alternative autonomous lane No.16
1999.5.25

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目 次





【議論と論考】

「国旗・国歌」法制化騒ぎを主観・楽観する!(竹森真紀)

政府自民党の「平和」のベールと小沢の「戦争参加」発言−−防衛庁長官の二つの発言訂正をめぐって(天野恵一)

【無党派運動の思想・2】

天野恵一『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』を読んで(吉川勇一)

【チョー右派言論を読む】

「ほんとうは恐いガイドラインの話」(太田昌国)

【書評】

新崎盛暉・天野恵一『ほんとうに戦争がしたいの!?――新ガイドラインの向こうに見えるもの』(桜井大子)













「国旗・国歌」法制化騒ぎを主観・楽観する!

竹森真紀北九州「君が代」訴訟=ココロ裁判(学校現場に内心の自由を求め、
「君が代」強制を憲法に問う裁判)原告

◆日の丸・君が代と「学校崩壊」
 原稿が書けず、思わずテレビをつけたり録画していたビデオを見たり……。ということで、先日の『朝まで生テレビ(テーマ:学級崩壊)』をだらだらと見てしまった。でも実は私、NHK教育番組にはまったり、『朝生』もチェックしてたり、思わずテレビに向かって突っ込み入れてるオバサンなのだ。
 さてその『朝生』、初代金八先生のモデルとされる元全日本教職員組合委員長の三上満氏と、かつては自分も金八先生だったという埼玉県の現役中学校教諭でプロ教師の会川上亮一氏が、ほぼ対立の構図で討論に参加していた。戦後の教育を直に携わってきたであろう三上氏の言葉はなぜか!確信に満ちていて私を納得させるものがあったが、川上亮一氏の言葉は、彼が現役であるにもかかわらず無責任な発言に聞こえ私を苛立たせた。疲弊した教育現場からのニーズによるものだろうが、教育書そのものが低迷している中で彼の著書『学校崩壊』は売れている。討論が進む中で、「今の学校教育には指針となるものがない」との発言に対して、「本来は教育基本法があるのです」と、教育基本法前文の「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」という下りを示したのは三上氏だった。(司会の田原聡一郎が三上氏に向かって何度も、「なぜ、日教組は早くそれをやらなかったんですか」と突っ込んで、三上氏は小さな声で「私は日教組じゃない(全教)です」と答えていたのが妙に笑えた! どうでもいいがその程度の認識なのかと……)しかし、崩壊した学級を成立させることが先決である今の学校を目の前にして、現場の教員の必要とするものは教育基本法ではなく、もっともらしく現状を分析し、無前提に「自由」を与え過ぎた子どもたちへの一定の管理の必要を説く著書『学校崩壊』なのかもしれない……。また、現在の子どもたちを学校の外から見ているであろう藤井誠二(若手のノンフィクションライター)は、やっぱり三上氏の言葉をうさん臭そうに受け止めていたようにも見えた。
 などと、『朝生』の討論などどうでもいいのだが、どうしようもなく疲弊してしまった「戦後民主教育」の陰で浸透してしまった「日の丸・君が代」を、今、私は綴らねばならない。うううっ、ゴールデンウイークだって言うのに……。長い前置きとなりましたが、以下述べることは「状況・批評」との大それたコーナーには不適切な、私のごく主観的なものとなることを弁解しておきます。

