2001.3.21  No.38

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目 次

【状況へ】

「精神の戒厳令」状態をうち破るために(駒込武)

「一国史・日本史解体」のススメ(和仁康夫)

【議論と論考】

国民の脱‐統合の象徴(斎藤純一)

沖縄―「本土(ヤマト)」を貫く「まやかし」の政治――稲嶺県知事の「選挙公約」の撤回をめぐって (天野恵一)

【言葉の重力・無重力】(13)

無神経・無恥な漫画家を喜ばせる入国禁止措置――小林よしのり『台湾論』をながめる(太田昌国

【反天運動月報】(5)

NHKの「女性国際戦犯法廷」番組改ざん問題(天野恵一)

【書評】

「いのくら」基地問題研究会/編『私たちの非協力宣言――周辺事態法と自治体の平和力』(梶野宏)

池添徳明著『日の丸がある風景』(和田彰夫)

【連合王国の女王様たちとその民たち】

情報公開は生き残りの原則か?(青山薫)

【状況へ】

「精神の戒厳令」状態をうち破るために

駒込武●京都大学教員

 その時、記者クラブのテレビは大相撲を放映していた。昨年の一一月、大阪府立高等学校の教員への処分撤回を求める署名を府教委に提出したあと、記者クラブを訪れた時のことである。こちらが署名運動の趣旨を説明し始めてもテレビは大相撲を映し続け、ほとんどの記者はあからさまに気のない応対をしていた。時には天皇夫妻の「ご天覧」を仰ぐ「国技」の放送は、その澱んだ空気と不思議にマッチしているように感じられた。
 この時の署名の趣旨は、昨春の入学式で「君が代」斉唱時に「これは学校として行っているものではありません。立つ立たない、歌う歌わないは皆さんの良心に従って行動して下さい」と発言した教員中野五海さんへの厳重注意処分に抗議し、処分撤回を求めるというものであり、僕も管理作業に参加している「反ひのきみネット(http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/)というネットワークを通じて呼びかけたものだった。処分の理由は「学校の方針に反する発言をした」ということだが、この場合の「学校の方針」とは、職員会議での合意もなく、生徒への十分な説明もないままに、府教委の「指導」通りに校長が定めたものに過ぎない。生徒に対して「あなたがたに良心の自由がある」というメッセージを発することは、儀式の進行について責任を分有せざるをえない教員にとって譲れない一線である。その最後の一線さえも力ずくで崩されようとしていることを見過ごすことはできなかった。
 「精神の戒厳令」とは作家山口泉氏の言葉であるが、あらゆる異論を圧殺しながら上意下達の行政ルートにしたがって、教員・生徒ひとりひとりの「精神」を「戒厳令」下におこうとする力が激しさを増している。教員の異論を許容した多くの校長も処分の対象になり、市町村教委の頭越しに都道府県教委が処分に乗り出すような事態も各地で生じている。「思想・良心の自由」について、文部省は、内心で何を考えようとも自由だが、行動においては命令に従わなくてはならないという解釈をしているが、処分の脅しをちらつかせることで「思想」と「行動」の分裂を一般化させようとしている。しかし、さらに恐ろしいのは、こうした「精神の戒厳令」状態の深刻さが、大相撲の写し出す「平穏な日常」の感覚によっていとも簡単にかき消されようとしていることである。自分自身も、決してその「平穏な日常」の外側にいるわけではないが、ファシズムの時代にも娯楽はあり、「平穏な日常」はあったのだと今さらのように思う。
 しかし、悲観してばかりもいられない。他方では、「平穏な日常」の虚妄さを内側から食い破るような動きも表れてきている。特に注目すべきことは、これまで当事者でありながら、ともすれば「日の丸・君が代」論議の蚊帳の外に置かれてきた子ども・青年たち自身による意思表明が顕著になっていることである。
 今年の二月一四日には千葉県立高校三校の生徒が千葉県教委宛てに「請願書」を提出した。提出者の名義は、小金高等学校卒業委員会、東葛飾高等学校卒業式入学式対策委員会、そして、「生徒、人間。」プロジェクト(国府台、小金、東葛生徒有志団体)である。「請願」の内容は、卒業式・入学式に関する「要望書」が職員会議で認められたにも関わらず校長により反対されたことに抗議し、千葉県教委の校長に対する職務命令の撤回を求めたものである。論理構成にあたっては、所沢高校の在校生・卒業生による人権救済申し立てに応えた日弁連の「要望書」(一月二六日)や、生徒の「意見表明権」と学校運営への「参加権」を認めた「子どもの権利条約」もふまえられている。彼・彼女たちは、例えば、次のように述べる。「上から降りてきた命令だから従わなければいけないという理由で、教育の場が動くことは正常なことなのでしょうか。新指導要領が掲げる『自ら学び自ら考える力の育成』が教育の目標ならば、はっきりした理由を提示することなく、非民主主義的な上意下達に頼ることをやめ、個々の学校に自由な裁量権を与え、個性的な学校を育むことが重要です。」
 「生徒、人間。」プロジェクトを名乗る青年たちは、文部行政の欺瞞を敏感に察知している。こうした子ども・青年たち自身による抗議の声にしっかりと向き合うことが大切だと思う。この場合の「向き合う」とは利用するのでもなく、迎合するのでもなく、という意味である。確かに「日の丸・君が代」に反対する側にも、子ども・青年自身の主体性を軽視し、あるいは利用する傾向があったのではないかと思う。所沢高校のPTA役員をしている友人が、生徒たちから「あなた方は私たちの自治を尊重すると言いながら、私たちが『日の丸・君が代』に反対する時だけ、尊重するのではありませんか」と問いつめられたと話していた。もっともな意見だと思った。
 そのことを認めながら、あえて所沢高校や千葉県立高校の生徒たちにも問い返したいことがある。どちらの場合も、「日の丸・君が代」の評価はいわば棚上げにして、校長が学校自治の慣行仕組みを拒否しているということを問題としている。運動論的には一致できる部分で共闘することが重要なのは言うまでもない。しかし、歴史をめぐる問いを棚上げにしたままでは、学校自治をめぐる教育委員会・校長との闘いもジリ貧とならざるをえないのではないか。
 高校生たちの「請願書」に限られることではない。九〇年代以降、「侵略戦争の象徴」だからダメなのだという見解から、「思想・良心の自由」を侵害するからダメなのだというように、抵抗のパラダイムの重点がシフトしてきているように思う。しかし、歴史をめぐる問いを後退させるのではなく、両方の観点を統合していかなくてはならないのではないか。たとえば、なぜ「日の丸・君が代」に反対するのかと素朴に聞かれた時に、何と答えるだろうか。僕は次のように三段階の論理で答えることにしている。
 それは「思想・良心の自由」を犯すものだから。
 しかも、今日たまたまそのように利用されているというのではなく、歴史的に「思想、良心の自由」を踏みにじるための体系的な実践の中に位置づけられ、また、そのようなものとして「定着」させられてきたものだから。
 そして、「思想・良心の自由」を踏みにじられることに慣れきってしまった人々が、植民地や占領地で他者の「思想・良心の自由」を踏みにじってきた歴史をまさに「象徴」しながら、暴力の歴史を反復させようとするものだから。
 最後の点に関連して、一つの例を挙げておこう。一九一九年の三・一運動の翌年、朝鮮人の独立運動の拠点を破壊するために、日本軍は間島に出兵し、多くの朝鮮人を殺した。間島の竜井村を拠点に布教活動に従事していたカナダ人宣教師の伝えるところによれば、「夜明けと共に武装した日本歩兵の一隊はキリスト教村をもれなく包囲し、谷の奧の方に高く積まれたわらや穀物に放火し、村民一同に外へでるよう命じました。村民が外にでるや、父といわず子といわず目にふれるものはこれを射撃し、その半死のまま、打ち倒れるものには乾草を覆いかぶせ、識別できない程まで焼いてしまいました。……私が竜井村に帰着すると、日本兵は泥酔しており、同市は日本の国旗でおおわれていました。本日朝鮮人家屋で日章旗を掲げない者は悉く騎兵の記帳するところになっています」(姜徳相編『現代史資料28 朝鮮4』みすず書房、一九七二年)。
 注目したいのは最後の部分である。この虐殺が行われたのは「天長節」(天皇誕生日)祝日であり、そのために虐殺を終えたばかりの兵士たちは「泥酔」し、各戸には「日章旗」が掲げられている。「日章旗」を掲げなければしっかり「記帳」され、「不逞鮮人」としての烙印を押され、次なる虐殺の候補者とされる。「日の丸」や「君が代」は歴史的にこのような役割を果たしてきたし、現在も果たし続けている。それは「行動」と「思想」を分裂させる力であると同時に、「国民」から「非国民」とされる人々を析出し、排除し、抑圧する力でもあるのだ。自らの「思想・良心」を置き去りにしながら(あるいは、置き去りにしているということすらも忘却しながら)統一的な「行動」をとれるのが「国民」である以上、この二つは別のことではない。
 「精神の戒厳令」状態をうち破るためには、こうした歴史認識が不可欠なのではないか。もちろん、それは所沢高校や千葉県立高校の生徒への問いかけであると同時に、歴史研究者を名乗る自分自身により鋭く跳ね返ってくる問いかけでもある。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)








