2000.5.20   No.28

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目 次




【言葉の重力・無重力】(3)

漫画を使わず「言葉を尽した」本の、ファン向け専用トリック ――小林よしのり『「個と公」論』を読む(太田昌国)

【議論と論考】

平和祈念資料館問題と「女たち」の対抗「サミット」(高里鈴代)

延命した排外主義の再強化――森発言・石原発言をめぐって(天野恵一)

基地づくりと「逆格差論」――沖縄・名護レポートをめぐって(天野恵一)

【「マサコ懐妊報道」を論議する】(2)

「プライバシー」が見えなくさせるもの(大川由夫)

【追悼】

戸井昌造さんへ(桜井大子)

【書評】

徐京植・高橋哲哉『断絶の世紀 証言の時代――戦争の記憶をめぐる対話』(小山俊士)

中島昭夫著『使い倒そう! 情報公開法』(山本英夫)



















《言葉の重力・無重力》(3)

漫画を使わず「言葉を尽した」本の、ファン向け専用トリック ――小林よしのり『「個と公」論』を読む

太田昌国●民族問題研究者


 小林よしのりが『「個と公」論』(幻冬舎)を出した。4月下旬から書店に出回っている。すぐに読んだ。小林の作品それ自体に対する私の評価と関心は(部落差別問題やHIV訴訟の初期段階の作品を除けば)いまも低い。好き嫌いで言えば、嫌いだ。内容は杜撰きわまりなく、資料批判を欠いたまま、彼が先験的に望む結論に強引に行き着く資料操作が目立つ。読まずに済むなら、それが望ましい。だが、周知のように、「小林現象」とでも言うべき事態がある。漫画一般が現代の精神文化の中心に位置し、ましてや小林のイデオロギッシュな作品は、若者を中心に多数の読者を得ている。この社会・文化・政治「現象」に無関心ではいられない、と思う。作品それ自体の魅力に惹かれてではなく、「現象」を読みとるために……とは、私が小林を読む動機は、かくも〈不純〉である。
 私たちが真っ向から対峙すべき開明的な保守本流の立場を忖度するならば、小林のウルトラ・ナショナリズムは、彼らにとってずいぶんと迷惑な存在ではないかと思ってきた。世界を席捲しつつある「グローバリゼーション」は、私の立場から簡略にまとめると「弱肉強食」を基本原理としており、私たちはそれへの抵抗も放棄するわけにはいかない。だが、このグローバリゼーションの流れに沿いつつ今後の日本の進路を考えようとする保守本流からすれば、基本的に「他者存在」を欠いた小林の戦争論は、その民族主義的偏狭さにおいて世界基準に合致しない。それは、「不法入国した三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害が起こった時には大きな大きな騒擾事件すら想定される」と語った都知事や、「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただく」などと語る現首相の発言に、ヨリ「まっとうな」保守潮流がいささか困惑している状況に対応しているように思える。
 『「個と公」論』では、「十全に言葉を尽くして論破し説明するために、『漫画』の手法を一切封じた。『漫画』でわかりやすいからずるいとか、『似顔絵』を描くからイメージ操作だとか、甘えた批判の余地を除去してみせるのも面白い企みだろう」と小林は「あとがき」で言う。確かに漫画は一枚もない。四六判・400頁の語りが延々と続く、言葉の本である。だが、その漫画と同様、小林ファン向け専用のトリックはある。インタビュアーの時浦兼(彼は、ある時は「日本の戦争冤罪研究センター所長」を名乗り、またある時は小林を「お師匠」と呼んで、ゴーマニズム・シリーズにたびたび登場する)が、小林の『戦争論』を批判した知識人ひとりひとりの言説をおおまかに、あるいは読み上げて詳しく説明し、それに対する小林の意見を聞く。小林はそのすべての質問に対し、哄笑か罵倒か嘲笑かをもって、あるいは呆然、憮然たるさまで答える。小林批判に入る以前の言説に対しては、ごく稀に、「いいねえ」とか「素晴らしい」とか言って、相手をたてる余裕をもって応じる。いずれにせよ、質問者と批判者に対して、一段と高い位置にいることを印象づける態度を決して崩すことはない。元々「ゴーマン」を売り物にする人間だが、批判者たちの本は売れても高々数千部から1万部以下にすぎないが、自分の本は60万部も売れたという事実が、その居直りを支えているらしいことがうかがえる。
 取り上げられている小林批判の原文のすべてに私が目を通しているわけではないが、本書での引用が妥当なものだとすれば、批判する側にもずいぶんとズサンな論理があるように思える。小林自身の論理のデタラメさはともかく、小林作品とその人格に対する支持基盤は、戦後左翼主義と進歩主義の理念と実践の敗北の上にある。それが「廃墟」と化していることを見届けている若者たちのニヒリズムが、小林が行なう「左翼・進歩派に対する嘲笑」や、オウム教団との対決やHIV訴訟の時に見られたような小林の「行動主義」に対する共感として表現されている。そのことに自覚的でない小林批判は、少なくともファンを前にしては有効ではないことが、もっと真剣に考えられるべきだと思う。
 美術史家・若桑みどりは、嫌悪感に耐えてゴーマニズム作品を読み込み、すぐれた図像学的分析を展開してきたひとりだ。彼女は今回、「小林マンガの図像分析と受容の理由」(上杉聡編著『脱戦争論』所収、東方出版)において、彼の漫画の本質を面白く分析した。物語の枠外で繰り返し登場する巨大な自画像のサブリミナル効果、事実「らしき」ものとまったき虚構を自在にはめ込んで構成されるひとつの物語……などの視点で。漫画を使わず「言葉を尽くし」た今回の本でも、その手法は使われているように思える。インタビュアー・時浦と小林の問答のあり方それ自体の中に。私が言う「小林ファン向け専用のトリック」とは、そのことを指している。
 小林作品は熱病にうかされたようなファンを作りやすいが、それだけに、読者が冷静になる時間を得た時には、小林が資料を処理する時の恣意性や論理展開のデタラメさにも容易に気づきうる性格のものである。人間のそのような知覚力に確信をもって、「まちがったことを言ったら謝ればよい、たかが漫画家」(誤解なきよう、小林本人がよく言う居直りの言葉である)の作品に正面から向き合い、地道な批判活動を続けるべきだと思う。
 過去の歴史に対する小林の捉え方にしても、先に触れた石原や森の発言にしても、グローバリズム時代の保守本流がめざす基本路線にはならないだろう。だが、捉えどころのない現代社会の空虚感や、現実政治への絶望感が漂っている社会にあっては、狭い愛国主義の穴に入り込み、異質なものを嫌うこれらの言葉は、いつどんな具体的な形で、人びとの底暗い本音に火を点けるかわからない恐ろしさがある。「傍流」が挑発の炎を点火し、それによって不気味な社会的雰囲気が醸成され、それら総体の上に、傍流に眉をひそめて見せる「本流」が君臨するという構造全体を問わなければならない。
(『派兵チェック』 No. 92(2000年5月15日)