◆「日の丸・君が代」は政争の具か
 世間では、戦後ずっと「日の丸・君が代」が文部省と日教組の最大の対立点であるかのような構図がまかり通ってきたように思う。一九九四年、ありし日の社会党党首村山がトンちゃんトンちゃんともて囃され首相となった結果、それは「国旗・国歌」であることが当然とされ「強制はしない」とだめを押された。そして、文部省と日教組はパートナーシップを結んだ……らしい。日本の労働運動の歴史を分析する力量はないが、戦後最大の労働組合として総評の先頭に立ってきた日教組が脆くも無残な姿となったのは何も最近のことではない。「日の丸・君が代」が大きな対立点であったということの実態はあまりに希薄で、沖縄、広島、京都、大阪、東京、神奈川など、地域をまきこんだ反戦・平和運動や部落解放運動などが根付いた一部の地域を除いては、戦前戦後連綿と「日の丸・君が代」は学校にあり続けた。日教組が「日の丸・君が代」を自らの課題として(これが簡単には語れないのですが……)闘いを積み上げた歴史はないと言っても過言ではないと思う。私の住む福岡の、日教組でもとりわけ先頭的位置にあった福教組(組織率も高かった)においてさえ「日の丸・君が代」を当局との大きな攻防軸や現場での取り組みとして闘った歴史などないのだ。(やっぱり処分を出さない取引でしかなかった)
 文部省があえて「日の丸・君が代」を教育現場へ持ち込み反対する教職員を処分までなすのは、そういったあるかのような運動を弾圧する目的であり、事実「日の丸・君が代」は政争の具として使われた面は否めない。つまるところ、日教組の「日の丸・君が代」反対運動は「反対のための、ためにする運動」としか評されていないことの現れなのかもしれない。そのようなジレンマをかかえつつ、私たちは孤立を恐れず今の地平を築いてきた、つもりだ。一定の地平にたどり着いた私たちにとって、今春、広島で起こったことはまたしても権力に利用されてしまったという感が否めず、まだそんな攻防があったのかとも思わされたが、今もなお校長を自殺に追い込むだけの「日の丸・君が代」であれば看過もできないのか。

◆「日の丸・君が代」でナショナリズムは生まれるのか
 本誌前号で私たちのパンフレットの紹介をしていただいた。現場の教員のつたない陳述集だが、それに触れた評は「教育委員会による学校と教職員の管理が強められていく過程で持ち出される中に『日の丸・君が代』が重要な役割を果たしているということが分かる。現在の社会の中で生じているさまざまな問題が、『日の丸・君が代』に代表されるナショナリズムとどんな関わりを持つのか見極めていくことの必要性を感じさせられた」とある。一九八五年の文部次官高石邦男による「君が代」徹底通知以降、北九州市では卒・入学式の「君が代」斉唱時の不起立に対して懲戒処分が慣例化し、この有無を言わせぬ行政処分に私たち文字通り一人一人が何とか対等に向き合えるようになったのは一九九六年一一月、一七名の原告本人訴訟『学校現場に内心の自由を求め、「君が代」強制を憲法に問う裁判』提訴であり、ここに至るまでの長い時間があった。一人一人の原告が学校長の職務命令に違反したとして懲戒処分を受けたことはちっぽけかもしれないが、国家権力への抵抗を示したことへの誇りが侵されたことである。そして、裁判を起こすことで国家への新たな異議申し立てを行っていることの必然性が、現場の教員の言葉で語られている。本裁判をはじめとする闘いは、私たちがなしていることが「現在の社会の中で生じているさまざまな問題」と関わっていることを学校の外へと突き付けていこうとする営みであるのだ。
 このような闘いを持続してきた私たちの前に、今回の国旗・国歌法制化の動きは、主観的過ぎるかもしれないが、陳腐なものと見えたのも事実だ。長く「日の丸・君が代」にこだわってきた私が、今の直感的な発言を許していただくなら「日の丸・君が代」で国家は統合されないだろうということだ。今回の法制化騒ぎでマスコミ等もあらゆる形で「日の丸・君が代」を取り上げた。法制化への煽りも含めた情報操作もやっぱり政争の具だったかもしれないが、朝生で「日の丸・君が代」論議もやってた、新聞の投書欄での老若男女の強制はおかしい、や歌詞が馴染まないの声。沖縄国体で知花氏が「日の丸」を焼き捨ててから一〇年以上、沈黙を保ってきたはずの「日の丸・君が代」に対してそこまで関心持ってたの、とびっくりするような世間の反応があった。この国では、「日の丸・君が代」は天皇と三点セットでずっとタブーであった。タブーであった方がよかったのかどうかは分からないが、ここまで白昼堂々と議論されることなんてないと思ってたのが本音なのだ。これが私の楽観視かな?