「一国史・日本史解体」のススメ
私はなぜ『歴史教科書とナショナリズム』を書いたか?

和仁康夫●ジャーナリスト


◆戦後教科書問題の歴史
 戦後の教科書問題は四次に整理できるかもしれない。保守合同直前の一九五五年に日本民主党が三回にわたって戦後の教科書を批判するパンフレット「うれうべき教科書の問題」を配布して攻撃し続けた第一次教科書問題。次いで一九八二年のいわゆる「侵略・進出」検定を端緒に、日本の植民地・侵略加害行為に関する恣意的な検定がアジア諸国との外交問題ともなった第二次教科書問題。さらに、一九八五年に自民党議員などで構成する「日本を守る国民会議」が主導した高校教科書『新編日本史』(当初原書房、のちに国書刊行会の『最新日本史』に継承)の皇国史観ぶりをめぐって外交問題化した第三次教科書問題。そして今回の新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」と略す)メンバーによる中学歴史・公民教科書の申請本が問題化した第四次教科書問題である。
 このうち第二次教科書問題以降はアジア諸国との間で外交問題化している。また、第一次と第二次は、進歩的な著者が執筆した教科書に対する保守・右翼勢力からの攻撃だったのに対して、第三次教科書問題からは攻守ところをかえ、右翼側の教科書づくりを、内外の批判勢力がいかに阻止するかという展開になった。

◆「つくる会」教科書運動の特徴
 今回の「つくる会」教科書の準備は、藤岡信勝東大教授が組織した自由主義史観研究会などを母体に、成長の家・神道政治連盟など右派宗教団体をはじめ、伝統的右翼団体からも参加を得て、一九九七年に「新しい歴史教科書をつくる会」という草の根右派市民団体が組織されたことに始まる。
 現在会員一万人以上を擁し、年間予算数十億円の財政規模を持つ同会は、専従の事務職員を置き、全国四七都道府県に四八支部(東京には二支部)を擁し、B5判の隔月刊機関誌『史(ふみ)』を三年以上にわたって発行してきた。また、全国各地での講演会・勉強会などへの講師派遣等の斡旋もおこなっている。扶桑社の『中学歴史』『中学公民』を立案し、その執筆を主導し、産経新聞社と一体になって普及・宣伝を行なう「事業者」でもある。
 「つくる会」は現在、自分たちの歴史・公民教科書を採択してもらうため、全国の地方議会・教育委員会に対する働きかけを強め、教科書採択における現場教師の影響力を排除しようとしている。地方議員には『国民の歴史』(扶桑社)を贈呈し、議会で彼らが提出した「教育正常化」の陳情を採択させる。教育委員には、予め大量に組織買いした『国民の油断』(『PHP文庫』)を無料配布して、「教科書採択権は教育委員にある」という彼らの主張に洗脳するなど、独占禁止法が教科書事業者に禁止している違法な行為を続けてきた。すでに全国四七都道府県議会の半数以上が彼らの陳情・請願・意見書を採択しており、北海道議会では、教科書検定基準から近隣諸国条項を排除する意見書が採択されている。また、東京都では石原都知事がつくる会の運動を支持しており、教科書採択における教育現場の意見を排除する方針が教育長名で通達されている。この方向性は、全国に波及する可能性があり、警戒を要する。
 このような「草の根右派」の組織は、過去にスパイ防止法や「日の丸・君が代」法制化の時に見られたもので、手法としては国際勝共連合が得意とするものだ。一九九〇年代半ばまでに、「日本を守る国民会議」が「日本会議」に再編されたことや、自民党内に「歴史検討委員会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」など、新しい右派議員の組織再編が進んでいたという事情もある。こうした右派政治家のコンセンサスのもとに、教育者・研究者らによる「自由主義史観研究会」や、さらに草の根右派を糾合した「新しい歴史教科書をつくる会」の組織づくりが行なわれたのである。