《議論と論考》

平和祈念資料館問題と「女たち」の対抗「サミット」

高里鈴代●基地・軍隊を許さない行動する女たちの会

●平和祈念資料館問題
――新しい平和祈念資料館がオープンされました。平和祈念資料館と、八重山祈念館の改ざん問題、稲嶺県政が行おうとした、日本軍・米軍の残虐行為を薄める方向でのそれですが、まず、その問題から。
高里 私たちの「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」としては、特に平和祈念資料館の、歴史の実相をキチンとふまえない改ざん、県のそういう姿勢が明らかになってきた段階で、会として県庁の下の県民ひろばに、大きな広い布に一文字ずつ書きまして、それをカサにつけまして、知事室から見えるようにしまして、集会をしました。それはまとまると「歴史の真実を資料館へ、基地の県内移設反対」と読めるものだったのです。
 県政(知事)が替わって、突然、銃を持っている日本兵の銃をはずしてしまう、というような展示の改ざん、そういう日本兵の残虐性を示す歴史の事実を取りのぞいてしまうということがいろいろあったわけですよね。――八重山祈念館、いわゆるマラリア祈念館なんかの方を見ると、米軍の残虐さも薄めるという方向もあった。
高里 そうですよね。ただ、この資料館の問題は、すでに明らかになった事実の改ざんということだったわけですが、私たちは、まだ表に出ていないものを掘り起こそうということがあるわけなんですよ。だから新しい資料館が、今までのものを改ざんして、うすめ、後退するというのは、まったくけしからん話なんです。私たちは今まで、手つかずだった部分を、より浮きぼりにするという事を期待していたんですからね。
 だから当然にも抗議に行ったわけですが、知事らは、手続き上のミスだったような話にして、正式な謝罪もしないまま終わってしまった。通りすぎてしまったわけです。――オープンに向けた会見でも、謝罪の言葉はなかったようですね。高里 ええ、ないです。監修委員の人たちはオープン直前は、まったくたいへんだったようです。行政のまともな協力がえられないで、テーマ別にはりついた監修委員は、個別に、みんなたいへんだった。監修委員になった人たちのガンバリと、いそいでオープンしたいという行政のせめぎあいがあって、とにかくゴールインされちゃったということみたいですね。
 沖縄社会の中でもですね、日本兵は残虐ではなかった、沖縄を救うために来たのだ、なんていう意見も出ましたし、それをバックアップする学者の主張なんてのも出てきた。
 先の集会(4・16基地移設・沖縄戦史の改ざん問題を通してサミットと民衆の安全保障について考える集い/於:沖縄大学)で、英文の説明プレートがおかしい、という話もありましたが、これからは、資料館をどこまで、私たちが歴史の実相に迫るものにしていけるのか、これが問題だと思います。――戦後、軍隊の「思い出」資料館的な内容でスタートして、その内容がここまで変えられてきたという歴史があるわけで、まともにする努力は今までもあった。高里 そうですよ。だから、「子供のテーマ」の部分では世界の国々の少年兵の問題が現在の問題として示されていますよね。貧困問題といっしょに。これは現在から未来へという問題なんですが、実は沖縄戦は鉄血勤皇隊のように子供も参加させられているわけでしょう。すでに子供の兵隊の問題は、沖縄戦の中にある。
 戦争の補助部隊として少年は位置づけられていたわけです。だから現在、今日の方から沖縄戦に光をあてて考えてみるということが必要なのではないかと思うんですよ。――なるほど。
高里 そういう意味では、私たち「女性」の運動が、この間明らかにしてきた、まあ、このことは世界的にも光が当てられてきているわけですが、「紛争」中、戦時に起こる女性への暴力の問題ですね。強姦は戦争犯罪であるということが、ハッキリ主張されてきている、第二次世界大戦のころそんなことをいう人は、だれもいなかったわけですよね。眼をつぶって、口をぬぐって、すませてきたわけですよね、みんな。
 やっと、今になって、それは許さないということになってきたわけでしょう。だから、その視点、その現在の視点から、沖縄戦にも光をあてるべきなんですよ。そして、その視点から、戦後の沖縄の基地にかこまれた生活の体験をも照らしていくことが必要になってきていると思うんです。
――その視点から、新しい資料館を見てみる、ということですね。高里 ええ、その視点から資料館を見てみれば、かならずしも十分ではないなと思うわけなんです。
――なるほどね、確かにレイプ、戦争犯罪としてのレイプというような視点は、あそこにはなかった。
高里 ええ、戦後にも、すさまじい米軍の事故、いたましい事故や犯罪もあって、そういうものは、あそこに示されていないわけではないんですが、それと同じ重さで、戦争の時点だけではなく、今日まで続いている、るいるいとした女性の強姦があるわけでしょう。ところが、いざ展示ということになると、少女が殺されている事件、由美子ちゃんの件なんかは出しているから、その件は、もういいのではないかという議論でおちついてしまったらしいんですね。
 この点については監修委員の人にもっと考えていただきたかったと思いますね。だから監修委員に、もっと女性をふやすことも必要ではないでしょうかね。――今までも、変えてきたし、変えていきたいというわけですね。高里 そうですよ、展示の方法だって、ずいぶん変わってきたんですよ。記録を読む部屋、体験談を読む、そういう部分がつくられたのも、ある段階からなんですよ。だから、もっといい方向に向かって、もっともっと変えていくべきなんですよ。未来に向かって可能性は残されているわけなんですね。でもね、少し気を許すと、逆に後退するということもありうるわけなんですよ。――稲嶺県政の姿勢からすると、後退の方向は、この先、現実的な問題なのではないでしょうか。
高里 ええ、ありえますね。今は、とくに。