◆崩壊をプラスへ転じる「個」の確立へ
 戦後、アメリカ教育使節団のおかげで憲法に準ずる形で生まれた教育基本法がイメージした教育は、日本の学校においてイメージすることさえなく五〇数年を過ぎた。(今年の憲法記念日は、アホ面の小渕君がアメリカの顔色を窺っただけの情けない日でした。日本がイメージする平和の希求とはあの沖縄においてサミットを開催するという茶番でしかないのだ!)「管理教育」「詰め込み教育」「受験戦争」「落ちこぼれ」「校内暴力」「いじめ」「不登校」と戦後の公教育は立ち上りからすぐに社会問題化した。しかしなされてきた改革は何ら抜本的なものではなく、学習指導要領の改定は「個性化」を羅列するのみで「国旗・国歌」に関しては強制性を強め、学習指導要領そのものの拘束力だけがまるで憲法であるかのように肥大化させてきた。
 私たちは先を急ぐあまりに、教育基本法がイメージするものを具体的に伝える営みをサボり、学校は崩れかけている。しかし、崩れかけたことをプラスへ転じる想像力こそが今求められている。五〇年以上が過ぎたからこそできることは何なのか、悲しみや傷みのみならず加害意識への批判を恐れずに戦争を語ること、かたわらにいる「在日」二世、三世の今を知ること、沖縄の人たちの発信へ耳を傾けること、今だからこそ冷静に見つめ直せることはたくさんある。崩れかけた学校や社会の中で、みせかけの民主教育に傷ついた子どもたちは十分闘って生きてるし、闘うことがたくさんあるのだ……。私はそこに身を置き闘いたい。