◆「つくる会」教科書が主張するもの
 「つくる会」教科書申請本(白表紙本)を読んで驚かされるのは、古代から六ページも使って紹介される「国産み神話」や「日本武尊の東征」である。中世・近世の武家政権にも、天皇権威のもとで政権が承認されたことがくりかえし強調されており、最後の人物コラムも「昭和天皇――国民と共に歩まれた生涯――」で締めくくられる。つまり、古代から現代にいたる日本の連続性を天皇の権威で説明している。
 この原始・古代から、「日本はずっと日本であった」という主張を貫くため、上高森遺跡を写真入りで絶賛したり、縄文文化に「縄文文明」の語を充て、黄河文明より古い「森と岩清水の文明」などと絶賛して原始社会から大陸と切り離された独自の文化を育んできたような錯覚を与えている。また、日本語のコラムや天平美術などの解説でも、他文化からの影響をなるべく小さく説明し、むしろ日本の独自性に説明の力点がおかれる。
 つまるところ、日本は古代の早い段階に「中華文明」から独立し、独自の文化的伝統を育んできた。近代化の波にも、頑迷な他のアジア諸国とは異なり、すばやく対応してアジアで最初の近代国家となった。そして、「大東亜戦争」には敗れたものの、アングロサクソンの野望を挫いてアジアを独立・解放に導いたという論理だ。このような歪曲と虚構に基づき、独善的な「日本人としての誇り」をめざしているのだ。
 したがって、中国・朝鮮の人々に対する敵視・蔑視はもとより、世界の人々が怒りだすのは当然といわねばならない。
 「つくる会」公民教科書はもっとすごい。冒頭グラビアには、「北方領土の空撮写真」「テポドン発射成功を祝う北朝鮮のポスター」「日本領海を侵犯する中国の不審船」「尖閣諸島(中国名:釣魚島)に上陸して日の丸を掲げる西村真悟代議士の写真」が配され、ことさらに対外有事を煽る。キルギス・シンガポール・神戸における自衛隊の活躍ぶりが紹介され、核廃絶にも反対する。そして憲法第九条が集団的安全保障の障害になっていると、公然と改憲を主張する教科書でもある。
 国内政治でも、吉野川河口堰問題などに見られた住民投票を批判し、女性の家事を「労働」と捉えることに反対する。もちろん夫婦別姓や死刑廃止にも反対。最後のまとめの部分では、「中央集権か地方分権かという二者択一も意味をもたない」「国権か民権かという二者択一も排される」「国民に共通の『公心』から国家が形成され、……政府と民衆は相互に批判を交えながら公民強調の方向で歩み寄る以外にない」と主張される。そして「国家にいたるナショナルな感覚」が求められると主張している。つまるところ、「日本人なんだから、日本国家の国益に立って行動せよ」と強制する教科書である。これは、人民を愚弄するものだ。

◆『歴史教科書とナショナリズム』
 私はこのたび「つくる会」教科書が外交問題化しているという絶好のタイミングで『歴史教科書とナショナリズム――歪曲の系譜』(社会評論社)という本を上梓することができた。
 ただし私の動機は、必ずしも「つくる会」教科書運動に対抗する論理を構築する運動的なマニュアル本をつくるという観点にはない。それならば他に適役となる著者はたくさんおられるし、過去にも数冊の関連本が出版されている。また、今後も幾つかの関連書が出版されるであろう。
 私が意図したのは、「つくる会」教科書の登場という事態をとらえつつも、これを近代教育・教科書史におけるナショナリズム利用(悪用)の歴史に学びつつとらえるという基礎的作業を多くの読者と共有することだ。同時に、私が華僑・華人社会をフィールドにしてきたという立場から、「つくる会」教科書に対するアジアの人々の受けとめ方をより詳しく、広く紹介することで、アジアの人々の懸念・怒りを紹介する必要も痛感していた。本書を通じて、「つくる会」教科書の虚偽性・独善性はより明瞭にすることができたと自負している。
 今回の「つくる会」教科書問題が、外交・内政的にどのように決着するかはまだ未知数だが、歴史を弄ぶ右翼集団は、姿・形を替え、新たな戦略のもとに再び三たびと輩出するであろう。ナショナリズムが国民統合の手段としての有効性を持つかぎりは、歴史、とりわけ自国史は今後もこのような欲望の対象としてさらされ続けるに違いないのだ。
 同時に、日本のナショナル・アイデンティティが虚構の積み重ねのうえに成立していることは本紙の読者にはもはや説明を要しないであろう。かつて高校・予備校で「日本史」の教壇に立った我が身からすれば、その虚偽性の再生産は過去においてもつねに自己嫌悪の対象でありつづけた。自己批判の対象でもあったのだ。その意味で本書は、「歴史に学ぶ姿勢は必要だが、一国史の枠組みはもうやめてしまおうや」という、教育現場における「一国史・日本史解体のススメ」でもあるのである。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)










【議論と論考】

国民の脱‐統合の象徴

斎藤純一●横浜国立大学教員


 「人間の生は孤独で、貧しく、汚らしく、野蛮で、そして短い」。
 これはトマス・ホッブズが『リヴァイアサン』で描いた自然状態における人びとの境遇である。自然状態にはセキュリティは存在せず、それは社会状態に移行することによって初めて得られる。そのためには、人びとは孤立と潜在的な敵対の状態を脱して、「共通の権力」を設定しつつ、自分たちを一つの社会に統合しなければならない。国家(公的な権力)の存在理由は、その成員にセキュリティ(生の保障)を得させることにある。この基本線に沿って、近代の国家はその後物的な安全に社会保障(social security)の次元を加えながら、セキュリティを拡充してきた。
 私が最近感じているのは、かつて克服の対象だった自然状態がいま新たにつくりだされ、その存在が黙認されはじめているのではないかということである。雇用の保障(job security)も社会保障も否定され、むしろ逆に、社会の秩序、公共の安寧、公序良俗等々を潜在的におびやかす存在と見なされる人びとが置き入れられている状態のことである。日本語ではまだそれに当たる言葉はないが、自然状態あるいは少なくとも社会状態の最周辺部に置かれる人びとは、欧米では「アンダークラス」、「Bチーム」、「三分の一社会」などと呼ばれてきている。注目したいのは、社会統合や国民統合という目標があからさまに放棄され、社会の分断が肯定されはじめているということである。自然状態のインセキュリティのなかで生きなければならない人びとが存在しても、それはもはや「社会問題」ではない。彼らの存在は、治安(public security)という観点からのみ問題となる(実際、公権力の存在理由を、社会保障のセキュリティではなく、治安のセキュリティに求めようとする傾向は日本でもこの間顕著である)。
 近年、経済的不平等や階層格差の拡大に光を当てる論考が登場し、ある程度反響を惹き起こしているが、問題は、一つに統合された社会の内部での不平等や格差だけではなく、社会そのものの分断を肯定し、生きる空間の隔たりを積極的に設定しようとする、分断(divide)と隔離(segregation)の思想が浸透してきているということにあるように思われる。国民統合が惹き起こす抑圧や排除のみに焦点を合わせる批判は、もはや有効ではなくなっている。新しい排除は社会の統合ではなく社会の解体に並行して進んでいるからである。「国民統合」の批判にやっきになっているうちに、「国民分断」を正当化する思想が力を得てきたのである。
 グローバリゼイションが惹き起こす生の不安がナショナリズムに引き込まれていくという回路が存在する以上、「国民統合」の強化をはかろうとする言説に警戒を怠らないことはもちろん必要である。だが、おそらくそれにもまして重要なのは、「余計者」というカテゴリーを制度的につくりだし、しかも社会からの排除(自然状態への追放)の原因は他ならぬ自分自身にあると思わせるような言説――選択、リスク、自己責任、人的資本、アントレプレナーシップ、実力主義等々の語彙を用いる――をきちんと批判することである。
 象徴天皇制は、このような社会の分断化のなかでどのような機能を果たしていくのだろうか。天皇制を国民統合の再生、国民共同体の再想像の核として活用するという動きもないわけではないだろうが、私にはそうした統合を支える集合的な同一化の機制は弱くなっているように思える。それよりもリアルなものとして感じられるのは、象徴天皇制はたいした問題ではないという了解が拡がるなかで、天皇制を問題化することがこれまでにもまして何か奇異なことのように思われてきている、ということである。天皇制はもはや問題ではないという支配的な了解は、右であれ左であれ、それへの何らかの意見を表すことを「社会的にまともではない」(uncivil)と見なすのである。統合の機能は低下しているが、排除の機能は暗々裡に強化されていると見るべきだろうか。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)