●「女たち」の国際会議のモチーフ
――沖縄サミットに対抗する「女性たち」の国際会議をも準備していらっしゃるわけですが、その内容は、今のお話もふまえられたものになるわけですね。高里 沖縄の歴史家の中には、沖縄の人々は、あまりにも戦争体験なんかの被害者意識が強すぎるだとか、これからは未来に向かって前に向かって行くべきだ、とか、過去の被害ばかりあげつらっているのは、まったく建設的ではない、そういう意見も大きく出てきているわけです。
――高良倉吉さんたちですよね。
高里 ええ、そうです。でもね、本当は、まだ、過去さえ十分に明らかにされていないわけなんですよ。解明されていない。過去もわからないで、どうやって前にいくのか、と思うんですよ。過去の問題を明らかにし、具体的にどういう問題があったのかを解明していくことは、今おかれている状況を歴史的に明らかにして、現状を改善していく力になるわけですよ。
 そう考えているからこそ、過去をしっかり掘りおこす作業をしているわけですよね。沖縄では軍事演習の事故、山火事、墜落事故なんかはキチンとデーター化されているんですよ。それは県政がどう変わろうが、そうしたデーターは蓄積されているんですよ。ところがですね、女性に対する暴力については、復帰前も、後も、それがないんですよ。裁判になることも少ないでしょ、だから、なかったことにされてきた歴史なわけです。
 米軍の論理は、兵士を公的な人間と私的な人間に都合よくわけるわけです。公的な人間、公の命令の下で、人を殺したような場合は、もしそれが犯罪とされるべきものだったら、そういうふうに問題にされるのです。しかし私人の活動というレベルに位置づけられるところでは無数に強姦があっても、私人の行いだからというふうに葬りさられてしまってきたわけですよ。
 この二つをわける論理で、地位協定は、公務中の軍人と、私人としての軍人をわけている、公務外の行為は、私人がやったこととなるわけです。ところが彼らは軍人で外国人登録をしなくていいという特権があり、それから基地の中だけでなくて、その基地の中からどこでも外に出られるわけなんですよ、彼らは。それは駐留兵士という公的な特権を持っているわけなんですね。
 そういう特権的な働きをしている軍人のレイプや交通事故なのに、あたかも留学できている人のような「私人」の行為ということにしてしまうわけなんですよ。こういうところに大きな問題があるわけなんですよ。こういう人たちの公私が、そんなにはっきり切り離して考えられるわけがないんですよ。日米間の駐留軍人の規定は、そんなふうに曖昧になっているわけなんですね。こういう曖昧さの中で、「私人」の犯罪だから二次的なもの、というように処理されてきているわけですね。
 彼らは兵士、国家の兵士として沖縄に来ている、そして戦争にいつでも出ていける状態、スタンバイの状態でなければならない。そのために毎日訓練を受けているわけでしょう。そういう彼らが「私人」といえるのか。それは彼らが休みを取ってアメリカに何ヶ月も帰っている、そういう時は私人といってもいいでしょう。しかし、ある日、例えば独立記念日だから休みなので、ベースの外に出かけた。三人の米兵が少女をレイプした時が、そうでした。そこで、訓練の成果のようにレイプという犯罪を犯してきたわけでしょう。
――それが「私人」の犯罪かというわけですね。高里 そうですよ。日米地位協定は、そういう論理で、米兵に対しては甘い。米兵に対して甘いということはですね、沖縄の人たちの人権について、日米両政府がキチンと考えていないということでしょう。米兵に甘ければ、沖縄の人たちの人権は無視されるわけでしょう。そういうバランス、いえ、アンバランスになっているんですよ。――「公私」の概念が政治操作に使われてきているわけですよね。高里 そうです。例えば「人道的介入」ということでNATO軍がコソボを空爆し、そのリーダーだった米軍がコソボに行って、強姦があり、一二歳の少女が殺されてますよね、そこで。虐殺から救出するために「人道介入」したというわけでしょう。そして、その「救出」した少女を強姦して殺しているわけでしょう。
 軍隊というものの性格は、そういうものなんですね。軍隊のメカニズム、その暴力的なメカニズムですね、そうした暴力性ということを考えないで、軍隊は住民を国民を守るという神話が、あたかも事実のように語られてきた。こういう錯覚を、みんな持ち続けていたともいえる。だから、軍隊が住民に対して行った犯罪とキチンと向かえなかった。無処罰のままきたという歴史があるわけですね。
 これは世界的な問題でしょう。だから、今の沖縄の「女性と子供」の受けてきた経験というのは、特定の地域の特別の経験ではなくてですね、世界的な、普遍的なものが沖縄でもあった、ということなわけなんですね。
 だから、沖縄の経験、「女性と子供」たちが受けてきた問題の、その経験を考えるということはですね、今、世界で起きている様々な「地域紛争」と呼ばれている問題を考えることと、つながっているんですよ。
 それは、国と国との関係のなかで、いろんな問題がおきた時にですね、軍隊を使うこと、戦争をすることで解決しようという事をそれ自体が誤っている、ということは、沖縄の経験のなかで、はっきりいえるわけなんですね。――そういうことをアピールする場として、今度の国際会議をつくりだそうとしているわけですね。
高里 ええ。そういうモチーフとテーマで、過去二回私たちは国際会議を持ってきました。
 一回目は沖縄、二回目はワシントンでやりました。その事を通してわかったことは、フィリピンにしても韓国にしても米軍が駐留してきたわけですが、経済状態や地域の性格、米軍の駐留のしかた、いろいろ違いはあります。でも、本質的には共通しているんですね。軍隊、その兵士の行為は、「私人」としていろいろひどいことをしているということになっているんですけどね、実は、これは組織としての軍隊がうみだしているものなんですね。軍隊という組織に責任があるんですよ。個々の兵士の個人としての行為についても。そういうことは共通している。
 だから、沖縄の問題は特別の地域の特殊な問題ではないということが、そういう集まりを通してハッキリと確認できる。
――今度も、そういうねらいがある。
高里 ええ。それとですね、兵士を送り出している人たち、家族の人たちに、送り出されて行った兵士が、駐留地で何をしているのかを知ってもらいたい。その事実を示すことで、アメリカの「国益」のためのといっている行為の内実を現実的に理解してもらいたい。それと駐留されている地域の人々に対して行っている事を知ることを通して、自分たちの軍事国家のおかしさを考えてもらいたいわけです。アメリカというのはズーッと戦争し続けてきたわけでしょう。軍隊は増強され、兵器は大量につくられ、大変な税金が軍事費に投入され続けている。そういうふうに税金が使われることで、社会福祉制度なんかはまったく後退してしまっているわけです。
 あげくに退役軍人の、かなりの人間が学校教師になっている。だからすごい銃社会でしょう。いろんなことに暴力が出てきて、暴力が正当化される暴力社会。こういう事実が駐留されているアメリカの軍隊のあり方からもわかる。
 だから、送り出している方と駐留されている方が交流することに意味があるんです。あちらにも、こちらにも同じ問題がある。軍隊が持っている「構造的暴力」という問題ですね。だから、軍隊というのが、どれだけ危険な装置であるかを具体的に知る、合法的に存在しているものが、そうだということを具体的に知ることが必要。その認識をふまえて、目の前の問題に対処しつつ構造的なものにメスを入れていきたい。軍隊・基地をどう少なくし、なくしていくのかを、ともに考えていきたいと思っています。
――よくわかりました。集会の後という、あわただしいなか、ありがとうございました。
(四月一六日、沖縄にて。インタビュー:天野恵一)
(『反天皇制運動じゃ〜なる』2000.5.10, no.34)