政府自民党の「平和」のベールと小沢の「戦争参加」発言−−防衛庁長官の二つの発言訂正をめぐって

天野恵一●反天皇制運動連絡会


 『'97ガイドライン安保・有事法に反対する全国FAX通信』(No. 39号)に、「野呂田防衛庁長官の辞任を要求します」という婦人民主クラブの緊急声明がある。
 公式の場での自分の発言を24時間後には撤回するという無責任さがそこで批判されている。まったくあたりまえの批判である。
 ここでは、この発言と撤回が象徴する意味を考えてみたい。『朝日新聞』(5月 13日)は、防衛庁長官の発言を紹介している。
 「◆船舶検査活動での警告射撃(11日の記者会見で)
 『警告とか威嚇射撃は別に武力行使でもないから、やって出来ないことはないと思う。警告射撃を認めたから、武力の行使で憲法違反ということには全くならない』
 ◆島袋宗康氏が『周辺事態に巻き込まれる可能性は沖縄が一番高いのでは』と質問したのに答えて(11日の「特別委」で)
 『確かに地理的条件からいっても、基地が多く存在することを考えても、委員が言われることがあり得るのじゃないかというふうに考えられる』」。
 威嚇射撃については「つい私個人の考え方を申し上げた。数分間しかない記者会見で、時間的余裕がないままの発言だった」と釈明し、沖縄が戦争に巻きこまれる可能性が一番では、にイエスと答えた件については、『朝日』には、こうある。
 「野呂田氏は『舌足らずだった。心からおわび申し上げたい』。島袋氏が質問に立つと野呂田氏は沖縄戦の歴史にも触れて改めて陳謝。小渕恵三首相も『沖縄県民の方々にご心配をお掛けした』と釈明したが、島袋氏は『本日の長官の修正発言は非常に不満だ。昨日の答弁は的確であり、本音だったはずだ』と納得しなかった」。
 威嚇射撃は武力行使でないから合憲というとんでもない「解釈」(もはやデタラメ)が、自民党のホンネであることは、ここによく示されている。撤回は、「船舶検査」をめぐっての「警告射撃」盛り込みに反対している公明党への政治配慮からのものだろう。平和憲法のタテマエはそのままで、攻撃的戦闘行為も合憲という、信じられない『解釈』がそこに準備されているのだ。憲法(九条)を無視し破壊する法律をつくりながら、憲法を尊重しているポーズは崩さない。この政府の欺瞞的手法が防衛庁長官の発言と撤回にも、よく示されている。
 沖縄をめぐる問題は、つい本当のことを語ってしまったが、タテマエ的には、そういうわけにもいかないので撤回したわけだ。「昨日の答弁は的確」「本音だったはずだ」という島袋の発言が真実をいいあてている。沖縄の人々に「御心配をお掛けした」との小渕発言は、まったくハレンチである。戦争事態に人々を引きづりこむ法律をつくりながら、安全です、心配無用というポーズで沖縄の人々、あるいは「国民」に対応する。いったい、この政府は、なんなんだ。思わず、そりゃ危険ですよ、とホンネを言ってしまい、あわてて、心配させる発言をしたと撤回する。個々の民衆の生活や命のことなど、まともに考えていない政府の姿勢が、このやりとりに象徴されている。
 戦争のための法律づくりという、「ガイドライン安保関連法案」の基本的性格を隠し続けたまま戦争国家づくりに突き進んでいる自民党政府の姿勢が必然的にもたらした、欺瞞的な撤回発言である。
 ところが、自由党党主小沢一郎は、このように発言している。
 「しかし、今度のガイドラインは、ごく大ざっぱにいうと、まさに戦争に参加する話なんです。そんな大事なことを、まったくいい加減な、嘘をついてごまかそうとしているわけだ。その政府自民党の姿勢に問題がすべてあるんですよ。だから僕は『国民を騙してはいけない』といっている」(「国政改革は無血革命だ」『正論』6月号インタビュー)。
 自・自連合の一方の党主小沢は、正直に、戦争国家づくりだと自民党も主張すべきだと、ここで語っているわけである。小沢は、ここで、「いい加減さ、あいまいさ、その場しのぎの体質」という日本人のマイナスを自民党が代表していると語っている。自分が自民党育ちで、現在の政界のボスの地位も、かつての自民党のボスのキャリアが保障しているという小沢の現実に目をやれば、なんたるいい加減な、カラいばりの発言であるかについては、こまごまと論ずる必要はあるまい。
 「戦争をやるんだ」というホンネをキチンと国民に示しつつ、戦争国家をつくるべきだ、と小沢は語り、「平和主義」のあいまいなベールを取りはらうことを自民党に要求している。小沢の「普通の戦争をする国家」への道は、劣化ウラン弾をも使った NATO軍のユーゴ空爆に通じている。民族間対立を煽り(虐殺を増大させ)、難民を大量にうみだしているだけの、あの恐るべき空爆に。
 私たちは、戦争国家づくりという事実を、いい加減にあいまいにして、平和国家のベールをかけたまま戦争へ向かう政府自民党のコースでもなく、戦争への参加を公然と宣言する小沢のコースでもなく、相互依存関係にある両者の共通の基盤である「戦争国家」化それ自体を拒否しなければならない。
 「戦争国家」化に抵抗し続ける運動と思想こそが、今、切実に求められているのだ。(『派兵チェック』 No. 80、1999.5.15号)











