された。さらにまた、「官民合同投資促進協議会」の設置も合意された。
しかしながら日本経済も不況の真只中にあり、民間資本には韓国進出の余裕がない。民間資本の直接投資はこのところまったく不振であり、昨年の投資額は二億六千万ドル程度で、アメリカの三一億ドルの一割以下にすぎなかった。ウォン安、株安は企業買収の好機であり、アメリカ企業の進出が目につく半面、日本企業はかつてのような勢いを失っている。当面は韓国側の期待に応じる気配は感じられない。
ところが、ここで特に注意しなければならないのは、韓国国内にIMFの横暴さへの不満、その背後にあるアメリカへの批判の声が強まり、その反動として日本への期待感が高まりつつあることである。これは韓国に限らず他のアジア諸国にもいえることで、マハティール率いるマレーシアなどはその代表格だろう。実際、あまりにも画一的なIMFの緊縮政策の強要は、不況を長期化させ、社会的弱者に犠牲を強いるもので、世界各地で猛烈な批判を招いている。また各国通貨をドルに直結していたことが通貨危機の原因であったため、円を含めた通貨バスケットへのリンクに改め、ドルを相対化しようとの議論も起こっている。
こうした動きに対応するのが、昨年夏、タイの通貨危機を契機に日本が提起したアジア通貨基金(AMF)構想だった。これは、アジア地域で通貨危機に対処できる仕組みをつくり、日本がそこで主導的役割を果たそうという構想であった。その背景には、円の国際化、円経済圏の拡張を狙う現代日本資本主義の戦略が見え隠れしている。AMF構想に対しては、自己の地位低下を恐れたIMFやアメリカの反発が強く、一旦は立ち消え状態になった。
しかし、国際金融の世界で絶対的権力をふるうIMFの地位を相対化させるAMF構想は、世界経済の基軸通貨であるドルの地位を相対化させる円の国際化戦略の一環として、おそらく今後も形を変えながら存続していくだろう。それは日本がアジアに経済覇権を求める道筋を示している。石原慎太郎の近著『宣戦布告
「NO」と言える日本経済――アメリカの金融奴隷からの解放』が売行きを伸ばしているのは、日本国内にも反米気分、円の国際化を望む感覚が流れているからだろう。
このような日本の対外膨脹路線に対して、従来のアジア諸国は「大東亜共栄圏」の復活とみて警戒する態度が強かった。とりわけ韓国の反応は鋭いものだった。ところが、昨年来のアジア経済危機のなかで、IMFの絶対的権力を削減する別ルートの通貨金融協力機構を待望する声、日本の経済力への期待感が生じている。警戒感から期待感への転換、これは重要な変化として見逃せない。小倉和夫駐韓国大使は、日韓で自由貿易地域を設置し、地域経済統合を図ることを提案し、韓国側にもこれに同調する意見が出はじめている。
「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」は、二国間関係の調整レベルにとどまらず、アジアにおける日本の経済覇権の確立に韓国が協力するという新たな構図の宣言としての一面をもっているのである。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』16号、 1998.11.10)
「東京裁判憎し」に凝り固まった薄っぺらな映画
遅ればせながら「プライド」を論議するB
木元茂夫●派兵チェック編集委員会
「人間の描き方の何と薄っぺらなことか」、これが映画『プライド』を見終わったときの私の率直な感想だった。上映開始から間もない日曜日に、横浜の伊勢佐木町の映画館で見た。観客席はそれなりに一杯だったが、映画が終わると同時に多くの人々がそそくさと席を立ち、さっさと映画館から出ていった。「劇場を出るときに、日本人の美しさが懐かしいと思ってもらえれば本望」と東條英機役・津川雅彦は映画のパンフレットに書いているが、そう感じた人は極々少数だろう。
とにかく、「東京裁判憎し」の感情に凝り固まってしまって、人間の喜びも悲しみも描いていない映画である。敗戦直後の日本人は、肉親を失った悲しみや安否のわからない肉親の行方を案じ、これからの生活に大きな不安を抱いていたと思うのだが、そうしたシーンは何も出てこない。東條英機が自殺を図ったのは一九四五年九月一一日、連合国軍最高司令部が三九人の戦争犯罪容疑者の逮捕を命じた、その日であった。ポツダム宣言受諾の日から約一ヶ月の期間があったことになる。日本人の軍人・軍属の戦死及び死没者約二一二万人(日中全面戦争の開始から敗戦直後までの時期)、民間人の死没者約九〇万人、合計三〇〇万人以上の犠牲者を出し、焼け野原になってしまった東京の街並みを見ながら、東條英機は何を考えていただろうか。東條とてさまざまな思いが去来していただろうが、『プライド』はそこには触れず、東條の潔さだけを描き出す。こうした構成がこの映画をいかにも薄っぺらなものにしている。