《「マサコ懐妊報道」を論議する》(2)

「プライバシー」が見えなくさせるもの

大川由夫●「戸籍と天皇制」研究会


 前回の「反天論議」で中嶋啓明は、「『世継ぎ』を作るセックスという本来プライバシーに属することが公務になる、天皇制の持つグロテスクさこそが論じられるべきであるのは、その通りだと思う」とのべている。また、「皇室情報の『誤読』」第三一回には、「問題は、これ(雅子懐妊報道)が人権侵害かどうかではなく、ある夫婦の妊娠や出産というまったくの私事が、国家や国民にとって重大な意味を持つかもしれないという現在の制度にあるのだと思う」という、『週刊金曜日』一月二八日号に載った匿名の投書が紹介されている。
 私はこういう主張が以前から気になっていた。天皇制のグロテスクさは大いに論じられるべきだと思うし、人権のない天皇一族の雅子に人権侵害が成り立たないことも当たり前だと思っている。しかし、「『世継ぎ』を作るセックスという本来プライバシーに属すること」とか、「ある夫婦の妊娠や出産というまったくの私事」と、本当にいうことができるのだろうか。
 戸籍法の出生届に関わる部分をみてみよう。たとえば、第四九条は出生届を一四日以内(国外で出生があったときは、三カ月以内)に提出することを定めている。それを怠った場合は第一二〇条によって三万円以下の過料に処せられる。制裁を背景に出生の届出を強制しているわけである。しかも第五二条では、@子の出生前に離婚した場合とA婚外子については、それぞれ母が届け出ることを義務づけている。@は出産した時点の男と女の法律上の関係を問題にすることによって、Aは妊娠した時点の男と女の法律上の関係を問題にすることによって、一方で出生届を強制しておきながら、実の父の届出は認めないのだ。
 このようにして国家は、私たちの妊娠・出産を監視し、管理しようとしている。これに対して私たちは、結婚前は妊娠しないようにセックスしたり、しなかったり、子どもを婚外子にしないために婚姻届を出したり、あるいは出生届を出したり、等々、さまざまな努力を払っている。つまり私たちは、セックス・妊娠・出産それぞれの局面において、多かれ少なかれ制度に縛られ、制度を意識しながら一定の生き方を選択しているわけである。普通に結婚し、普通に妊娠・出産した事実を国家に報告する。それと引き換えに、その限りにおいて私たちの「私事」は「プライバシー」として「守られている」のだ。
 「A子の婚外子の出産という行為は、O大学にとってはその教育方針に悖るものであるばかりか、その品位を著しく低下させ、明らかに学生らに対し悪影響を及ぼす事柄であって、これを単に私生活上の行為であるとして看過することのできないものであり、解雇は有効である」。
 大学を解雇された女性に対する判決文(大阪地裁、一九八一年二月一三日)の要旨である(福島瑞穂『裁判の女性学』より)。ここでは婚外子の出産という、普通に結婚しないで妊娠し出産したことが裁かれている。どういう男といつセックスし、いつ妊娠したかがこと細かに調べられ、証拠として提出され、場合によってはマス・メディアでもとりあげられる。A子たちにとって、セックス・妊娠・出産という「私事」 はプライバシーどころか、その「公共性」(「単に私生活上の行為であるとして看過することのできないもの」)を理由に法的・社会的制裁の対象にされているのだ。私たちのセックス・妊娠・出産はプライバシー・私事、と簡単にいってしまうわけにはやはりいかないのである。
 婚外子出生率が二%にも満たない日本においては圧倒的な少数派に属するがゆえに、A子たちの「私生活」は国家公認の下に干渉され非難され続けている。「私人」としてのA子たちがこのように扱われている現実が一方にあるなかで、「公人中の公人」たる雅子の妊娠・流産はプライバシーかどうか、その報道はどこまで許されるべきか、というような議論に何の意味があるのだろうか。セックス・妊娠・出産がプライバシーであり私事であることを前提にして議論している限り、私たちにはA子たちのような存在が見えなくなってしまう。そして知らず知らずのうちに、日本の多数派の一員として雅子や徳仁や紀子や文仁たちの「プライバシー」を気遣い守る側に私たちも立ってしまうことになるのではないか、と思うのだ。性器の刻々の変化まで報道するのはやり過ぎだ、というように。
 したがって問題はそういうところにはない、と思う。雅子懐妊報道を批判的に論議するためには、「何故だかわからぬが『明るいニュース』『メデタイ』『マサコ様おかわいそう』という『街の声』が形成されていく。多くの女性たちは、自分や自分の身近な人間の経験と重ね合わせながら、一人の女性の苦悩として、マサコの妊娠・流産という苦境を読んでいるのだ」と桜井大子が本紙第三〇号で指摘している、そのような「多くの女性たち」の、プライバシーとして守られていることが当然とされ、祝福し祝福されることが当然とされている結婚・妊娠・出産という「経験」を相対化する視点がまず必要なのではないか、と思うのである。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』2000.5.10, no.34)