「ほんとうは恐いガイドラインの話」

太田昌国●ラテンアメリカ研究者

 メルヘンとは、いつも、罪のない絵空事、現実には叶わぬ夢物語として、幼年・子ども時代の私たちにとって魅力の源泉であり続けた。それゆえに、(当然にも、人に依るが)しばしば根強い反感の対象ともなった。最近、主としてグリム童話を対象として、道徳を説教したり小市民的な幸福感にひたらせると解釈されがちなあの一連のお話は、「ほんとうは恐い」ものに満ちていたのだとする初版原典訳や解説本が多くの読者を得ており、書店にはその種の本が数多く並んでいる。メルヘンには、確かに魔女や悪漢や盗賊やいじめを楽しむ大人たちが登場する(だからこそ子ども心にはハッピー・エンドが劇的に印象づけられる)わけだから、物語は本来的に、ためにする甘言と裏切りと嫉みと悪だくみと憎しみ、いじめと暴力沙汰と人殺しなどの暗い側面を伴っているのだが、子ども向けに翻案されたダイジェスト版で通過儀礼的にそこを通り過ぎる場合が多かった私たちは、しばしばメルヘンの初源の姿を知らないまま大人になってしまう。
 だから、グリム童話の初版にさかのぼっての読み直しは確かにおもしろいが、ここはそのための場ではない。実は私たちはこのかん「ほんとうは恐いガイドライン」という〈お話〉を世の中の人びとに繰り返し訴えて続けてきたわけだが、その訴えは、現在の時点では必ずしも功を奏さなかったことの問題点を考えてみたい。グリム童話の一件はその枕である。
 非核市民宣言運動・ヨコスカの新倉裕史さんは、反対運動に取り組む人びとのなかにあっても新ガイドラインの本文が実はあまりよく読まれていない事実に触れて、誰かの話をおうむがえしに言っているだけでは「本当の怖さはあまり伝わらない」と言う(あごら新宿編『「周辺事態法」は戦争への道U』所収の「日米安保はすでに変質している:新ガイドラインと自治体」、あごらMINI編集部、1999年4月)。私たちが昨年8月「提言:新ガイドラインを問う」を発表した時にも、ガイドライン本文を読もうと思っても読み切れないから、こういうふうに全体的に批判した文章が出ると便利だという声がちらほら聞こえてきた。あの低劣な文章は読みたくない、読んでも頭に通らないという気持ちはわからぬではない。だが、新倉さんと共に、だからといって読まぬのは間違っていると私も思う。ガイドラインや周辺事態法案の「ほんとうの恐さ」は、焦点をぼかした、あの下劣な文章を読めば読むほど、よりいっそう身に沁みてくる。初版(英文)と再版(日文)の差を対比的に読めばなおさらだが、後者のみを読んでもその表現の異様さ、ごまかしは際立つ。それだけに余計に、正確な数値としては表現しようもないが、反対運動の担い手内部にガイドラインや周辺事態法案の文章それ自体をきちんとは読んでいない人が一定の割合を占めて存在していたとすれば、それはやはり良くないことであった。運動が広がる可能性を殺いだかもしれないという意味において。問題は、こうして、まず私たちの内部で内省的に提起される必要があるのだろう。
 もちろん同時に、政府・与党・官僚たちが、新ガイドラインや周辺事態法案から「ほんとうは恐い話」を抜き取ることで、本旨とは似ても似つかぬ姿で見せかけた態度を徹底的に批判する必要がある。彼らは、グリムの弟ヴィルヘルムよろしく、ガイドラインの初版(英語)を粉飾し、改変した。ヴィルヘルムは初版版『グリム兄弟の家庭と子どものメルヘン集』にあらずもがなの道徳を織り込み、あって構わない性的な表現を削除した。「物語の内容も、表現と語り口も子ども向きではない」とする、当時の社会の一般的な風潮とそれに基づいた圧力に妥協したのである。日本政府はガイドラインの訳文において、意図的な言葉の使い分けを行ない、原文には確固としてある〈軍事色〉を抜き取った表現にした。「戦後平和主義の微温的な雰囲気の下で育った日本人の大人向きではない」米国式の(この20世紀を戦争に次ぐ戦争で生き抜いてきたあの国にあってはごく当たり前に用いられる)剥出しの軍事用語を忌避したのであろう。法案が発動されて自衛隊が「後方支援」に出動しても、それは「ほとんど軍事ではない」と、無責任きわまりない防衛官僚・山口昇が抗弁したのは、その文脈においてであったと言える(本誌78号の太田の文章参照)。 戦争そのものから〈軍事色〉を取り除こうとする政府・与党の現実認識は、さすがリアリズムを心得ている。戦争から限りなく遠い半世紀以上を生きてきたこの社会の構成者たる「国民」は、そう簡単には戦争に耐えられないことを知っているから、そうしているのだ。だが、辺見庸が言うように「民衆というのはときに哀しい。情緒に巻き込まれ、自ら危機を選択したりする」(『世界』6月号)。「テポドン騒ぎ」と「不審船事件」を経た後の「世論」が、沖縄を例外として、ガイドライン法案賛成に大きく傾斜したらしいことを最近の調査は示している。
 興味深いことに、これにはマスメディアとそこで活動する一群の言論人が関わっている。彼らによれば、国家・国民たるもの「ほんとうは恐い」戦争にも必要とあれば立ち向かわなければならぬ。京大で禄を食む中西輝政は、現実に「不審船事件」が起こり「すでにその対処の方式が定められている」時には「国民が一致して政府を支持することは民主主義の鉄則とさえ言える」とまで言う(3月28日付毎日新聞)。税金で生活保障をうけている大学教師が、こんな言辞を弄していることを私たちは決して忘れないだろう。この連載でも何度か取り上げた田中明彦や山内昌之なども含めて、噴飯物の「理論水準」で民主主義や戦争について声高に語る連中がいること、情緒に流されるばかりの社会全般がそれに同調しはじめていること。時代の「ほんとうの恐さ」はそこにこそある。メルヘンは想像力の中で暴力をふるい人殺しをする物語としてどんなふうにも楽しむことができるが、中西・田中・山内らが煽る勇猛な物語は他者と自己の「死」を現実にもたらすのである。(『派兵チェック』 No. 80、1999.5.15号)