最近のアメリカの戦争映画、湾岸戦争を題材にした『戦火の勇気』、第二次大戦のノルマンジー上陸作戦から数カ月の期間を扱った『プライベート・ライアン』などが、戦争の悲惨さを描き出し、戦争と軍隊の不条理に挑んでいるのとは見比べると、『プライド』はあまりにも見劣りがする。「戦争は悲惨であり、軍隊には誤りもあれば、不正もある。しかし、たとえ指導者が誤った判断をしても、かならずやそれを正そうとするものがあらわれて、立ち向かっていく」、大雑把に言えば最近のアメリカの戦争映画はこうしたトーンに貫かれている。ベトナム戦争の直後にはこんな視点からの映画はなかった。時の流れとともに戦争に対する見方が、良きにせよ、悪しきにせよ、冷静なものになっているのを感じさせられるが、『プライド』にはそうした姿勢は見当たらない。
映画にも登場する弁護士・清瀬一郎の『秘録東京裁判』によれば、東條は「国際裁判のためには詳細な供述書を作り、目下清書中であるから、自ら法廷に立つ必要はない」と逮捕の前日に述べている。つまり、裁判への準備は大半完了していたことになる。『プライド』では東京裁判の法廷で、裁判のひどさに東條が奮起して供述書の執筆を開始することになっているが、こうした事実を歪曲した演出は、この映画をますますつまらないものにしている。
連合国軍最高司令部は一二月二日、さらに五九名の逮捕命令を出す。その中には皇族の梨本宮守正も含まれていた。梨本宮は一二日に巣鴨拘置所に出頭し収監されるが、一九四六年四月一三日に釈放される。これが皇族の唯一の逮捕者であった。もちろん、『プライド』にはこんなシーンは出てこない。敗戦から東京裁判の判決までの三年あまりの期間には、現在から捉え返せば、掘り下げるべき課題はまだまだ山積している。戦争を反省し、戦争の責任を明らかにしていくのは、あの戦争を引き起こした日本人が今も負っている課題である。東京裁判はまさに「勝者の裁き」であるが、それをいくら批判しても日本の戦争責任はなくならない。この当たり前の事実を直視すべきだろう。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.16,
1998.11.10号)
新しい「ミッチー」賛歌――「子供時代の読書の思い出」騒ぎ
天野恵一●反天皇制運動連絡会
「私は、自分が子供であったためか、民族の子供時代のようなこの太古の物語を、大変面白く読みました。今思うのですが、一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等、うっすらとですが感じられます。/父がくれた神話伝説の本は、私に、ここの家族以外にも民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました」。
古事記や日本書紀の神話を子供向けにつくりかえたものの読書体験を語りながら、以上のように主張しているのは、皇后ミチコである。
「民族の共通の祖先」という「根っこ」への一体感。ソフトな語りくちであるが、古代の支配者たちの「神話」を「民族の象徴」と語る彼女の話は、「国=民族」を超歴史的に、歴史の「物語」の主体とするイデオロギー(現代の神話)であるといえる。
第二六回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会に映像でミチコは基調報告をした(英語)。
それの日本語のテキストが紹介され、テレビでも放映(日本語)され、マス・メディアは大々的にキャンペーン。
その内容の一部が、これである(「子供時代の読書の思い出」『文藝春秋』一一月号)。
神話の中の「いけにえ」の物語についてふれたくだりで、彼女はこういうことも語っている。
「『いけにえ』と言う酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います」。
「今思うと、それは愛というものが、時として苛酷な形をとるものなのかも知れないという、やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への恐れであり、畏怖であったように思います」。
なにやら、自分を悲劇のヒロインにしたてあげる物語を、彼女はここで語っているように思える。
皇室への民間からの「いけにえ」とアキヒトへの「愛」の物語!?