延命した排外主義の再強化
森発言・石原発言をめぐって

天野恵一●反天皇制運動連絡会


 四月九日、東京都知事石原慎太郎は陸上自衛隊第一師団の練馬駐屯地の創立記念日の式典に出席、九月三日の「防災訓練」(陸海空三軍が主役)についてふれつつ、「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人がですね、非常に兇悪な犯罪をですね、繰り返している」と発言した。
  「大きな災害が起こった時には大きな騒擾事件すら想定されます」「治安の維持も、一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」と続くこの発言は、彼が朝鮮や台湾などの日本の旧植民地の人々を(そして、それ以外の外国人労働者をも)取り締まりの対象としてしか考えていない人物で、日本の植民地支配や侵略戦争の歴史にまったく無反省であることを、あらためてハッキリさせるものである。
 かつての関東大震災の時の日本人の手による朝鮮人虐殺の歴史を、くりかえせと煽動しているがごとき発言ともいえよう。こうした右翼排外主義者が、今、大人気の東京都知事なのである。
 この作家は、かつて大江健三郎や開高健とならんで、純粋戦後派(戦場体験を持たない若き戦後派)と呼ばれていたはずだ。いったい戦後とはなんだったのだろうという気分になるのは、私だけではあるまい。
 東京都知事だけでは、もちろんない。こういう発言を思い出そう。三月二十日の石川県加賀市内で、自民党の森喜朗幹事長(当時)の、「天皇陛下即位十年をお祝いする国民祭典」のビデオを上映しつつの発言である。
 「君が代斉唱の時、沖縄出身の歌手の一人は口を開かなかった。おそらく(君が代は)知っていると思うが、学校で教っていないのですね。沖縄県の教職員組合は共産党が支配していて、何でも政府に反対、何でも国に反対する。沖縄の二つの新聞、琉球新報、沖縄タイムスも。子供みんなそう教っている」
 私の手にした新聞記事では、この「沖縄出身の歌手」は匿名だったが、テレビの報道などは、「十年式典」の時の歌っていない安室奈美恵の表情が、わざわざ流されたらしい。プロダクションの営業政策で「式典」に出席した彼女に、知らなくてか、歌いたくなくてかはともかく、歌わない権利は、もちろんある。なんで非難されなければならないのか。
 教職員組合と『沖縄タイムス』・『琉球新報』という二つの新聞も「共産党支配」の結果、国に反対する、なんていう発言はどうか。「日の丸・君が代」を拒否するという、私たちの立場と同じものを、保守党の権力者に要求してもしかたない。しかし日本がかつて沖縄を植民地支配してきたあげく全住民をまきこみ戦闘に追い込んだ歴史、そして戦後は切りすて(米軍に売り渡し)復帰後も構造的に差別してきている歴史(基地の押しつけに象徴される)のなかで、沖縄の人々が、どういう気持ちで生きているのかという点に、まったく思いがいかない。この男には、たとえ権力者であったとしても人間的想像力がなさすぎないか。
 国家や政府への民衆の当然の批判も、「アカ」がやらせている、として常に権力(国家)は絶対的に正しく、批判は取り締まりの対象としてしか考えなかった、かつての天皇制ファシズム国家の支配者の心理と論理が、そのままこの男に生きつづけているというしかあるまい。
 三月三十日、沖縄県議会は「沖縄戦を糾す有識者の会・国旗国歌推進沖縄県民会議」なる右翼団体の「一坪反戦地主ら」を県の外郭団体を含む機関の役職から排除することを求める陳情書を採択してしまった。
 これは、平和祈念資料館などの監修委員から、日本政府そしてそれに支えられている稲嶺県政に都合の悪い人物は排除し、人々の大きな批判をあびて失敗した、日本軍の残虐性を薄める展示「改ざん」の方向をさらに追求すべしという政治的メッセージがこめられた陳情である。
 そしてこれは、森発言に対する、右翼の対応ともいえるであろう。権力に逆らうような思想の持ち主は排除されて当然という、ファッショ的でまったく人権を無視したこの主張は、県の自民党議員を中心とする与党議員らによって採択されてしまったのである。
 森発言も石原発言も、ゴロツキ天皇主義右翼の思想水準であることは明らかだ。そして、森喜朗が今、首相におさまっていることは、いうまでもあるまい。
 そういう日本の首相・東京都知事の行政下を、今私たちは生き、生きさせられているのだ。恐ろしい気分にならなかったら、どうかしている。
 もちろん、石原発言は「防災訓練」が実はどういうものであるのかを正直に語ったものと読むこともできる。この軍事訓練は排外主義を煽り、国家(軍隊)が民衆を取り締まる作業に日本の民衆を自発的に参加させるようにするための訓練なのである。私たちが抗議行動を通して主張してきたことを、権力者がその口から語りつつあるのだ。だから、石原発言への抗議の運動も多様に噴出しつつある。
 そして、政府の「強制はしない」といいながらの「日の丸・君が代」強制の全国的な展開に、抗議と抵抗の動きも広くつくりだされている。
 こうした抗議と抵抗の動きの中に、実は民衆の〈戦後〉が生きつづけていることが力強く示されているのだ。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』2000.5.10, no.34)