《無党派運動の思想》(3)

天野恵一『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』を読んで

吉川勇一●市民の意見30の会・東京


 私もかつての運動体験やそこで考えたことにこだわって、時に応じてそれを反芻するほうだが、天野さんは、それをかなり上回るしつこさだと思う。誤解されると困るので言っておくが、これは賛辞であって批判でも揶揄でもない。
 とにかく始まりは、私の『市民運動の宿題』への天野さんの書評(『情況』一九九一年一〇月号)だから、天野さんとのこのやりとりは、もう八年近く、折に触れて連続していることになる。私は喜んでそれに付き合うつもりだ。天野さんはかつて、私のこの本に触れて「あまり言葉にされたことのない過去の積極的な体験をこそ、現在の運動のなかで意識化すべきだという吉川のこだわりかたは、私のこだわってきたことにつながっている。だから、私はそこに深く共感したのである」と書いた。(「生き直されるべき『運動体験』」『インパクション73』一九九二年二月号)これは私の天野さんに対する言葉でもある。
 
 今度の著書の冒頭には、「日本はこれでいいのか市民連合」への評価がある。その設立にかなり責任のある私としては、「日市連」問題にも触れなければならないのだろうが、それは別の機会にまわして、ここは私の名も登場してくる最終章「『連合赤軍』という問題――〈全共闘経験〉をめぐって」に関係したことだけを述べる。
 天野さんは、ここで前著『「無党派」という党派性』への私の書評の二点を引用して、前著の主張を補完している。そのうち、第一の、同志殺しや内ゲバを「他人事」と見る件については、私の疑念は氷解した。前著がすこし説明不足だっただけのことだと理解できた。
 だが第二の点は、あまり説得的な追加説明とは思えなかった。こんどの本で述べられている限りではまったく異存はないのだが、前著の「男は逃げるようにきえる。そして死地へ。それは、殴り込みの暴力に共感したなどという、つまらない話ではないのだ。多くのヒーローたちのこの『自己否定=自己処罰』の精神にこそひかれたからである」というような表現が「もっと軽い気持ちの決意を書いたつもりだったのだが」といなされてしまうと、いささかシラケタ気分もちょっとした。ここはやはり天野さんの軌道修正のように思えた。
 懸案の二件はそれで終り。ここで言いたいことは、「4『戦争・軍』の思想」と「5『共産主義』化と暴力と民主主義」で新しく展開されている論についてだ。ここを読みながら、私は私で、以前の体験と感情を想起していた。それは、一九五〇年代、日本共産党員として活動していたときのことだ。私は野間宏の『真空地帯』を読んだ後、飯塚浩二の『日本の軍隊』(一九五〇年、東京大学出版部刊)を読んだ。そして、自分でも意外だったことは、この『日本の軍隊』を読みながら脳裏に浮かんでくるものが『真空地帯』の場面ではなく、現にその中に身を置いて活動していた共産党の運動の日々の場面だったことだ。同じじゃないか、あの細胞会議の討論は! あいつの言ったことは、この将校の言ったことと同じじゃないか! そういう思いがつぎつぎと湧き、それを振り払うのにかなり苦労をした。
 たとえば、『日本の軍隊』の第一部の「討議」で、丸山眞男がつぎのようにのべている。