個人的な体験や、個人的な感情がオブラートにつつまれて、あるいはナマのまま語られている。いわゆる「公式」の発言とは、まったく違った、ナマ身のミチコの言葉がそこにある。
マス・メディアは、これをクローズアップして伝え、その内容を賛美してみせる。 「人間皇室」のイメージアップである。
こうした動きは、「皇室外交」時の天皇アキヒトの「お言葉」の内容に、私的なエピソードや個人的な感想がこめられだした動きと対応している。そして、今回のミチコのそれは、それを一段レベルアップしたといえよう。
ミチコの発言の内容に、人間的共感をよせる発言が、あれこれと飛び出しているが、憲法は象徴天皇(夫妻)に、政治的行為や政治的発言を許してはいないはずである。
自分の思想(歴史観やイデオロギー)を天皇一族が「自由」に語りだす、皇室の「人間」化は、新しい「国家主義」の傾向の強化以外を意味しない。現在のマス・メディアはこの点をまったく問題にしなくなっている。支配者が、そのように「国家のシンボル」を政治活用しだしてきていることの状況的意味にこそ、私たちは着目すべきだろう。
人生の「かなしみ」を語る、ミチコの「人間」味に感心することで、天皇制国家の物語のイデオロギー操作にまきこまれていくことでよいのか。
この大会のテーマは、「子供の本を通しての平和」であった。
しかし現実の国家(象徴天皇制)の任務は、「新ガイドライン安保」による、具体的に戦争遂行可能な国家へ転換しつつある現在の「戦後国家」への「国民」の「動員」である。
国家(戦争)への「いけにえ」づくりのために、皇后の「平和の物語」がマス・メディアにおどっているのである。
皇后の賛美は、国家(戦争の主体)の賛美へと引きづられる。天皇制はそういうもの以外ではありえないのだ。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.16,
1998.11.10号)
《書評》
戦後日本国家の乗り越えはいかになされるべきかをめぐる論争的提起 ―『戦後論存疑』(『レヴィジオン』第1輯)栗原幸夫編集・社会評論社刊.2200円
白川真澄●フォーラム90s・事務局長
『レヴィジオン』創刊号は、「戦後論」の再審を俎上に乗せている。やはりというべきか加藤典洋の『敗戦後論』が共通して取り上げられているが、面白いのは執筆者たちが加藤を批判する際に、加藤の問題提起(戦後日本が抱えこんだ「ねじれ」)を加藤自身の意図を越えたところでまっとうに受けとめて、別の戦後論を築こうとしてことである。
武藤一羊は、戦後日本国家の相矛盾する構成原理の背中合わせの共存という問題性を「ねじれ」として掴むという問題意識において、加藤を受けとめている。池田浩士は、加藤の立論が「戦争責任者の首魁が『象徴』として居すわりつづけていることをゆるしつづけている」改憲派および護憲派、すなわち天皇の責任追及を避けている両者への批判に行きつかざるをえない、と加藤の問いを位置づけている。天野恵一は、加藤のいうアメリカの軍事力によって押しつけられた平和憲法という「ねじれ」を、「軍事力による占領民主主義の欺瞞」への徹底した批判の作業として主題化すべきだ、と論じている。
おのおの興味深い論点が提示されているが、私自身の目下の関心事は「国民」(批判)の問題にあるので、武藤論文を取り上げてみたい。武藤はよく知られているように以前から、戦後日本国家とは何か、そのヌエ的な性格はどこから来ているのかという問題をシャープに切開してきた人である。
武藤は、加藤の「戦後日本国家の問題性を『ねじれ』としてつかむ第一の立場に賛成であり、三百万と二千万の哀悼についての第二の提唱〈注・侵略戦争による二千万のアジアの死者の哀悼に先立って三百万の日本の死者を哀悼することなしに、日本の国民を統一した人格として立ち上げることはできない、という議論〉に反対である」と言う。武藤によれば、戦後日本国家は、米国の反共自由世界原理、憲法の絶対平和主義、そして大日本帝国の継承原理という「相互に並び立つことのできぬ三つの構成原理の折衷的統合として成立し、継続してきた」。これこそ、「ねじれ」の正体なのである。だが、「加藤はせっかく戦後国家のねじれを問題にしたのに、国家の問題としてそれを解こうとせずに、三百万の哀悼を通じて国民を立ち上げるという最小限抵抗線に滑り込んでしまった」、と。