基地づくりと「逆格差論」
沖縄・名護レポートをめぐって

天野恵一●反天皇制運動連絡会


 5月15日、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの集会(沖縄「復帰」28周年 沖縄県議会での一坪反戦地主排除の陳情採択糾弾! 沖縄・名護への米軍基地建設反対!)に参加、雨の中をデモ行進。その集まりで、私たちも沖縄で参加した「沖縄から基地をなくし、世界の平和を求める市民連絡会」のサミットをにらんだ第1波の行動「沖縄から平和を呼びかける4・17集会」の記録が売られていた。
 私たちは4月16日「基地移設・沖縄戦史の改ざん問題を通してサミットと〈民衆の安全保障〉について考える集い」を沖縄大学で、沖縄現地の人々との協力の下につくりだした(「戦争協力を拒否し、米軍基地の沖縄内移設に反対する実行委員会[通称:新しい反安保実W]」と「ピープルズ・プラン研究所」「『民衆の安全保障』沖縄国際フォーラム東京連絡会」と同沖縄連絡会[準]の共催)。この集まりは、前日に新しい平和祈念資料館を見にいった、東京からの私たち(20数名)のメンバーが、英文の説明プレートに米軍への批判的なコメントが(そこに付けられている日本文と比較して)省略されたり全面的に削られていることを発見しており、それを報告し、問題を社会化(『沖縄タイムス』が大きくとりあげ、すぐ正確な検証もし、あらためて記事にした)、というような思わぬ「副産物」をもうみだし、本番(6月29日〜7月2日)の国際フォーラムへのうまいステップとなるような集まりを、という私たちの希望通りのものとなった。
 新たな米軍基地建設の受け入れを表明した岸本建男名護市長のリコール運動は、当面、断念せざるをえないという声明を「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」が発している。どうなっているのか、という心配の気持ちもあって、別の要件があって行けなかった私を含めた数人以外は、みな名護へ車で出かけた(4月17日)。
 その名護についての最新のレポートが『労働情報』(2000年5月15日〈551〉号)にある(市来哲雄「普天間基地移設問題と『逆格差論』」)。私は、この文章を読んでいて、まず、このくだりにひっかかった。
 「辺野古、名護市、沖縄。今年に入って、サミット参加各国の旗を目にすることが多くなった。歓迎ムードのなか(だれがそれ自体に反対するだろう)、地元名護市の現状の一端を聞いた」(傍点引用者)。
 なんで、アメリカを中心とする世界の大国の支配者の、彼らのための利害調整のための会議に、ましてや今回は名護へ基地を押しつけることをねらった沖縄(名護)開催のサミット自体に、反対してはいけないのか。サミットとは何なのかの具体的検討もないまま、いっぺんに歓迎ムードが演出され、無条件にそれはよいことのようにされている事自体が(批判の声は沖縄社会の中でも少しずつ広がっているが)、まず大問題ではないか。
 読み進んでいくと、名護の人の声の紹介は1人だけ。長々と紹介される、その「A氏」の発言の中に、「ヘリ基地は、このままできてしまうのかもしれないと感じる」、「ヘリ基地ができたとして、それで終りだとは思えない」という発言がある。出発点は反基地でなく地域づくりだという主張をくりかえしつつ「A氏」は、自分たちの知恵で地域をつくっていこうという「逆格差」論の中にいた岸本の「根っこのその根っこが変った」とは思えないとも語っている。
 このレポーターも「A氏」も岸本の新しい巨大な米軍基地受け入れにはもちろん批判的ではある。しかし、この発言(こうした発言を長々と引く報告者)も、問題をはぐらかしているといえないか。今、名護の海を殺してしまい、すさまじい騒音や事故をもたらす基地づくりに反対する問題と「地域づくり」が別々に語られてよいわけがなかろう。そして、「根っこの根っこ」が変わらなくて、岸本が、基地受け入れの方針を出すというようなことがあるのだろうか。
 上山和男は、米日政府の誘致派を金と振興策で組織し、多数派を形成するという策動と対応して、基地を誘致して金を引き出すという「物乞い政治」が沖縄側につくりだされたと語り、その政治の中心人物の1人として岸本名護市長を批判している(「名護市民投票から二年――二一世紀へのターニングポイントとなるか」『けーし風』 2000年3月〈第26〉号)。
 輿石正は、こう主張している。
 「一九九九年度の名護市の予算は約三〇〇億円。そのなかで『基地関係収入』は五一億円。予算歳入総額の十七・五%を占めている。平成九年度までは八・五%にすぎなかった」。
 岸本市長誕生から急激に基地関係収入が増えだしているのだ。
 「公債費比率で五市の中のナンバーワンの名護市の『普通建設事業費』はこれまたすさまじい。歳出総額に対する割合はなんと四二・四%、土建の市である。しかも、『補助事業分』が全体の八〇%。/この現実の上に岸本建男名護市長の『米軍基地移設受け入れ』がある」(「岸本建男批判序説――土方商人の弁」『けーし風』第26号)。
 この論文の中の図表で示されているのは沖縄市(建設事業の割合は24.4%)、宜野湾市(同32.8%)、浦添市(同36.6%)、那覇市(同19.5%)である。
 経済発展(開発)に追いつけという発想を逆転して、地域の生活環境をこそ大切にしようという「逆格差論」の根っこが少しでも残っていて、こんな行政ができるのか。
 このレポートのサブタイトルは「沖縄・名護に聞いたこと」である。「A氏」の発言を料理したレポーターの「聞く」姿勢の方が問題なのかもしれない。
 反基地への切実感がなさすぎないか。
(『派兵チェック』 No. 92(2000年5月15日)