 ルールは戦闘目的というか、非常に明確な目的があって、そのルールを或る程度引用してプロテストすることはできる。しかしこういうルールの背後には一種の自然法みたいなものがないと思う。つまり、軍隊というものにはその背後に人間性の尊厳というか、人間人格の平等というようなものによって支えられた基盤がないから、対戦闘目的とかいう合目的なものによって規定されたルールはあっても、それは反人間的なものを防ぐ保証にはならない。だから、そのようなものに対しては反人間的だという批判すら下すことは許されない。(前掲書 一〇八ページ下段)

 こういう指摘が、党内の雰囲気の描写に読めてしまうのだった。そんなことを思い出しながら、天野さんの、「共産主義〈コミュニズム〉革命の思想に軍隊の論理は常に内包されているこの軍事の論理〈文化〉と行動と内部粛清やリンチが連動しているのである。……『連合赤軍』の『同志殺し』の問題は、特殊『連赤』という問題にとじこめずにこういう文脈の中で考えるべきである」という指摘を読んだ。
 これは、天野さんが私の本への書評でのべた注文(著者は「連合赤軍リンチ殺害」があかるみに出た時代の「前衛党も軍も必要」という主張も含まれた自分の発言を引いたところで、「『前衛党の必要性』などとまったく余計なことをのべた部分」と語っているが、この「余計なこと」の中味をより具体的にどこかで論じていただきたいものである)とも関係する。
 この点だけ、答えておけば、それは、やはり天野さんの言う「自分の命がかかってしまう闘争へ決起しようという人間が、何人も出てくる運動状況のなかでは、そうした運動の方向を具体的に批判することが、できにくい気分がつくりだされてしまう」という時代の中で、それに影響されたことと、にもかかわらず、ベ平連がそのような方向に向かうのに何とかブレーキをかけようという主張を少しでも説得的なものにしようとして、心底から信じてもおらず、深く考えてもいないことを口にしたという、安易で姑息な妥協的・追従発言だったと言わざるをえない。
 このほか、「沖縄」を論じた章では、絶対平和主義の立場を追求する天野さんの思想の経過が具体的に語られている。三月末、私は天野さんや太田昌国さんらとともに「提言の会」として「非武装国家・日本」への具体的道程を求めるシンポジウムをやった。例によって時間不足で、議論はあまり深化させられなかったが、一つの出発点にはなったと思う。それとも関連して、だいぶ以前のことになるが、天野さんの「非武装国家論」について『統一』紙上で宮部彰さんが「残された論点」としている二点、とくに「国連の武装による平和」の論理への批判、「警察的軍隊」の論理への批判の問題を、今後すすめることを天野さんに期待したい。
 いずれにせよ、本書は、運動にかかわる多くの人に読まれて議論の種にしてほしいと思う好著である。
 天野さんの本の書評からますます離れてしまうように思われるかもしれないが、最後に一つだけ。最近、ふとしたことから元朝日新聞編集員の井川一久氏とやりあうことになりそうになっている。ことはポルポト政権下のカンボジアへのベトナム軍侵攻の評価をめぐってであり、具体的には、私や小田実、福富節男、日高六郎ら六一名が参加した一九七九年三月の共同声明への評価をめぐってである。この問題は直接、現下のNATO軍のユーゴ空爆への批判につながる。そして、共産主義、社会主義国、軍隊、暴力という、天野さんが今度の本でも問題にしつづけているテーマと直結するし、今のべた天野さんへの期待(注文)とも関連する。私は、かつて自分がかかわったこの立場にもこだわって、井川氏との議論を進めてみたいと思っている。(この問題の具体的資料は、私の個人ホームページhttp://mine.ne.jp/yy/ に公開されている)







《書評》

『ほんとうに戦争がしたいの!?――新ガイドラインの向こうに見えるもの』 (新崎盛暉・天野恵一 凱風社 八〇〇円)