抵抗し運動するさまざまの主体が、侵略戦争について責任をとり謝罪するという問題に直面すると、「国民の立ち上げ」という回路に回収される罠が、待ち構えている。これについて、和田春樹ら「国家決議」の提言者の「国民的コンセンサスを求める」議論の陥穽を衝く武藤の論鋒は、切れ味鋭い。三百万の日本の死者を「同質のグループ」と見なし、「一致する言葉」で哀悼をささげようとしても、侵略戦争肯定派とそうでない人びとが意味のある「統一した哀悼文」を書けるはずがない、と。
武藤は、「加藤は死者を呼び出すことで歴史を呼び出した」としつつも、悼むとは死者との対話であり、「未来に向かって現在何を選びとろうとしているか」によって、一つの国民としてでない、複数の相対立する哀悼が成り立つと言う。私もまた、一つの「国民」としてではなく、それぞれの集団や個人の固有性において歴史的責任をとることが可能であり、必要だと考える(『グローカル』528−
530号)。
ここまでを前提として、私たちが本格的な議論を本格的に展開しなければならないのは、「戦後国家をどのように、どちらの方向に乗り越えるか」というテーマである。武藤の提起に沿って、問題点を挙げておこう。
一つは、戦後日本国家は明らかに解体しつつあるのだが、この解体の特徴はどのようなものかという問題である。
解体は、戦後国家が相反する三つの構成原理の折衷的統合を清算し、三つのうちの一つの原理(米国の自由世界原理)に純化する過程として現れているだろうのか。例えば、新ガイドラインに象徴されるように、名実ともに米国の覇権システムへの無条件の参加・連動という原理に純化しているのだろうか。それとも、解体は、別の新しい原理(例えば新しいアジア主義のようなもの)への移行を模索する過程として進んでいるのだろうか。あるいは、歴史的条件の変化にもかかわらず三つの原理を相手に応じて使い分ける手法に惰性的にすがりついたまま、あからさまな“原理なき浮遊”に陥っているのだろうか。こうした点を整理し、戦後国家の解体の意味を明確にする必要がある。
二つ目は、戦後国家を乗り越える、私たちの側のオルタナティブな原理とは何かという問題である。武藤は、「かの二原理を抜き棄てるなかで、憲法の絶対平和主義と戦後の民衆闘争のなかで『選び直され』た民主主義の蓄積は、戦後国家から引き継がれ、原理として据え直される」と主張している。
私もこのことに同意する。いうまでもなく、平和主義と民主主義は、民衆の抵抗闘争をくぐる中で、非軍事・非武装・非暴力の原理と地域からの自治・自己決定・参加の原理という内実を獲得しつつある。この原理を徹底して具体化すれば、憲法の枠を越えて主権国民国家それ自体の相対化に行きつかざるをえない。そこで、私たちには、戦後国家に代わるどのような新しい政治システムを積極的に構想するのかが問われてくる。
三つ目は、戦後国家を乗り越える「主体はだれか、なにか」という問題である。武藤は、それは「国民」ではなく、「日本列島住民」であると提起している。もちろん、これでは、まだまだ抽象的である。
「国民」を超える主体の形成という問題について、私は次のような仮説を立てている。それは、違った利害・経験・価値観を持つさまざまの集団が差異を認めあって結合する複合的な主体である。この複合的な主体が形成される場は、まず地域である。そして、「住民」性(地域に根ざして暮らし文化や生活の共同性を大事にする存在)と「市民」性(国家・企業・共同体から自立し、越境して活動する存在)との緊張関係が成り立つことが鍵になる。
多発・多様にくりひろげられている民衆運動の現場と経験に即しながら、脱「国民」の主体を構想する議論を多くの人が展開することが望まれる。
(『派兵チェック 』No.74、1998.11.15号)
《書評》
「浄土の回復――愛媛玉串料訴訟と真宗教団」 (安西賢誠著 樹花舎 1800円)
北野誉●反天皇制運動連絡会・「