沖縄―「本土(ヤマト)」を貫く「まやかし」の政治
稲嶺県知事の「選挙公約」の撤回をめぐって

天野恵一●反天皇制運動連絡会


 3月10日の『沖縄タイムス』にはこうある。「米軍嘉手納基地に住む大学生ら二人が窃盗や建造物損壊などの容疑で県警の合同捜査本部に逮捕され、九日で一週間が過ぎた。同じ容疑で逮捕状が出ている主犯格の少年(一九)は帰国したまま」。「同本部は、北中城村や佐敷町、沖縄市など本島中南部で一月に起きた連続放火事件についても追及している」。
 このレポートの横に、以下のような記事がある。 「北谷町北前で起きた米海兵隊による連続放火事件で那覇地検は九日、キャンプ・ハンセン所属の米海兵隊カート・K・ビリー被告(二三)=非現住建造物放火罪で起訴済み=を現住建造物放火罪で追起訴した。同被告は起訴事実を認めているという」。
 3月11日の『沖縄タイムス』には、こういう記事がある。 「先日五日、米軍普天間基地所属のCH53大型ヘリ同士が普天間基地上空で接触し、双方の機体が損傷する事故を起こしていたにもかかわらず、一カ月以上経過しても国や県に報告していないことが十日、分った。人身への被害は出ていない。米軍の事件・事故については一九九七年の日米合同委員会で『公共の安全に影響を及ぼす恐れのある事故が発生した場合、できる限り速やかに現地レベルで通報する』ことで合意している」。
 基地・軍隊が存在することがもたらす被害・危険に満ちた沖縄の日常は続いている。それへの抗議の声(例えば「海兵隊の削減」)は、現地で発し続けられていないわけではない。しかし、新しい米軍基地づくりは、さらに具体化され出しているのだ。 海兵隊の主力基地が集中している北部には「性暴力事件」が起きる必然性があることを語りつつ、目取真俊は、こう論じている。 「そういう北部地域にさらに海兵隊基地を集中させようとしていながら、『海兵隊削減』と『普天間基地移設』は別問題、と口にできる知事や県幹部、保守系議員たち。その厚顔無恥は呆れるばかりだ。政府や自民党中央の全面バックアップで選挙に勝ち、基地関連の振興費やサミット誘致などで『格段の配慮』を受けてきた稲嶺知事が、元より政府に逆らえずはずもない。保守党議員や首長たちにしても、米軍に対する怒りを見せつつ、振興費がらみの基地利権に群がっているのだ」(「海鳴りの島から」E『週刊金曜日』2月9日〈350〉号)。
 目取真は、稲嶺県知事らの、こうした「まやかし」を批判する力を反対運動の側が十分に持てていない状況への苛立ちを、ここで露わにしている。 基地機能を損なわない範囲での海兵隊の削減を打ち出し、「整理・縮小」のイメージの下に基地の「県内移設」という新しい基地づくりを促進する政治。これと対決し「新しい基地づくりに反対」し抜くことで海兵隊を「撤退」を可能にする状況をこそ、つくろうと、彼は呼びかけている。
 目取真の予想通り、「政府に逆らえるはずもない」稲嶺知事らの「まやかし」の政治は、加速されている。
 稲嶺知事は、9日の定例会見で、「軍民共用」「陸上案」「十五年期限付き」という選挙公約に基づく基地(空港)づくりについて、政府の海上案をのむ方向を明らかにした。「陸上」という公約の撤回であるにもかかわらず、そうでもないという詭弁を弄しながら。
 「三位一体の公約のうち、『陸上案』は修正を迫られ、十五年の『期限付き』問題は、全く不透明。『軍民共用』は、需要予測や維持管理など、先の見通しにあいまいな要素が多い――これが偽らざる現実である」(「代替協はなんのため」『沖縄タイムス』3月10日〈社説〉)。
 三位一体の公約自体が「まやかし」の性格の強いものであったことが、いよいよ明らかになってきているのだ。
 この社説には、もう一つ重大な指摘がある。 「長崎県・諫早湾干拓が今、有明海のノリの不作問題で揺れに揺れている。普天間の移設問題を安易に進めれば、諫早干拓事業の混乱の二の舞を演じることになるだろう」。
 「陸上案」だろうが「海上案」だろうが、取りかえしのつかない環境破壊をもたらすことは確実である。「宝の海」を殺してしまうのだから。 私たちも、アメリカ大使館・首相官邸への抗議行動はしてきた(ハワイでの米原子力潜水艦の宇和島水産高校の実習船衝突事故と、相次ぐ沖縄での米軍「犯罪」への政府のいいかげんな対応と、歴史的責任を問いたであすためのそれ)。 しかし、「本土(ヤマト)」の運動も、稲嶺県政の「まやかし」の政治をつくり出させている日本政府の、アメリカの軍事(政治)戦略に基本的に引きずられるにまかせる方向を主体的に選択している、より大きな「まやかし」の政治と、ほとんどよく闘えていない。
 「新ガイドライン」安保に基づく、周辺事態法を成立させ、攻撃的軍事力保持へ向けて、政府は、「平和への貢献」などと呼びつつ、日本を具体的に戦争が担える国家にするために着々と手を打ってきているのだ。もちろん、各地の自治体と、それを支える反戦運動の軍事非協力など、多様な抵抗の運動も、いくつもつくりだされてはいる。
 しかし、アメリカの意向にそいつつ、日本政府の戦争準備を「平和」といいくるめる「まやかし」の政治そのものを直撃する反基地・反安保運動が「本土(ヤマト)」の中で大きくつくりだされなければ、私たちの運動は、沖縄県政の「まやかし」と対決する沖縄の闘いとの連帯のキチンとした通路をつくりだすことはできないのだ。 とにかく、やれることを、あらためて身の回りから、いそいで開始していくしかあるまい。
(『派兵チェック』No.102、 2001.3.15)