《追悼》


戸井昌造さんへ
――戸井さんの「オトナ」ははるか向こうだけど、忘れない

桜井大子●反天皇制運動連絡会


 「えかき」として知られる戸井昌造さんであるが、少なくとも私たち反天連にとっては反天皇制、反戦、反「日の丸・君が代」を一緒に闘う、陽気でステキで、とってもおしゃれな大オヤジであった。そのように呼んでも戸井さんは、肩を揺すりながら体中で笑って応えてくれる。まちがいなく、私たちにとってはそんな存在であったのだ。
 反天連も参加する実行委員会や共同行動が全国に発するニュースや意見広告などに、戸井さんがイラストや文字で協力してくれた最初は、少なくとも昭和天皇「Xデー」前のことだ。これは記憶に頼るしかないのだが、その戸井さんを紹介してくれたのは「市民の意見30の会・東京」の福富節男さんだった。あの「Xデー」前の、恐らくは戦後初めての大衆的な反天皇制運動が高揚を見た、あの時期である。
 戦争体験者の怨念がこもっている、しかし、どこもかしこもコミカルな戸井さんのイラストが、当時私たちが全力を傾けた「天皇制の賛美・強化に反対する共同声明運動」の意見広告を飾ってくれた。この共同声明運動は「Xデー」直前の一九八八年一〇月に発足し、集まった共同声明への署名は今はなき『朝日ジャーナル』に意見広告として翌一九八九年一月一九日号に掲載された。一万六一七三名分の署名のバックに、百鬼夜行よろしく、みすぼらしい大きな「菊紋」の山車を担ぐ魑魅魍魎たちの行列が、クッキリと浮かび上がっている。よく見るとその魑魅魍魎たちは、マスコミや財界などからの担ぎ人らしいし、軍人らしいのが指揮をとっている。おどろおどろしくて妙におかしいイラスト。思い起こせば戸井さんからもらう絵は、その後もいつもそんなふうだった。
 戸井さんの古稀のパーティ=リサイタルは忘れられない。私たちと一緒に何かやってくれる「えかき」の戸井さん。この認識に間違いがあったわけではないが、ただそれだけであった私の認識を大きくくつがえし、なによりも私が戸井さんと急接近したのもその時からなのだから。戸井さんは、人を喜ばせ、楽しませることにも天才的だった。そんな戸井さんの一面を知ったのもあのリサイタルが最初だったのだ。それ以降、電話や会う機会もドンと増え、あげくの果ては反天連の忘年会まで。本当に楽しかった。
 私にとっての忘れがたい戸井さんの言葉がある。電話でのやりとりの中で、恐らく二〜三回は聞いている言葉だ。唐突に「これは生き残ったオトナの責任なのだから、生きてる間はやるよ」と彼は言ったのだ。「これはオトナの仕事」とも。すでに大人の領域に踏み込んでいると自認していた私にとって、それは妙にひっかかる言葉だったし、それが一回ではなかったこともあってか、戸井さんが二度と私たちの前に現れることがなくなった事実を知ったとき、戸井さんの顔と同時にこの言葉が最初に脳裏に甦った(それは四月十八日の反天連の会議の時であり、戸井さんが実際に去ったのは前日の十七日のことだ)。
 敗戦間際に軍人として中国を歩き回った戸井さん。話をした、あるいは文章を読んだ限りでは、戦中の彼も戦争はばかげていると考えていたのだ。そして当時の自分をも含め、自分を取りまく環境や日本の状況を振り返り、「間違っていたのだ」と語った私の知っている戸井さん。当時を生き、あの日本の政策を許し加担し、あるいはどうにもできず、そして生き残った者は、間違いを認めるべきであり、責任をとらねばならないという意味であったのだろうか。彼のいう「オトナの責任」とは、五五年前に終わったあの戦争の責任は、当時大人だった自分たちにある、そういう意味だったのだといまは思う。
 私はどのように背伸びしても、五五年前の責任などとりようもない。ただ、五五年前の責任が引き延ばされつつ今に至っているとすれば、いま大人である私たちにも責任は生じている。さらに新たな問題の責任も。本当はすでに、大人として現在の状況を戸井さんと共に闘っていたはずなのだ。現実はそうであったはずなのに、戸井さんとの関係において少なくともそのように認識できてなかったことが、今となっては口惜しい。
 とはいえ私は「オトナの責任だから……」というセリフをいまもって吐けそうにはない。まだ「オトナ」の域に達していないということなのだろうか。
 そんなわけで、戸井さん、これからは私が「オトナ」として頑張る番だね、と言ってみたい気もするけれど、とりあえず戸井さんの「オトナ」目指してもう少し粘ってみるよ、に留めることにします。でも戸井さんがあのように言ったことを、ずっと忘れないよ。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』2000.5.10, no.34)







《書評》

徐京植・高橋哲哉『断絶の世紀 証言の時代――戦争の記憶をめぐる対話』 (岩波書店、二〇〇〇円)

小山俊士●反天皇制運動連絡会


 高橋哲哉は、『敗戦後論』をめぐる「歴史主体性論争」において、論争の一方の主役として加藤典洋の主張に疑問を投げかけ、そこから自由主義史観も含めて日本の新しいナショナリズム批判を展開しており、直前に『戦後責任論』(講談社)を刊行している。本書は高橋に徐京植を加えて行われた連続対話の記録で、『世界』掲載の文章をもとにしている。ここで扱われる主題に関して両者に異論はないようで、相互に相手の主張を補い合いながらスムーズに進んでいる。そういう対話なので、以下その内容の紹介では、引用が二人のいずれの発言のものなのかは一々明記しない。全体としては、徐京植が事例をあげたり問題提起して、高橋哲哉がそれを整理していっているという印象を受ける。
 対話が行われたのは、第一回が一九九八年一一月七日、最後の第七回が一九九九年一一月二九日であり、そこで扱われている題材は次のようなものだ。元日本軍「慰安婦」の記憶と証言と、それに対する小林よしのりの『戦争論』という「隠蔽、否認、歪曲、抹消、横領といった暴力」との間の断絶。加藤典洋の「二千万のよそのアジアの死者に向き合うためには三百万の自国の死者にまず向き合わなければならない」と主張。「『日本人としての責任』ということ自体がナショナリズムである」といった上野千鶴子らに見られる議論。「戦争というものの善悪を判断する基準が、それが自国の経済的繁栄につながったかどうかしかない」という「脱正義」の状況、そして、新ガイドライン関連法、国旗・国歌法、盗聴法など「国家の力を強めるような法律が次々成立」し、靖国神社を国家の慰霊の場とするような動き。この対話の行われた一年あまりの間のめまぐるしい動きを背景にしながら、広範な話題に関して議論がなされている。それらについて、ホロコーストという「最悪の出来事が起きてしまった以上は、人類はそれを普遍的な教訓として共有できるはず」だったという可能性と、その後も断絶を拡大再生産していった歴史、しかし一方でそれを批判的に見直していこうという動きなど、西欧での議論について多くの事例を引いて、それと重ね合わせる形で日本の状況を論じている。
 全体を通して特に力点が置かれていると思われるのは、加藤の議論に対する批判である。そのレトリックや現実の歴史との齟齬に対する指摘とともに、「死者の弔いを通じて『日本人』の器をつくろうとしている」「西欧の民主主義の起源を考えてみても、ナショナリズムと民主主義は一体である」という前提と「少数で正しいことを言ってもだめだから、保守派もとりこめる『現実的な対案』を出す」という姿勢を問題とする。そうして一体化をすることでより責任の重い個人を集団の中に隠匿してしまったこと、加害者と被害者といったように「本来死者たちは一体のものではなく、分裂している」ことを認めること、そのために精神分析の「徹底操作」によって「過去を想起し、それにジャッジメントを加えて、過去との批判的距離を作りだす」ことが必要だという考えを対置している。この辺りは実際に社会的な少数派と繋がって運動を行ってきたものにとっては納得のいく議論であり、「国民の物語」をつくるという自由主義史観側の主張に対する、原理的な批判ともなっている。一つ気になる点としては、これがナショナリズムを批判する運動の原理である限りでは問題がないのだが、そうした分裂をも取り込んだ形で展開されるナショナリズムに対してどのような姿勢を取りうるのかは、あまりはっきり見えない。例えば、「哀悼すべき対象をユダヤ人、被侵略国の犠牲者から始めて、名指して一つ一つ明示していく」ヴァイツゼッカーの演説を「ドイツ政治家の戦後責任論としては、ベストの部類に近い例の一つ」とするが、それが現在のドイツ国家の状況とどう重なっているのだろうか。
 加藤に対置すべき日本の戦争責任・戦後責任の主体については、『戦後責任論』の方で詳しく論じられていることだが、「応答可能性(レスポンシビリティー)としての責任で、根源的には他者からの呼びかけ、訴えを聞いたとき、それに応答を迫られること」が戦後生まれの日本人に求められるとする。日本社会の「脱正義」状況に一体化しようとするのでなく、国家との距離をとった市民的リベラリズムを求めるというのが結論といえる。指摘されている現状には悲観的な気分にならざるを得ないところもあるが、そんな中でも原理的に考え、正しい主張を貫こうとする両者の姿勢には学ぶところが大きい。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』2000.5.10, no.34)