昨年四月二日、「愛媛玉串料訴訟」最高裁大法廷は、同県知事による靖国神社及び県護国神社の慰霊祭への公金支出を憲法違反とする判決を下した。八二年六月に松山地裁へ提訴されて以来、一五年にわたる裁判に勝訴したわけだが、その原告団長であった真宗大谷派の僧侶・安西賢誠氏の自己史、教団と運動とに関わる思いを語りおろした本が出版された(聞き手ならびに編集は井上澄夫氏)。
造本や書名からついつい抹香臭い本を想像してしまう。だが、著者は親鸞の思想や教団の形成史について語るときも、きわめてわかりやすい口調である。ここで書名に掲げられた「浄土」とは、ユートピアや理想郷なのではなく、自然の人間の本来的あり方であり、自然の秩序のことだと著者は強調する。「それを根拠にすることによって、社会とか政治とかを批判することができる眼をたまわるという」批判原理であるという。さらに、キーワードとして「社会的実践としての求道・還相回向の受けとめ」について語る。「還相回向」とはいわば主体における思想と実践との往還関係のことだが、内省的な行としてイメージされがちな宗教の姿が、ここで外に向かって開かれているのだ。
著者は真摯な真宗者であることによって、封建体制を支えてきた真宗のありかた、封建教学を批判して登場した近代教学が、戦争協力において果たした役割についても徹底的に批判を加える。けれども、それは住職である著者にとって、たんに「『教団の悪』をあげつらう」ためになされるものではない。
戦時中、軍人戦死者に与えられた、「義烈院釋盡○○居士」といった「軍人院号」というものがあったという。自分の寺の過去帳でそれを調べていた著者は、「そこでハッと、これは教団という、いわば上のほうだけの問題ではない、じつは、自分の父の問題でもあるということに、やっと思いいたった。……寺の住職が、戦死、戦死者をほめたたえることによって、遺族の怒りを解消させ、黙らせる役割をになった。しかもそうやって、戦死を教化に利用した。そこにつきあたって、これは私自身、私の生活と無関係の問題ではないと、初めて気づいた」。
国家による死者の利用、それは靖国問題に象徴される。本書では「国家の靖国」と呼応する「民衆の靖国」の世界が、繰り返し問題とされている。日本の民衆の中に、歴史的な根を下ろしている霊信仰、共同体信仰のもつ罪悪性。「昔からみんながやってきたことだから」と非合理の世界を許しあう伝統。「全体のなかに個を解消していく信仰の伝統が、一人ひとりの主体的責任を見失わせてきた」歴史。これに対して、そのような実態を教義の上から裁くのではなく、そういった人びとの願望を「どう転ずるか」こそが問題であると著者は言う。自ら職業的僧侶として、「先祖供養」という名の「死者」儀礼(それを著者は「仏教の神道化・儒教化」と表現している)を営むことによって、靖国をささえる心的土壌を「ある意味で再生産している」ことに自覚的でありつつも、たんに憲法上の「信教の自由」「政教分離」原則を擁護するのではなく、国家を相対化し、批判の眼をもつこと、それが著者の靖国批判の基底にあるのだ。
終わりの部分では、玉串料訴訟の具体的経過が語られている。裁判の過程で、「国家のために死んだ人間を国家がまつるのは当然」という根強い「常識」が、「戦没者の霊が靖国神社にいるという判断そのものが、靖国信仰という特定の宗教的信仰に立脚した判断なのである」という鮮明な論理のもとに打ち破られていく姿が、いきいきと描かれている。しかし同時に、最高裁判決において内包されている論理への批判と危惧にも、多くのページが割かれている。ひとつはいわゆる「目的・効果論」にたいする批判であり、もうひとつは神道的霊意識に立脚した「慰霊」が、宗教を越えた「人間の普遍的感情」であるかのように前提されていることにたいする批判である。
前者については、反天連のニュースでも以前ふれられたことがあり(「反天皇制運動NOISE」36号、中川信明原稿)、後者については例年の8・15集会などでも論議され続けているものでもある。いずれも重要であり、見落とすことはできない。
全体を通して本書は、宗教者であるが故の真摯さと、自らの定められた位置から発せられるラディカルさに満ちて、非常に教えられる本であるといえる。自分は無神論者であると思っている人は多いが、日本社会に習俗化された共同性の中に否応なく縛り付けられている人間にとって、宗教と国家の問題は、やはり無縁な問題ではないのだ。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.16,