【言葉の重力・無重力】(13)

無神経・無恥な漫画家を喜ばせる入国禁止措置
小林よしのり『台湾論』をながめる

太田昌国●ラテンアメリカ研究家


 小林よしのりの『台湾論』(小学館)をながめたのは昨年末だった。私は、小林のマンガを読まず嫌い・食わず嫌いのままに放置して、外見的に批判する方法には反対だとする立場から、やむを得ずその作品の多くをながめたうえで何度かにわたって批判してきた。しかし、さすが『台湾論』にまで口出しすることはあるまいと考えて、雑誌「サピオ」(小学館)連載時にさっと目を通すに留めて、単行本としてまとめられたものにまで手を出すつもりはなかった。ところが、昨年『台湾、ポストコロニアルの身体』という注目すべき著書(青土社)を書いた丸川哲史から、台湾と日本の多数の論者によって小林『台湾論』批判の本を出すので参加してほしいとの連絡を受け、急遽あの分厚い本一冊をながめ回すという「苦行」に挑んだのだった。そして私は、空疎でしかない小林の作品を批判するのではなく、戦後の歴史過程において私(たち)にとって台湾がどういう存在であったかという問題に、1970年前後に台湾から日本へ留学していた劉彩品の生き方に触れる形で、ごく短い文章を寄せた(その本はまもなく、作品社から刊行される)。
 小林の作品が「空疎でしかない」というのは、例外的なことではない。今回の場合でいえば、台湾論を展開しようとする自分の立場と問題意識のありか、それを追求するために会って話を聞く人の選択、その人の社会的位置や属する階層、歩き回る街の性格、泊まるホテルや利用するレストラン/食堂のクラス、参照する資料(本、雑誌、テレビ、ビデオなど)の性格――それらの諸条件が当然にももたらす「認識」の限界を、当人が明示的に、あるいは明示的ではないにせよ内心において自覚していてはじめて、その表現は(賛否は別にして)批評の対象になり得る。マンガとて、その例外ではない。「ゴーマン」を売り物にする小林には、ここでも、その自覚の片鱗すらない。
 小林の『台湾論』成立の過程を見ると、前総統・李東輝、実業家・許文龍、司馬遼太郎の台湾紀行のガイドして有名な老台北こと蔡焜燦などが、小林の台湾旅行を大歓迎するという構造が事前に出来上がっていたと思える。政治・経済のそれぞれの分野における「実力者」が出てきたからには、そこには「連載が中二週空くので台湾へ行きませんか」と小林を誘ったという「サピオ」編集部とは別の、より大きな日台両サイドの人間(あるいは勢力)の介在があったと考えるのが自然だろう。李東輝への言及に大きな頁が割かれた司馬の『街道をゆく40 台湾紀行』(朝日文庫)の刊行以来、李東輝は日本の守旧派の中で大きな位置を占めている。司馬のこの本は、初版が刊行された1994年という時代状況の中で、胸に一物もって日本批判を控える(司馬が付き合った)台湾人自身のあり方と、めりはりを欠いた茫洋たる司馬の歴史観を通して、日本による植民地統治を免罪する役割を果たした。都知事の石原が、事あるごとに李東輝との交友を強調していることを思い起してもよい。また蔡焜燦が絶賛する「理想の日本人像」が石原慎太郎であることも忘れるわけにはいかない。 「お調子者」の小林なら、これほどの「大物」による大歓迎ぶりに有頂天になり、これらの策士の掌で踊るにちがいないと計算した猿回しがどこかにいたのだろう。案の定、小林は、お膳立てどおりに自分を歓迎してくれた人びとの大物ぶりに手放しで喜び、彼(女)らが語る情景と言葉をそのままだらだらと描き(書き)写すことで「台湾論」なるものが成立するのだと勘違いして、あの本は出来上がった。自分が行なった「取材」めいたものはあまりに一面的であるという自己抑制のかけらもない、歴史偽造派に共通の無神経で無恥な本の誕生である。この構造こそが注目に値するな、というのが私の考えだった。
 その間に、2月7日、『台湾論』の中国語版が台湾・前衛出版社から発売される事態をうけて、思いがけない方向に問題は広がってきた。新聞・テレビなどのメディアで、小林および台湾に関する知識を小林に講義した李、許、蔡の三人に対する批判が展開され始めたのである。とくに、許文龍が「日本軍に強制連行された慰安婦などいなかった」と語ったとされている部分に批判は集中した。『台湾論』の不買運動が起こり、これを焚書するパフォーマンスが行なわれ、他方、隠れて本を売る書店もあるなどという報道がなされるようになった。そんななかで、台湾内政部は、3月2日、「民族の尊厳を傷つけた」小林の入国禁止措置を発表した。 この台湾当局の措置は、「たかが」一冊のマンガ本を描いた人物を危険人物として遇する事大主義において、小林を喜ばせた。「台湾の戒厳令が解かれてから初のブラック・リストがわし・小林よしのり!」(「サピオ」3月28日号)。焚書という、大衆的憤激のパフォーマンスも、表現抑圧の匂いがして、小林の価値観からすれば、大いなる「勲章」であろう。
 在台湾のジャーナリストで、『台湾革命』(集英社)を出版したばかりの柳本通彦は、この間の事情を次のように分析している(要旨)。「日本のジャーナリズムを篭絡し、利用しようとする自称『台湾独立派』、日本の戦争責任を否定し、教育を戦前に逆流させようとする日本の勢力。両者の迎合は、かくも構造化している。(中略)台湾の野党とマスコミがたたいているのは、日本の一漫画家などではない。日本の守旧派と結びついた『台独派』であり、さらには『台湾論』の主人公となった李東輝なのである」(「アジア記者クラブ通信」106号 http://apc.cup.com/を参照)。この一連の事態に柳本が読み取るのは「台湾人の心の中に泥流のように流れる『反日感情』である。憎悪、恨み、嫉みをベースに、懐かしみと憧れがない交ぜになった奥深い『日本コンプレックス』である」。問題の本質を言いあてていると思う。

『派兵チェック』No.102、2001.3.15)

【反天運動月報】(5)