未知なる情報公開法の可能性と困難

中島昭夫著『使い倒そう! 情報公開法』〔日本評論社 1999年、1,900円+税〕

山本英夫●『派兵チェック』編集部


 昨年のあの第145国会で情報公開法が成立した。これで漸く国家機関にも情報公開法が適用されることになる。これまで情報公開は自治体(条例)で先行して施行されてきたが、各地で情報公開請求を進めてきた多くの市民団体等は、これを積極的に歓迎しているようだ。
 しかし今度成立した情報公開法が一体如何なるものであるかについて、必ずしも正確に知られていないのではなかろうか。また私達反戦・市民運動等は、情報公開法(条例)に殆ど期待感をもっていないせいか、無関心のままに過ごしてきてしまったのではないか。
 私が本書をお薦めする理由は、こうした状況の中で、市民の立場から情報公開を試みながら、実態に即してシビアに情報公開法の可能性を追求しようとしている点に在る。
 では少し内容に立ち入って本書を紹介してみよう。第1章「情報は国境を越える」は、国境を越えて情報公開法を使った実例を通して、誰もが請求する権利を有しているアメリカ合衆国の「情報自由法」(FOIA)を紹介している。
 著者は情報公開を担当して、追っかけてきた記者であり、“先ず自分で使ってみよう”とする実践派なのだ。
 第2章「使ってみた先輩・米国FOIA」はそうした実例集。例えば97年の空母インディペンデンスが小樽港に寄港した際の情報公開の経緯が事細かに明らかにされている。米国の情報公開法が日本政府や自治体、地元経済界の対応まで明らかにしてくれている。米国総領事のメモ書きまで公開されているのだ。また新ガイドライン関連情報に関しても紹介されている。
 この2章と3章でFOIA請求の具体的方法が示されていて、大いに参考になる。
 次の第4章「さて、わが日本では」がまたおもしろい。日本政府の情報非公開ぶりが良く分かる。ああ無責任な官僚主義。ここでも先のインディペンデンスの小樽寄港や新ガイドライン関連等の報告が紹介されている。
 第5章「運用で試される情報公開法」では、日本の情報公開法でこれから予想される情報非公開ぶりが指摘されている。手数料、「知る権利」、外郭団体、公文書と職員のメモ書き、プライバシー情報等。
 そして肝心要な情報公開の例外規定について正面から問題にしている。日本の情報公開法は特に外交・防衛、治安に関して、行政主導で、司法の関与を排除しようとしていることを明らかにしている。
 しかし著者は、行政の「例外規定」一般論で逃げられないようにと訴えている。実際の運用に市民が参画し、具体的な論点に即して(何が秘密たりうるのか)、自分たちの考えをどう反映させるのか、ここに多くの課題が残されているとしている。
 そこで第6章「秘密主義との闘い30年」は米国の経験を紹介し、行政の独走を抑止し得る司法の権限や議会の力の重要さを指摘している。
 最後の第7章「残された問い『主役は誰か』」。著者は日本の情報公開法を「未熟児」と言い切っている。この法は主役が国民から行政に置き換えられてしまったと批判する。市民の権利、三権分立の尊重、そしてこの法律を使い切ってゆくこと。本書の末尾に情報公開法と米国FOIAの全文が掲載されている。
 しかし「使い倒そう」と言われても、実際はなかなか大変だ。煩瑣な事務手続き、情報公開を余り期待しえない行政・官僚の秘密ぶり、私達の力不足。だが私の情報公開請求の体験から言えば、先ず実践ありきだ。行政が非公開とした点じたいが興味深いし、そこを問題にすれば良い。また特段新味のある情報でなくとも関連情報を突き合わして分析することも重要だ。
 本書を読んで痛感させられたことは、米国法を利用するとすれば、英語力や組織力、裁判に訴えるならば、やはり組織力等が私達に求められるという点だ。また何よりも必要なことは情報に対する感度と事実を究明する諦めない姿勢だろう。私達自身の力が不足ならば、情報公開を手掛けてきた市民運動・弁護士との連携も考慮すべきだろう。
(『派兵チェック』 No. 92(2000年5月15日)