1998.11.10号)
《書評》
運動の全国交流、次は何か
「全国から新ガイドライン安保・有事立法に反対の声を! 9・20行動」報告集
天野恵一●反天皇制運動連絡会
この間、私たちは「全国からガイドライン安保・有事立法に反対の声を! 9・20行動」と「11・3全国共同行動 新ガイドラインに反対の声を」の集まりを、各地の闘いが生き生きと交流することを通して、反ガイドライン安保の運動がより力強いものになる、そういうものとして実現すべく、全力で動いてきた。
11月3日の集まりにまにあわせるべく、9・20集会の報告集(パンフレット)を大いそぎで私たちはつくった。9・20集会の時は、主催者としての雑務におわれ、私はキチンとすべてを聞いているということが、できなかった。
参加者の少なからぬ人から、実に多様な各地の運動が、わかりやすく報告され、いい集まりだったと、集会からデモに移る時に語りかけられた。
そこで、9・20行動の報告集を、私はできあがるとすぐにゆっくりと読んでみた。
読み終って、すでに新ガイドライン安保体制(日本を具体的に戦争遂行可能な国家・社会とする体制)づくりは実施されており、それへの各地での反撃も、実に多様にくりひろげられているという事実を、あらためて実感した。
「周辺事態措置法案」「自衛隊法改悪案」そして「有事」むけの「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」の改悪。この新ガイドライン安保関連法案が国会に提出されているわけであるが、こうした「法案」の成立を阻止しようという大きな動きをつくりだすことが、私たちの当面の目標である。しかし、事態は、すでに先取りされているのだ。
米軍の演習は、沖縄以上のものに強化された所もあり(例えば矢臼別)、米海兵隊はわがもの顔で演習地の街へくりだしている。米の軍事艦船は、各地にあいついで入港し、民間港にも入りだしている(例えば小樽港)。指揮機能を持った攻撃的な軍用機AWACSも買いこまれ配備された(浜松)。戦死(者)をたたえる「草の根右翼」の運動も、目に見えて突出しだした。
こうした国家の武装力の強化・社会の軍事化の進展に抗して各地で(特に沖縄の反撃は質量ともに強力なものであり続けている)、実にねばりづよく、個性的な運動がつくりだされているのだ。
大阪での「大阪港軍港化反対」の署名活動。広島県内87市町村への、ガイドライン安保関連法をどう自治体に説明しているかの調査をかねた「キャラバン行動」。
北九州の関門港・病院など市が管理する施設の軍事利用の拒否を呼びかける大がかりな署名運動。米国のニューヨーク・タイムスへの「米海兵隊は日本にいらない」の意見広告運動(日出生台)。
地元の長崎新聞への両面見開き(2ページ)意見広告を出す運動。自分たちの独自のラジオ番組をつくりだそうという沖縄での運動。東京の婦人民主クラブの人々の「周辺事態法」をめぐる国会議員へのアンケート活動と、そのアンケートの議員への働きかけへの活用の提案……。
いろいろな闘いがすでに開始されており、運動のネットワークも広がり、中心の渦はいくつもつくりだされている。ネットワークは一元的にでなく、多層的につくりだされている(地域のあるいはテーマの個性をふまえた、各地を結ぶ集まりも、いくつも持たれ続けているのだ)。
「9・20」のあつまりが、こういうことが、よく確認できるものであったことは、この報告集を読むことで、あらためてリアルに認識できた。
私は「11・3」の集まりの主催者発言で、法案の攻防にのみ関心を集中し、国会審議開始待ちといった傾向はまずいと発言した。
すでにドンドン展開している各地の自分たちの運動の積極性をこそ確認しつつ、先取り的に実質化している「戦争体制」に反撃している具体的な運動を、一つ一つ結びつけつつ、豊かに交流させていくことを、さらに推し進めることの必要を訴えたのである。 例えば長崎新聞のカラーの2ページの意見広告は、「11・3」集会では、すでに会場でまかれていた。地方紙とはいえ、ここまで大々的な反戦(反ガイドライン)広告が、こんな短期でつくりだされたことに私は驚いた。