NHKの「女性国際戦犯法廷」番組改ざん問題
右翼の脅迫と暴力の日常化

天野恵一●反天皇制運動連絡会


 二月一一日、私たちは「天皇制の戦争責任を追及し『日の丸・君が代』に反対する反『紀元節』集会」(と集会前のデモ)を開催した(主催・同実行委員会)。デモには予想通り、右翼の暴力的介入があった。いきなり、デモの隊列の中に路上から乱入してくる右翼。それを追いかけるかたちで機動隊員と私服の刑事がデモ隊の中に入り込み、勝手な規制で大混乱という局面が二度あった。右翼はデモの進行についてまわり、脅迫をくりかえした。
 私たちも参加した二月二五日の神奈川での「『日の丸・君が代』強制に反対する」集会とデモ(主催・『日の丸・君が代』の法制化と強制に反対する神奈川の会)にも、集会場の前に集まった右翼が介入、私服刑事とベチャクチャ話しながら「日の丸」の旗などを持った右翼がデモの隊列にくっついて、脅迫的な言動を繰り返し続けた。
 私たち反天連のメンバーも主催者として参加している「『日の丸・君が代』の強制反対の意思表示の会」主催の三月三日の「『日の丸・君が代』強制反対の声をひろげよう――さまざまな視点から〈意思表示〉を」の集会とデモにも、右翼が介入。街頭宣伝カーで「国賊反天連を粉砕せよ!」などと、集会中はがなり続け、デモの時はくっついてきて、しきりにカメラ、ビデオなどをとりながら、脅迫的な言動を繰り返し、解散地の公園では、待ちかまえ、「かかってこい!」などと挑発をくり返した。
 右翼暴力団の、こういった動きは、どうやら日常化しだしているようだ。
 二月一一日の集会の発言者の一人であった「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(VAWW―NETジャパン)のメンバーである西野瑠美子は、NHKのETV2001「日本軍による戦時性暴力」という番組が、右翼の暴力的介入によって内容が改ざんされたという事実について報告した。この点についてVAWW―NETジャパンの鈴木香織は「戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国Fax通信」No.9〈三月七日号〉)で、二月六日付けでNHK海老沢勝二会長宛に、VAWW―NETジャパンが明らかにしておくべきこととして求めた公開質問状について、以下のごとくレポートしている。
 「◆当初の企画意図に沿って直接の番組取材制作者が作成したものが、NHKによって変更された過程。/◆変更に際して取材協力者、対象者であるVAWW―NETジャパンに説明しなかった理由。/◆ある時点から外部の制作者が外され内容も知らされないままNHKが最終的に番組を制作したのは事実か。/◆『法廷』の規模や構成、趣旨説明が無かった理由。/◆『天皇有罪』などの判決内容を紹介しなかった理由。天皇の戦争責任に触れないという判断は今回の番組製作過程で決定したのか、すでに内規が存在するのか。『天皇有罪』の法的根拠がないと判断したのか。/◆『慰安婦』問題で専門学者から批判されており『法廷』には最終の判決日しか参加していない秦郁彦氏を急遽訪問取材した理由、および当事者に反論・訂正の機会を与えなかった理由。/◆出演者に番組内容を事前に報せなかったのは事実か。/◆この番組に対して、どのような右翼団体がどのような要求をしたのか。右翼の妨害に対するNHKの姿勢。/◆自民党などの政権与党の政治家からの圧力があったか。NHKがそれにどう対応したのか。予算削減の危惧などの政治的圧力を無視できないのか。/◆(外部からの介入の影響が無かったとすれば)NHK独自の判断であのような不公正な番組を作った理由。/◆アナウンサーの最初の問題提起も、反論の機会が無ければ『偏向』になるが、わざわざ言わせた理由」。
 NHK側は、「編集方針は昨年11月の制作決定時から放送までの間、一貫して変わっていない」「特定の団体等の圧力によって、放送内容を変更したというようなことはない」と回答したと、ここで報告されている。
 三月二日付の「右翼の圧力下の『女性国際戦犯法廷』番組改ざんは許せない」というVAWW―NETジャパン代表の松井やよりのNHK会長あての抗議文には、こうある。
 「それに対して、14日に届いたNHKからの回答は、要するに、『法廷』の判決にふれなかったのは日本とアジア諸国の和解のためであり、番組は企画意図を編集方針に基づいて予定通り放送し、特定の団体等の圧力によって放送内容を変更したことはなかった、というものでした。/このような回答にVAWW―NETジャパンは到底納得できません。それは、私たちが調査した番組改ざんの事実経過とあまりにも離れているからです。私たちは番組関係者からの独自の調査を行い、また、NHKの吉岡民夫教養番組部長ら、NHKエンタプライズの島崎素彦スペシャル番組部長らからも直接説明を聞き、番組変更をめぐる事実経過が次の通りであることをつかみました。/昨年12月27日のスタディオ収録では『法廷』のVTRに高橋哲哉東大助教授、米山リサ・カリフォルニア大講師の二人が解説したのでしたが、それは、『法廷』についてくわしい紹介をしながら、二人がその意味や、人道への罪や戦時性暴力をどう裁くかについて解説するという内容でした。そのVTRには、『日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷』という看板、この法廷を開く契機を与えた元『慰安婦』のカン徳景さんの絵、法廷の目的などを説明した主催者のインタビュー、『法廷』会場の様子、2人以上の被害者証言、加害者の証言、そして、肝心の判決も入っていたのですが、これらは30日の放映では全部カットされていました。また、二人の解説者の法廷に関するコメントも削られていました。/『法廷』開廷中からいくつもの右翼団体が会場の周辺で『法廷』反対を叫んでいましたが、『法廷』直後からNHKに『法廷』についての番組中止を要求し始め、1月に入ると、『法廷』攻撃とNHKへの圧力をさらに強めました。そのような雰囲気の中で12月のスタディオ収録の番組を見たNHK幹部たちは、『法廷』から距離を置くように変更を命じ、番組制作者たちは何回かの手直しをさせられました。放送3日前の1月27日にはいくつもの右翼団体員30数人がNHKの建物に乱入し暴力的に番組放映中止を強要しました。その翌日の28日には、急遽、秦郁彦教授のインタビューを追加し、その後も、放送直前まで番組変更を続けたというのです。/その結果『法廷』に関する部分はほとんど形式的に残されるだけになり、戦時性暴力をテーマとした番組であるにも関わらず、『日本軍』『性奴隷制』などの言葉も一切なく、『慰安婦』制度についての日本の責任には全くふれない異様さでした。/ですから、右翼団体は『番組は骨抜きになり、NHKに勝利した。今後も抗議を続けよう』とホームページなどで勢いづいています。/しかし、このような番組改ざんは右翼団体の妨害だけではなく、自民党議員からのNHK幹部への圧力もあったといわれています。NHKはそれを否定していますが、編集権などをたてに真相を隠蔽し続けることは許されません。私たちは、今後とも真相の公開を要求し続けます」。 
 二月二四日付で「『女性国際戦犯法廷』国際実行委員会からのNHKあての、制作過程を公開し、「公正」な番組を制作・放映することを求める抗議文も出た。三月二日の朝日新聞は、この番組のコメンテーターである、高橋・米山・鵜飼哲・内海愛子のNHK(会長)への説明を求める申入書が提出されていることを報じている。
 秦がつっこまれた第二回は、シロウト目にも改ざんは明らかであった。右翼の暴力と脅迫に屈し、その事実を隠蔽し続けるNHK。そして右翼の暴力を「市民」の正しい「抗議」などと評しつつ、「法廷」を非難する主張などが右派メディアに飛び交っている。すさまじい時代だ。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)