桜井大子●反天皇制運動連絡会

 四月二六日夕方、新ガイドライン関連法案=「周辺事態法案」・「日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定案」・「自衛隊法改正案」が衆議院特別委員会で強行採決された。その日の夕刊(『朝日新聞』)は、記事をつくる時点では確認できなかったはずの衆院特別委員会での可決、まだ始まってもいない翌日の衆院本会議での可決、そして五月下旬に成立確実との報道だ。そして、翌日二七日の朝刊もこれのオウム返し。「政府筋」のみによる記事づくりであり、予想はそのようにしかたたないという話ではあろう。だが、まだ何も決まってはいないのだ。これが今日のメディア状況であり、政府の「絶対にやるぞ」という意志表示でもある。私たちは、本当にギリギリの所まで追い込まれているのだ。
 このブックレットは、こんな状況の中で緊急出版された。新崎盛暉と天野恵一の対談でまとめられた本書には、ガイドライン関連法案をめぐるシビアな状況分析、私たちができること、やらねばならないこと等々、エッセンスがギュウギュウ押し込められている。現在の日本という国をどのように読むのかという意味においては、啓蒙的な一冊という紹介もできる。読みながらお尻に火がついたような気分にさせられるだろう。しかし、火をつけただけで「はい、頑張ってね」と終わる本書ではない。そこからどのように抜け出す方法を自らの力で見つけ出すのか。このブックレットの主要なテーマはそこにある。
 「『戦争のできる国家』形成への明確な意志がめばえはじめている」「(それ)に対する明確な対抗軸は何か」。冒頭でこのように新崎さんは提起している。そして仮に戦争立法を止められなくとも、諦めず運動を持続的につくり出さねばならない。「その契機や可能性はどこにあるのか」と。これらに関して新崎・天野の見解に大きな相違は見られない。
 「戦後の平和国家としてのある種のギリギリの約束事が全体的に崩壊していく時代」(天野)、「憲法の規制力が末端からどんどん浸食され、腐ってきている。……憲法とは無関係な国家ができつつある」(新崎)。戦後一貫してつくり出されてきた、現実と憲法の原則や理念からの大きな乖離状況。そして、その現実にあわせた明文改憲が声高く叫ばれる中で私たちは、「平和憲法のギリギリのブレーキも使って」それらにストップをかけなければならないのだ。また、基地問題、派兵国家化の問題は、経済問題や地方自治権の問題、住民の基本的人権問題等々と無関係に考えるわけにはいかない。そして、そのどれもが改悪の方向にしか向かっていないことを新崎・天野は矢継ぎ早に指摘する。頭が痛くなるような現実があるのだ。
 この目の前が真っ暗になるような状況に、両者は一筋、二筋の光を提示してくれる。天野はこのかんの運動を通した実感として、地域の個性的な抵抗とそのネットワークが大きな力となっていることを指摘する。「自治体に直接働きかける運動、自治体に働きかけて自治体を国家に対決させる運動」の力の拡がりだ。また、現在の反基地闘争が抱える、完全・無条件撤去ではなく移設という「解決」を押しつけられる困難な問題に対して、新崎さんは一つの課題・可能性を出す。たとえば基地の沖縄県内移設に反対する運動において、基地移設の可能性を持つ、たとえば韓国やヤマトの移設候補地との関係、あるいは基地の正当性の根拠として出される「脅威としての北朝鮮」との関係だ。彼は民衆レベルで日常的に話し合える場をつくりだし、すべての候補地が協力して基地を拒否できる力をつくり出すことの重要性を訴える。彼らの主張は、複数の視点から「非武装国家・非武装の社会」を展望し、それを現実的な運動論につなげようという意図に貫かれている。
 ともすれば意気消沈しそうな私たちを、グッと引き揚げてくれる力がこの小さなブックレットにはこもっている。闘いの長い歴史を体験・経験する両氏の、少々のことでは怯まない運動への信頼みたいなものが私たちを力づけるのだ。やられっぱなしでもうダメかと思うこの局面で「闘いはこれからだぁ」と、ドーンと腰を据えてくれている。決してカンフル剤的なその場限りのものではない元気をもらえる本である。闘いに疲れた活動家向けとしても、おすすめの一冊かもしれない。これは読んでもらうしかない。
 資料充実で八〇〇円。ぜひ、一読を。(桜井大子)