運動の成果(方法と体験)がスピーディに交流できる場として「11・3」があった。無理をして、連続的な行動を準備してよかったと率直に思ったのだ。
『'97ガイドライン安保・有事法に反対する全国FAX通信』の26号(10月29日)で吉川勇一は、前号(25)の私の「戦争国家=軍事社会」化をストップさせ「非武装国家=非軍事化」させる方向に押しもどすという運動のうねりをつくりだす、新しい運動の構想を、との発言に賛同すると語っている。そして、吉川は「自衛隊のなくなる日」に向けた具体的な構想の提示こそが大切だと、そこで強調している。
各地の多様な運動のベースには、「非武装国家=非軍事社会」をこそ目指そうという価値観が存在すること(当事者がそれにどの程度自覚的であるかはともかく)は、それなりに実感できる状況である。
多様で個性的な運動をスローガン的に団結(一致)させるのでない、各地・各グループの運動の個性が生かせ、なお「国家の非武装=社会の非軍事化」という目標に向けて共にやれる具体的課題を、考えてみる。そのことを開かれた場所で論議してみる。吉川の文章を読みながら、そういう事の必要を私は感じた。
(『派兵チェック』No.74、1998.11.15号)
女のからだから世間をながめ、ものいう女たち――女(わたし)のからだを優生政策につかわせないぞ! の "SOSHIREN"
SOSHIREN。その実態を知らない人にとっては、なんのことやらわからないにちがいない。では、これならどうだ。「阻止連」。これは数年前の名称だ。これで少しは表記の意味内容だけは伝わるにちがいない。がしかし、まだまだ。では、これならどうだ。「'82優生保護法改悪阻止連絡会」。ここまでくればあらかたは了解できる。この
阻止連とは略称・通称であって、長い長いこの名前が正式な名称だったのだ。
SOSHIRENも、連絡先は「SOSHIREN・女(わたし)のからだから」となっているし、ニュースレター等には説明的に長い方の名称も入っていて、とりあえず
はなんのことやらすぐにわかることになっている。もっとも、何が正式名称かというのは、当該者が「これである」と指摘するものがそうであるはずなのだが、メンバーによってその主張が異なったりするというから、おもしろい。
SOSHIRENとはその名のとおり、82年の「優生保護法」の改悪をキッカケにそれを阻止しようと集まった女たちのグループだ。実際は、70年代からこの「優生保護法」問題で動いていた女たちがいて、その彼女たちも含めて82年に阻止連を発足させたというのであるから、その継続の力たるやスゴイものを感じる。世の中、きな臭くなると決まって出てくるのが人口政策だったり、優生思想だったりする。そして、阻止連が継続的に活動を必要とされたことを考えると、日本はそういう意味ではずっときな臭い世の中であったのかも知れない。それにしても、今ほどきな臭い時代は戦後あっただろうか。そのような今という時代と、彼女たちの掲げる課題とを、彼女たちは一体どのようにつなげながら活動をすすめているのか。
そんなこんなをぼんやりと考えつつ、阻止連発足当初からのメンバーの一人である大橋由香子さんに話を聞いた。元気が出る話を何の根拠もなく予想していた私は、現実はとってもキビシーのね、と、いずこも同じという状況にクラリときてしまった。
80年代初頭、中曽根政権の下で草の根ファッショが活性化した。そのなかで優生保護法の課題を中心にすえ、全体の運動と繋がり、彼女たちの活動自体も活性化した。そう語る彼女はその言葉に続けて、現在はそれがかなり困難な状況にあることを付け加えた。
「優生保護法」は96年、「母体保護法」と名称変を変えた。これについては、彼女たちの主張がある程度反映していると彼女は語る。「不良な子孫の出生を阻止する」といういわゆる優生思想は、文字の上ではなくなったのだから。だが、ヨカッタヨカッタでは済まされない重大な現実があることを彼女は語ってくれた。医学の進歩(!?)出生前診断によって、胎児の健康状態――「正常」か「異常」かを知り、「産み分け」を選択させるという状況。あるいは、96年以前の露骨な「優生思想」政策に蓋をしてしまい、反省どころかそのような歴史などなかったかのようにしてしまう厚生省の姿勢などだ。