【書評】

周辺事態法でも戦争協力は強制されない!
「いのくら」基地問題研究会/編『私たちの非協力宣言――周辺事態法と自治体の平和力』〔明石書店/2001年2月/2400円+税〕

梶野宏●『派兵チェック』編集部


 95年頃から始まった日米安保再定義(日米安保共同宣言から新ガイドラインの策定)やそれを実質化する関連法(周辺事態法、自衛隊法の改正など)の制定に反対する運動のなかで、こうした一連の日米政府による策動を「戦争のできる国家・社会へ向けた動きである」との批判の声を上げてきた。特に自治体や地域社会を戦争(=周辺事態)へ動員することを目指した「周辺事態法」の成立は、「戦争国家」への危機感を決定的に強めた。この法律の成立で、「実質的には自治体も民間企業も否応なく戦争(それも米軍の始めた戦争)に協力せざるを得なくなる」といった声が方々で(いやそこら中で)聞かれたし、実際にもそう感じた。 ただ、ヨコスカ平和船団の新倉裕史さんたち(「だけ」といった実感をもつ)は、「周辺事態法が成立しても、自治体は決して、戦争への協力を強制されるわけではない。現行の諸法律に基づいて、米軍や国からの要請を拒否できるのだ」としきりと強調していたのが強く印象に残っていた。そして、それは印象に残っているだけでなく、私(たち)の運動に大きな糧となってきた。もっともちっとも具体化はできていないけれども。
 そうした新倉さん(たち)の主張の根拠を、豊富な実例と緻密な分析と平和へ向けた具体的な抵抗への強い意志でまとめたのがこの『私たちの非協力宣言』である。 全体は5部構成。第1部が周辺事態法成立の背景と条文毎の問題点をまとめた「周辺事態法とは」、第2部と第3部が本書の中心となる、周辺事態法発動に対しての「ノー」と言う具体的な根拠と方法が示される、「周辺事態法と自治体――自治体は何を根拠にノーといえるのか」(第2部)と「分野別――こうやって協力要請を拒否しよう」(第3部、分野は、港湾、空港、施設設置・使用――火薬庫の設置や公共施設の使用、輸送、廃棄物処理・給水、医療、情報公開)。第4部が「周辺事態法と自衛隊――自衛官にいま何を訴えるのか」。そして執筆メンバーによる集約的な座談会「周辺事態を起こさないために」が第5部として収録されている。 本書を通じての基調は、「周辺事態法にはノーといえる」ということ。港湾管理者である自治体の長は、港湾法に基づいて接岸バースを決定できる権限によって入港を許可するか拒否するか決定権をもっているということに代表されるように、周辺事態法は既存の法律を無効にすることはできない、そう認識することが重要と主張する。それを住民が後押しするように、首長がノーといえるように後押しすることが重要だと。そして、そもそも政府側はそうできないことを知りつつ、法案の成立過程から、抵抗できない、拒否できないと自治体に思いこませることを狙いとしてもっていた、との指摘には、うなってしまった。私(たち)もちょっとそのワナにはまっていたか。
 逆に、周辺事態法に不安をかかえる自治体からのさまざまな形での政府に対する問い合わせとそれに対する回答の中で、周辺事態法どころかいままで多くの自治体が思いこまされてきた日米安保地位協定第5条による米国海軍艦船の入港についても、港湾法を無視してはできない(つまり港湾管理者の気持ち一つで拒否できる!)ことまでが浮きぼりにされてしまった。
 「思いこみ」はまったく恐ろしい。「軍事」「戦争体制」という言葉が、必要以上に「抵抗不可能に押しつけられてくる」という危機感は、時として、現実に可能な抵抗の芽を自ら放棄してしてしまうことになる。そうした落し穴を本書によって教えられた。
 戦前・戦中の反省の上に立った港湾法による港湾の自治体による管理。また各地の空港に残る「軍事目的に供さない」といった地域自治体や住民との「覚え書き」や「協定」など、今、ようやく「活躍」の場が出てきたともいえる。ここでこれらを利用しなくては、そもそもそれらの存在意味はない。憲法9条だけではない、戦後の遺産の活用も本書は具体的に教唆している。
 最後に、本書への批判として、「そんなに自治体に期待をもっていいものか」と一言つけ加えようと思ったがやめた。「そんなことは先刻承知の上のことで」と言われるのが明らかだから。
(『派兵チェック』No.102、2001.3.15)