堕胎罪で中絶は禁止し、戦前の「国民優生法」 → 「優生保護法」 → 「母体保護法」のもとで中絶を「許可」するシステムの内包する思想的なところは、「産み分け」をすすめるということ一つを見るだけで、なんら変わっていないことを知らされる。
小手先の「改正」と歴史の抹殺。そして、事態は好転したかのようにみせつつ残った旧態依然の思想と新たな難問。この国の戦争責任問題、戦後補償問題、差別意識等々を思い起こさせるに充分すぎる、ウンザリするお話である。
人口政策や優生思想の政治的意図を反映させる法律の問題は、現実の右傾化の動きと密接に連動しながら働く。さまざまな課題と結びつけながら問題をたてていくことによって、運動全体も自身の活動も活性化するというような政治課題であり社会問題なのだ。このことは、彼女が語ってくれた80年代初頭と変わりはしないはずだ。しかし、彼女は言うのだ。「問題自体が専門化してきてしまっている」。それによって闘いの方もシングルイシュー化を迫られている、と。法律の問題というより医療の問題として、まずそれは立ち現れているのだ。たとえば、彼女たちの交渉や抗議の相手は日本産婦人科学会や、厚生省科学審議会先端医療技術評価部会だったりと、法律から離れ、技術・専門的な部分へと変わっていかざるをえない。いままでなかった専門知識も必要となる。優生政策の問題自体が明らかに40年代のそれと比して複雑化し、変質を遂げているのだ。
さらに厄介な問題もあった。彼女たちは「これぞ!」というようなテーゼを、これまでに少なからず発している。が、それ自体の意味・概念が思いも寄らぬ方向に歪曲され、とうてい受け入れがたい新しい現実を「あなた達がいっていることでしょ?」と切り返される局面に遭遇するというのだ。たとえばこうだ。
「産む産まないは、女(わたし)が決める」という彼女たちの有名なテーゼがある。これが、出生前診断が可能となった現在、「障害児を産む産まない」の選択、選別のためのテーゼと歪曲され、運動の側へフィードバックさせられるのだと。その結果はこうだ。「障害児を産むと決めたのはあなた。その責任もあなたが背負うべき」。ここでは、障害をかかえて生きる人々が、気持ちよく生きていけるような社会をつくり出すための努力とは、対局にある思考を強要されるのだ。「自己決定」論も同様。これが単に体制側の言い分だけであればまだしも、運動を支える側の示唆として「そのような表現は向こう側にこのように切り返されるから……」とくる場合も少なくないという。つらいはなしである。
彼女たちの活動は長い。彼女たち自身のテーゼが、10年20年後のいま、体制側の切り札として使われるというような局面は、思い起こせば、さまざまな闘いの歴史のなかでは繰り返し起こってきたことかもしれない。一般的に考えてこのような文字どおりの長期戦の中では、全体状況の変化にともない、また継続のための工夫として、その闘い方も少しづつ変容せざるをえない部分は出てくるにちがいない。しかし彼女たちは、大きな変化を求めるというよりは、ゆったりとネットワークを拡げ、国内外の仲間たちと刺激や知恵を交換しつつ、共闘をはかりながら、メッセージを発しているように見えるのだ。
彼女たちが発行しているニュースレターがある。いつも表紙がカッチョイイ『女(わたし)のからだから』だ。彼女たちの表現やテーゼが、状況の中でいかに苦境に直面していようとも、それを感じさせないほど、それをもぶっちぎるだけの力を感じる。あいかわらず彼女たちのメッセージは変わらないのだ。「女(わたし)の体を優生政策に、人口調節や人口政策に使わせないぞ!」は、毎号送られてくるニュースレターから確実に伝わってくる。おそらく彼女たちは、またインパクトのある新たな表現でもって、「これぞ!」という何かを出してくるにちがいないと、ひそかに私は心待ちしているのだ。
まずは彼女たちのニュースレターをおすすめしたい。定額カンパ月500円で送ってもらえるはずだ。連絡先は
東京都新宿区富久町8−27 ニューライフ新宿東305 ジョキ内
電話/FAX 03−3353−4474
郵便振替00170−1−74055 SOSHIREN・女(わたし)のからだから