池添徳明著『日の丸がある風景――ルポ・問われる民主主義のゆくえ』

和田彰夫●反天皇制運動連絡会


 この本の著者は、以前は新聞社に勤めていた記者だったが、「日の丸・君が代」問題や滞日外国人労働者のテーマにこだわって取材を続けてるうちに、どうも新聞社では思うように記事の発表ができなくなったと、現在はフリーのルポライターとして活動している、という方です。この本以外に書かれたものを読んでいないので(どこかで読んでるのかもしれないけど)、よく紹介できなくてすみません。それで今回、卒業・入学式シーズン直前という絶好のタイミングで出されたこの本は、八七年の秋ごろより発表されてきた記事と、九六年に行われた著者の講演録などがまとめられたものです。
 「日の丸」や「君が代」は侵略戦争のシンボルだから反対、といったような反対論を訴えることは、この本のテーマではありません。「『日の丸・君が代』の扱いに対する人々の対応を観察していると、日本の民主主義や人権意識の成熟度がとてもよく見えるように思えた」という動機に基づくルポは、こんな内容です。
 毎日、子供に「日の丸」を揚げさせている小学校の話、卒業式や入学式で「日の丸・君が代」を「完全実施」するよう圧力をかけられる校長の苦労、式での「君が代」伴奏をジワジワと強要される音楽教師の苦しみ、「面倒なことは避けたい」空気のなかモノ言わぬ教師たち、一人で日の丸の旗を下ろしてみたら「応援してるよ」と他人事のように教師たちに言われて絶望して転校する女子中学生の話とか、そういった事実関係の取材にもとづいた、人々と「日の丸・君が代」との関わりにまつわる出来事や苦悩を淡々とレポートする、ということに力点が置かれています。淡々とした読みやすい文章なんで、かえって学校の中での教員どうしの信頼関係や、子どもの自律的な意志をズタズタに切り裂く結果をもたらす「日の丸・君が代」の「効果」がよく伝わってきて、ちょっとぞっとします。
 小中学校や高校での話がほとんどなのは、「日の丸・君が代」をめぐる対立が、見えやすい形で現れているのが学校だからなんでしょう。「心をこめて歌え」とまでいわれかねない地点にまで来てしまっている今では、この十数年間、本書で紹介されているような事例は、たぶん山のようにあるんだろうと思う。でもそうした話は「日の丸・君が代」(強制)反対の運動に関わっている人々の中ではわりと知られた話だろうし、教職員など学校関係者の中には、同じような状況に置かれていて実体験としてよく分かるという人もいるかと思うんですが、ぼくなんかは今は学校とは関係ないし、日常生活の中で日の丸や君が代を強制されかねない場面なんて想定できない。そういう、たぶん大勢の人々に知ってもらえるように、こうした報道がたくさんでることも重要なんだろう。でも、どうもそれだけじゃ足りないかな、という気もします。だからこそ、著者は外国人労働者の置かれている厳しい状態など、排外主義のはびこる現実をルポすることにも力をいれているのだと思う。
 政府は、国旗国歌の「強制はしない」といいながら、卒業式や入学式の場面では、教師や校長や子どもにも、思いっきり強制しているのが現実なわけです。それは、「国民」に対しては「これから戦争したいんだけど」とは決していわずに海外派兵を常態化して法制度までの戦争準備を進め、過去の侵略戦争も「不幸な歴史」ですませて天皇の戦争責任を問うことを決してしない、この社会の主流を占める人々の態度が、素直にあらわれているのだということでしょう。
 著者がなんども言ってることは、「日の丸・君が代」の是非はともかく、議論をさせずに皆を同じ方向に向けさせる、その「強制」こそ民主主義を破壊し人権を尊重しない社会にする、ということです。その限りではまったくその通りだと思う。でも、旗を揚げたい人や歌を歌いたい人は、それはそれで認めよう、だけどやりたくない人に強制はしないでほしい、だから「日の丸・君が代反対」ではなく「日の丸・君が代の強制反対」なんだ、という説明は、強制が行われている現場での具体的な争点としては賛成なんだけど、「日の丸・君が代」じたいに反対する気持ちからすれば、なんかスッキリしない。仮に「強制」がなくなったとしても、侵略の歴史的事実と現在、「日の丸・君が代」をめぐる深刻な対立の歴史というのがある以上、それでもこの旗を揚げ歌を歌う人がいたら、それはちょっと許しがたいよな、とぼくなんか思っちゃうんですけど、どうなんでしょう?
 どちらにしろ、意志に反して「日の丸・君が代」が強制されている事実や人々の苦悩がきちんと伝えられることが論議の前提となるはずなので、この本はひょっとすると強制する側にある人たちにこそ読んでほしいといえるのかもしれない。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)












【連合王国の女王様たちとその民たち】

情報公開は生き残りの原則か?

青山薫●エセックス大学院生


 イギリスで「遊んでいる」ということで連載を頼まれてしまった。困ったことにイギリスの政治に関する知識も常識も、王室に対するミーハー的関心も、「立憲君主制」の知識もなにもなく、大学のキャンパスに住んで世間から隔絶した生活を送っているため、一般的なイギリス人の生活にも疎い。インターネットで調べれば、私よりもっとイギリスの王室や政治や文化についてよく分かるんじゃないかと思う。
 そうか、インターネットか……と思いつき、生の声を後で聞きに行けるとふんで、まず大学のクラブ関係のページを当たってみる。「ロイヤリスト・ソサエティ」――これこれ。「王室主義者同好会」だね。開けてみる――「このページは無くなりました」のメッセージ。あらら……考えてみれば、六〇年代の建学以来「反体制の巣窟」(と「犯罪学」の同僚が言っていた)大学エセックスに「ロイヤリスト・ソサエティ」があったことが意外だった。最近無くなったとすればそれもまた意外。どういう経緯かどこかで聞いてみなくちゃ。
 それで、王室のウェッブサイトを探す。ありました。ちょっと字が小さくて読みにくいが、立派なものが。http://www.royal.gov.uk/index.htm ――英語の練習にでも使ってください――さっそく「お気に入り」(インターネットのなかを捜す手間が省けるようにする索引)に加える。「gov.uk」という「住所」はUK政府のものということ。日本で言えば宮内庁のウェッブサイトでしょう(あるよね? どんなのかしらん?)。ホームページのトップに王冠を描いた英国王室のマークの横に項目が並ぶ。「今日の王室一家」「ダイアナ・ウェールズ妃」「君主制の今日」「宮殿」「王室所蔵品」「君主制の歴史」「即位・戴冠・王位継承」「質問のページ」「記者発表」「写真資料」「(ウェッブサイト)訪問者のノート」「他のウェッブサイトへのリンク」「検索」。
 夫婦とも浮気して別居して離婚して、アラブ人二世の愛人とフォーカスされてデート中に死んだスキャンダルの人、ダイアナ妃のダントツ人気がこの「公」のページにも! だって二番目だよ。アクセスできる人にはいちいち書くのも申し訳ないが、開けてみる価値あります。「伝記」のページを開けるとまず「死」が出てきて、亡くなった(って敬語使うと反天連の面子には思想的嫌疑をかけられるのだが、つい……これが天皇制に反対してる人間からさえ出てくる無意識の欲望だと思えば、その所在を確かめるのもそこにタックルする端緒でしょう)経緯が書いてある。そこにはちゃんと「妃の同行者ドディ・[アル・]ファイド氏とドライバーも死んだ」とある。
 タブーの線はどこで引いてるのかね、この人たちは。もちろんタブロイドみたいに「愛人」とは明記してないけど。で、「結婚生活と家族」のページには、何年何月に別居して何年何月にダイアナがテレビのインタヴューで不幸な結婚生活を語り、離婚後は「殿下」の称号を返上したものの、王位継承者の母として「ウェールズ妃」と呼び続けられていること、など書いてある。そりゃ「女王のメッセージ」なんかうわべだけのものだと批判することはたやすいが、わが宮内庁が皇太子妃の不幸な結婚生活についてウェッブサイトで公表することを想像さえできない日本人としては、このあけっぴろげな「民主的」装いがなんだかヘンに羨ましくなってくるではないか……いやいやまてまて、これが英国王室の生き残りの手立てなのだ。バッキンガム宮殿を一部公開して観光資源を稼いだり、税金を払うようになったりの一環だ。
 そういえば、日本語で「イギリス」とか「英国」と呼ばれているこの国の正式名称は「United Kingdom」(連合王国)だ。「United Republic」(連合共和国)でも「United States」(合州国)でもない。そして国王/女王は、「国家の象徴」でもあるが、それ以前に「国家の長」(Head of State)だ。曖昧さ加減が最初から違うよね。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.5、2001.3.13号)